日本国紀
百田尚樹・著 幻冬舎 

 当時の日本社会と日本人

『魏志』「倭人伝」には、日本人の性格や日本社会の特徴についての記述もある。そこには「風俗は乱れていない」「盗みはしない」「争いごとは少ない」とある。歴史書にわざわざ記すくらいであるから、当時の魏の人々にとって、これらの特徴が非常に珍しかったに違いない。こうした記述は、多くの歴史研究者にとっては些細なことであり、見過ごされがちだが、私は敢えてここに注目する。千八百年も前の私たちの祖先が、他人のものを盗んだり、他人と争ったりしない民族であったということを、心から嬉しく思うのである。
 卑弥呼は『魏志』「倭人伝」に「鬼道を使って人を惑わす」と書かれていることから、一種のシャーマン(巫女:みこ)であったと考えられる。もしかしたら「日巫女」であったかもしれない。
 卑弥呼は247年か248年に死んだとされているが、実はこの年に不思議なことが起きている。九州地方と大和地方でかなり大規模な日蝕が見られたのだ。これは現代の天文学で明らかになっていて、日時まで特定されている。月が太陽の光を遮ることで日蝕という現象が起きるのは、現代では子供でも知っているが、天文学の知識がない古代人にとっては、太陽が突如、姿を消すというのは、とてつもなく恐ろしい出来事だったと想像できる。
 その日蝕が起こった年に卑弥呼が亡くなっているのは偶然だろうか。作家の井沢元彦氏は、卑弥呼は天変地異の責任を取らされて殺された可能性があるという説を唱えている。卑弥呼が太陽神を祀る「日の巫女」であるならば、大いに納得できる説である。証拠はないが、こういうことを考えるのが歴史のロマンであり、愉しさではないだろうか。
 また『古事記』の中にある天照大神(あまてらすおおみかみ)の「天岩戸に隠れたことで、世の中が真っ暗になった」物語は、日蝕の暗喩だという説があり、これをもって「卑弥呼=天照大神」と考える人もいるが、太陽神が隠れて世界が闇に覆われるという話は、古代中国、東南アジア、ヨーロッパの神話にもあり、決して珍しいものではない。二人が同一人物というのは非常に魅力ある説だと思うが、私は賛同しない。その理由は後に述べる。
 
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