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はじめに

一部 なぜ生きる
 苦しくとも 生きねばならぬ 理由は何か

(1)幸せはいとも簡単に崩れ去る

・どんな行動にも目的があります。人生にも……
・毎日が、決まった行動のくり返しと気づく
・なぜ生きるかがわかれば、ひとは苦悩すら探し求める
・生きることイコール良いこと。これが大原則
・つらい思いをして病魔と闘うのは、幸福になるため

(2)人命は地球より重い。なぜそういわれる?

・「どうせワタシなんか」自分に価値がないと感じている女子高生が、大勢いる
・どうして人を殺してはいけないのか
・自殺が増えるのは、命の重さがわからないから
・人生の目的に渇き切った心は、泥水でもすする

(3)「辛抱して生きつづけること」それが人生の目的なのか

・「なぜ生きるか」の問いに、「生きるために生きる」は意味不明
・「生きてよかった」と大満足する「人生の目的」を

(4)「なんと生きるとは素晴らしいことか!」人生の目的を達成すれば、現在の一瞬一瞬が、かの星々よりも光彩を放つ

・苦しみの新しい間を楽しみといい、楽しみの古くなったのを苦しみという
・絵を楽しんで描いていたピカソは、筆を置くと不機嫌になった
・「好きな道を歩いていれば目的地はいらない。歩みそのものが楽しいのだから」と言う人の、見落としているもの

(5)生きる意味を知って働け。さすれば、苦労も悲しみも報われる

・「仕事」が「人生の目的」なの? 侘しくありませんか?
・「考えてみるとだね、一生働きつづけてこの家の支払いをすませ。やっと自分のものになると、誰も住む者はいないんだな」
・働けど働けど、決して報われない……
・“乙男なんていなくてもいい”そんな世の中になるかも
・最後の救いを少女に求める中年男性もいる
・無益な生涯だったと気づいたり、罪の山積に驚くのは、人生でもっとも悲惨な瞬間だ

(6)幸福の歓喜のただ中に、思わぬ落とし穴が

・最愛の妻の命が終われば、すべてが終わってしまう……
・「どうしてボクは苦しむのか」「お前が幸福だったからさ……」
・もう二度と来ない幸せを経験すると、その後の人生がずーっとつらい
・もう、残酷な裏切りに傷つけられたくはない

(7)幸せなのは夢を追う過程 達成すると色あせる「目標」

・「近寄れば さほどでもなき 富士の山」。目標とはそんなもの――
・勝ちつづけたが求まらない。求めることの「くり返し」たった――チャンピオンの幻滅の深い傷
・もっと金を稼げばよかったと、死の床で後悔した者がいるだろうか
・「人生の目的」は「色あせること」も「薄れること」もないもの

(8)人類の、びくともしない巨大な壁

・死は、突然にしかやって来ない。なのに、なぜ人々は、あくせく生きるのだろうか
・「生きることに意味(何のため)もクソもないし、生きなきゃいけない理由なんてない」。それを聞いた青年や女子大生は自殺した
・「でもね、あなたはやがて死ぬんだよ……」と魂がささやく
・闇の中を走っているから、何を手に入れても、安心も満足もない
・死を正視して苦悩の根元を知り、断ち切り、人生の目的が鮮明になる
・人生の目的を達成したとき、一切の苦労は報われ、流した涙の一滴一滴が、真珠の玉となって戻ってくる

二部 親鸞聖人の言葉

(1)「人類永遠のテーマ」と親鸞聖人

・真の宗教の使命――訴えるアインシュタイン

(2)人生の目的は、「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船に乗り、未来永遠の幸福に生きることである」

・人間は、苦しむために生まれてきたのではない

(3)人生を暗くする元凶は何か――正しい診断が急務

・この坂を越えたなら、幸せが待っているのか?
・オレは前から、ヤシの下で昼寝をしているさ
・人生がよろこびに輝いていたのなら、ダイアナ妃の、自殺未遂五回はなぜだった?

