なぜ生きる
高森顕徹・監修 明橋大二 伊藤健太郎 
1万年堂出版 

(2)人命は地球より重い。なぜそういわれる?

●「どうせワタシなんか」――自分に価値がないと感じている女子高生が、大勢いる

 「生きるってスバラシイー」いつも充実感にあふれ、未来に自信を持って生きている人は、どれだけあるでしょう。ハイテク進んで豊かさ遅れた20世紀は、「不安の世紀」とよばれ、物質的には最高に恵まれた私たちに、これといった不足はありませんが、奥底からの満足もなく、ぼんやりした不安とむなしさが蔓延しています。
「ああ、なんだかつまらない」こんなつぶやきがもれることはないでしょうか。

(中略)

 自分の人生に、意味や価値を感じられない人が増え、それが種々の事件や問題の起因だと、強く指摘する人もあります。
 平成8年の東京都の調べでは、女子高生の4パーセント、中学女子の3.8パーセントが「援助交際」の経験があったといわれます。17歳の援助交際を描いたベストセラー『ラブ&ホップ』で、作家の村上龍氏が訴えたかったのは、「自分に価値があると感じられない女子高生が、大勢いる」という事実です。「どうせワタシなんか」が、彼女たちの口癖だといいます。自分の存在に値があると思ったら、2、3万円で買いたたかれたりはしないでしょう。

●どうして人を殺してはいけないのか

 人命軽視を象徴する事件がつづいています。愛知県の高校3年生か65歳の主婦を40数力所も刺して惨殺し、翌日、自首しました。「人を殺す経験をしたかった」と、反省のそぶりは、まったくなかったといいます。アメリカの学校では、銃の乱射が絶えません。凶弾の犠牲になる未成年者は、平成12年の数字では、1日14人にも及んでいます。
 小学生を殺害し頭部を切断した14歳の少年は、世間を震撼させました。しかしこの少年の「ボクの存在は透明だ」という言葉に、共感を覚える若者は少なくありません。
「誰からも必要とされていない私。ガラクタだもの。生まれてこなければよかった」「なんて生きなきゃいけないのかな。サッサと生きて、サッサと死にたい」
 私の存在は無意味、そんなむなしさを深めている子供たちは、「忘れ物をしたから」「運動会かおるから」「先生に叱られたから」と、信じられない理由で命を捨てています。
 自分の命の大切さを知らねば、他人の命も尊重できないでしょう。「死んでもいいじゃん」の無知が、「殺してもいいじゃん」の暴論に、すり替わってゆくのではないでしょうか。
「どうして人を殺したらいけないんですか?」
 高校生がボソッと漏らしたテレビ番組で、シーンと静まり返った出演者たち。パタッと番組が終了し、さまざまな議論をよびました。
「人命は地球よりも重いからだ」といくら言っても、無駄でしょう。
「どうして地球より重いの?」と突っ込まれたら、終わりだからです。
 どんな人でも、答えに窮するのではないでしょうか。哲学者も、お手上げです。なぜ命が尊いか、説明できた哲学者を知らないと、P・フット(カリフォルニア大教授)は、論文「道徳的相対主義」に書いています。哲学書を何百冊読んでもわからないのです。

●自殺が増えるのは、命の重さがわからないから

 日本の自殺者は、年間3万人を超えました。交通事故で亡くなる人の、3倍強です。平成10年の急増は、男性の平均寿命を下げるほどの、異常事態となりました。長引く平成不況が原因と、早計にはいえないでしょう。フランスの社会学者デュルケムは、富豪ほど自殺率が高いことなどから、経済的に豊かな人ほど深刻な苦悩にさいなまれていることを、各種の統計で裏付けています。
 米国の著名な心理学者チクセントミハイは、「生きる目的」がわからないから、どれだけ利便と娯楽に囲まれても、心からの充実が得られないのだと説明しました。自殺の根本原因も、「人生の目的の重さ」「生命の尊厳さ」を、知らないからではないでしょうか。「そんなにまでして、なぜ生きるのか」人生の根底に無知であれば、ひとは死を選んでも決しておかしくないでしょう。
 1億円の宝くじの当選券を大事にするのは、一生働いても得られぬ価値があると思うからです。ハズレくじなら、ゴミ箱へ直行でしょう。割れたコップや修理のきかないパソコンなどと同様に、価値のない物は捨てられます。
 自分の生命が地球よりも重いと知れば、「ハズレくじ」を捨てるように、ビルからの投身も、他人の命を虫けらのように奪うことも、できるはずがありません。
「人生には、なさねばならない目的がある。どんなに苦しくても、生き抜かなくては」と、生きる目的が鮮明になってこそ、生命の尊厳が知らされるのです。
 子供の相次ぐ自殺やエスカレートする殺人に、世の中は騒然としています。家庭の問題だ、教育の欠陥だ、少年法が悪い、病んでいる社会……解説は十人十色です。しかし「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」、肝心の「人生の目的」が抜け落ちた議論がつづくだけでは、対策も立てようがないでしょう。

●人生の目的に渇き切った心は、泥水でもすする

(中略)
 
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