GHQ焚書図書開封1
米占領軍に消された戦前の日本 
西尾幹二 徳間文庫カレッジ 

 日本社会の不気味な沈黙

 さて、こうしたことが可能になった時代とは何だったのかということを考えておかないといけないし、日本人の奥深い心理についても再吟味しなければなりません。
 私たちはじつはとんでもない罠に陥っているのではないでしょうか。
 江藤さんは『閉された言語空間』の中で次のような意味のことを書いています。占領軍が初めて日本に入ってきたとき驚いたのは日本の全国民があまりにも冷静だったことだ。彼らは何か罠を仕掛けられているのではないかと疑ったそうです。それほどの静かさであったといいます。他の占領国ではそんなことはない。民衆は暴れ回り、軍は反乱を起こす。だから占領軍も、「カミカゼ特攻隊の日本、あの熱狂的な日本を統治するにはどれくらい流血の惨事を見なければならないか」と、そういう覚悟をもって入って来た。ところが日本は静まり返っている。シーンと林のように静かである。それが不気味でならなかったというわけです。
 日本社会のこの不気味な沈黙とは何であったのか――。
 ここをお話ししないと本題に入れないわけですが、江藤さんは検閲官が摘発した当時の日本人の手紙を引いています。

 突然のことなので驚いております。政府がいくら最悪の事態になったといっても、聖戦完遂を誓った以上は犬死はしたくありません。敵は人道主義、国際主義などと唱えていますが、日本人に対してしたあの所業はどうでしょうか。数知れぬ戦争犠牲者のことを思ってほしいと思います。憎しみを感じないわけにはいきません。

 当時の日本人は当然こういう感じをもっていたわけですね。これが本心です。

 昨日伊勢佐木町に行って、はじめて彼らを見ました。彼らは得意気に自動車を乗りまわしたり、散歩したりしていました。
 橋のほとりにいる歩哨は、欄干に腰を下ろして、肩に掛けた小銃をぶらぶらさせ、チュウインガムを噛んでいました。こんなだらしのない軍隊に負けたのかと思うと、口惜しくてたまりません。


 これも没収された手紙の一節です。占領軍はこういう日本人の手紙を「けしからん」といって受取人の手に渡らないようにしたのです。米軍から見て、当時の日本人の邪悪な心、少しも反省などしていない日本人の本心――日本人同士がそれを文字で読み互いに共感し合うことが疎ましくも恐ろしくもあったので、占領直後から米軍は検閲でこれを封じこんでしまったのです。日本人社会が不気味に静まり返ったのはその結果なのかもしれません。あるいはもっと深い心理背景があるかもしれません。
 日本人の当時の本当の心について江藤さんはこう書いています。大事な点ですので、そのまま引用しておきます。

 当時の日本人が、戦争と敗戦の悲惨さを、自らの「邪悪」さがもたらしたものとは少しも考えていなかったという事実である。
「数知れぬ戦争犠牲者」は、日本の「邪悪」さの故に生れたのではなく、「敵」、つまり米軍の殺戮と破壊の結果生れたのである。「憎しみ」を感じるべき相手は、日本政府や日本軍であるよりは、まずもって当の殺戮者、破壊者でなければならない。当時の日本人はごく順当にこう考えていた。そして、このような視点から世相を眺めるとき、日本人は学童といえども「戦死した兵隊さん」の視線を肩先に感じないわけにはいかなかった。つまり、ここでは、生者と死者がほぼ同一の光景を共有していた。


 私もその当時のことをはっきりと覚えております。私は当時小学校の4年生で、米軍が初めて小学校へ来たときのこともありありと記憶しています。国民が思いの外、平静であったことも覚えています。米占領軍は平静な日本人が恐かったのだと思います。
 じつは「『憎しみ』を感じるべき相手は、日本政府や日本軍であるよりは、まずもって当の殺戮者、破壊者でなければならない。当時の日本人は、ごく順当にこう考えていた」のですから、占領軍はこれを敏感に感じ取っていて、日本人同士がこうした感情を互いに少しでも交し合い、語り合うことをあらゆる手段を用いて禁止してしまうことが必要でした。
 
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