(4)診断――苦悩の根元は「無明の闇」

・煩悩と格闘された、若き日の親鸞聖人
・法然上人との出会い

(5)無明の闇とは「死後どうなるか分からない心」

・百ハーセント墜ちる飛行機に乗るものはいないが、私たちはそんな飛行機に乗っている
・「末期ガンです。長くて1ヵ月」。その人は、「死後どうなるか」だけが大問題となった
・「老後のことは老後になってみにゃわがらん。つまらんこと」とは、誰も言わない

(6)なぜ無明の闇か 苦悩の根元なのか

・「死んだらどうなるか」 何かでごまかさなくては生きていけない不安だ。しかし、ごまかしはつづかない
・眼前に、人生の目的が、突きつけられる

(7)「王舎城の悲劇」と人生の目的

(8)「まことなるかなや!」人生の目的完成の宣言

・ああ! 驚天動地の世界
・なんと生きるとは、すばらしいことか!「闇」に泣いた者だけに「光」にをつた笑いがあり、「沈んで」いた人にのみ「浮かんだ」歓喜がある
・苦海の人生に大船あり――知らずは人類の最大不幸

(9)なぜ「人命は地球よりも重い」のか――一貫したメッセージ

・「よろこばしきかな」で始まり「よろこばしきかな」で終わる『教行信証』
・響きわたる生命の大歓喜

(10)人生の目的は「ある」のか「ない」のかで激突

・終わりなき道の社家?
・悔いなき人生への発言

(11)「なぜ生きる」の扉を開くカギ

・「一念」と「二種深信」ということ
・信じるのは、疑いがあるから

(12)知っているはずの サッパリわからないもの

・もっとも大事な忘れ物’−―思いあたる、かすかす
・その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事

(13)“どこにいるのか”本当の私

・他人が、私を探しだせるのか
・私が、私を探しだせるのか
・隠れ家は 心の底の奥の院
・「よもすがら 仏の道を求むれば わがこころにぞ たすね入りぬる」

(14)親鸞聖人と刀葉林地獄――機の深信

・愛欲の広海は果てしなく、限りなく登り下りをくり返し、苦しみつづける地獄
・「昨晩、神サマが私の床に入ってこられたので、思わず頭をなぐったが、罰が当たったらどうしよう」

(15)「邪魔者は消せ」心底にうごめく“名利の冷血獣”

・若さと美貌に命をかける、美容整形に大金を投じる女性は、無人島にいたら、どんなに気楽なことだろうに
・「ウソくらべ 死にたがる婆 とめる嫁」
・黄金の雨がふっても満足できない
・九死に一生を得た兵士は こう告白した。「肉体は助かったが、オレの魂は永遠に救われない」と

(16)ゾッとする巨悪の本性

・船上の魚がピチピチはねるのも、首を絞められる鶏がバタバタもがくのも、死が苦しみであるから
・亀を助けた浦島太郎は、肩に魚釣竿をかついでいた。それは、何千何万の殺生を平気でやっていたということだ
・火事場に向かう途中、鎮火したと聞くとガッカリする

(17)善いことをすると腹が立つ

・わずかなクッキーを隣家にプレゼントしても、「ありがとう」の二言がなかったらおもしろくない
・偽善者とは「人の為と言って 善をする者」。しかし、まわりの人のためだとわかっていても、タバコすらやめられない

(18)「地獄は一定すみか」の自己との対面

・どんな悪い者だと痛感している人でも、自分は百パーセント悪いとは思っていない
・レントゲンの前では、美人も、醜女も、富める者も、貧しい者も、老少男女の違いもなく、ただ見苦しい骨の連鎖ばかり

(19)「悪人」とは人間の代名詞――「悪人正機」とは

・「今年」が終われば、また「今年」「今日」が終われば、また「今日」がはじまる
・吐いた息が吸えないときから後生である。それは、一分後かもしれない
・善人と思っている「善人」を「善人」と言われている

(20)『歎異鈔』の「往生極楽の道」――法の深信

・関東から京都まで歩いて聞きに行ったのは「死後のハッキリしない無明の闇を破り“極楽浄土へ必ず往ける”大安心・大満足になる」一つのためだった
・友人に貸した大金が返ったとき“彼の誓約は本当だった”と、疑いが晴れる
・「弥陀の救いは一度でしょうか、二度でしょうか」「この世は、弥勒菩薩と同格(正定聚)に救い摂られ、死ぬと同時に弥陀の浄Lで、無上のさとり(滅度)が得られる。弥陀の救いは二度(二益)ある」
・「いつ何かおきるか分からない火宅無常の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。ただ、念仏のみが、まことなのだ」

(21)先を知る智恵をもって 安心して生き抜きたい

・多くのことを知るよりも、もっとも大事なことを知る人こそが智者。智者と愚者は、「後世を知るか、否か」で分かれる
・未来明るい智者になるには、智慧の太陽に照破されるしかない
・浄土へ“往”き、仏に“生”まれることを「往生」というのであって、「こまった」とか「死んだ」ことではない
・足元の小川が渡れぬ者に、先の大河が渡れるはずはない

(22)心も言葉も絶えた世界

・「不思議だなあ、どうしてこんな悪性が救い摂られたのか。なぜ愉快なのか。恵まれるのか。生かされるのか。どれだけ考えてもわからない。……」
・「貴いとか賤しいとか、僧侶とか俗人とか、男女、老少、罪の軽重、善根の多少など、大信海の拒むものは何もない。完全自由な世界である」
・金輪際 幸せとは無縁の者を、無上の幸福にする

(23)人生の目的完成すれば どう変わる

・雲や霧がどんなに天をおおっていても、日光で雲霧の下は明るいように、欲や怒り、ねたみの煩悩一杯あるがままで、心は浄土に遊んでいるように明るく愉快
・欲望のなくなったのが一番の幸せなら、石や屍が一番幸福ということになる
・シブ柿のシブがそのまま甘味になるように、煩悩(苦しみ)一杯が、功徳(幸せ)一杯となる

(24)『歎異鈔』と人生の目的

・“すべての人を 見捨てられない幸福(摂取不捨の利益)にせずにはおかぬ″弥陀の誓願
・念仏を称えたときに救われるのでもなければ、称えていれば助かるのでもない。“称えよう”と思いたつ心の、おきたときである
・「『念仏申さん』と思いたつ心」=「他力の信心」他力とは“弥陀より賜ること”
・摂取不捨の幸福になるには、老若男女、慈善家、殺人犯、頭の良し悪しなどは関係ない。他力の信心ひとつが肝要
・悪人が、どうして無上の幸福者になれるのか、もっとも罪の重い人を救うための本願だからだ
・「こんな私は、救われないのではなかろうか」と悪を恐れるのは、“絶対助からぬ極悪人”と、知らされていないから

(25)人生の目的は「無碍の一道」

・「我に白山を与えよ しからずんば死を!」――真の自由はいずこに
・“雨がやまないように”“山がもっとさびしければ”“村がもっと遠ければいい”…。 恨んでいた道の遠さも、今は少しも苦にならない
・不自由の中に 自在の自由を満喫する「無碍の一道」

(26)人生の目的も「みんなちがって みんないい」のか

・いつでもどこでも いわれていること
・「人生の目的は、法然上人も親鸞もまったく同じ。人として生まれてきた目的のことを言っているのだ」
・「自力の信心」に、万人共通などあろうはずがない
・「自力の信心」と「他力の信心」はまったく異なる――法然上人の判決

(27)「人生の目的」と「生きる手段」のけじめ――峻別された親鸞聖人

・あと一秒しか命のない人に、三秒かかるようでは救えない
・「散るときが 浮かぶときなり 蓮の花」
・真(なぜ生きる=人生の目的)と仮(どう生きる=生きる手段)が明らかになるのは同時

(28)人生の目的完成してからの 親鸞聖人の生きざま

・三十一歳で、肉食妻帯を断行。激しさ、厳しさは、言動に顕著にあらわれ、文字はカミソリで書いたように鋭い
・越後流刑の原因は何か――知られざる真因
・「私か死んだら、賀茂河に捨てて魚に食べさせるがよかろう」
・独り生れ 独り死ぬ 独り来て 独り去る 独りゆかれた 親鸞聖人

あとがき
 
     
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