★目次★(青い文字はリンクしてます)
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はじめに ●一部 なぜ生きる 苦しくとも 生きねばならぬ 理由は何か (1)幸せはいとも簡単に崩れ去る ・どんな行動にも目的があります。人生にも…… ・毎日が、決まった行動のくり返しと気づく ・なぜ生きるかがわかれば、ひとは苦悩すら探し求める ・生きることイコール良いこと。これが大原則 ・つらい思いをして病魔と闘うのは、幸福になるため (2)人命は地球より重い。なぜそういわれる? ・「どうせワタシなんか」自分に価値がないと感じている女子高生が、大勢いる ・どうして人を殺してはいけないのか ・自殺が増えるのは、命の重さがわからないから ・人生の目的に渇き切った心は、泥水でもすする (3)「辛抱して生きつづけること」それが人生の目的なのか ・「なぜ生きるか」の問いに、「生きるために生きる」は意味不明 ・「生きてよかった」と大満足する「人生の目的」を (4)「なんと生きるとは素晴らしいことか!」人生の目的を達成すれば、現在の一瞬一瞬が、かの星々よりも光彩を放つ ・苦しみの新しい間を楽しみといい、楽しみの古くなったのを苦しみという ・絵を楽しんで描いていたピカソは、筆を置くと不機嫌になった ・「好きな道を歩いていれば目的地はいらない。歩みそのものが楽しいのだから」と言う人の、見落としているもの (5)生きる意味を知って働け。さすれば、苦労も悲しみも報われる ・「仕事」が「人生の目的」なの? 侘しくありませんか? ・「考えてみるとだね、一生働きつづけてこの家の支払いをすませ。やっと自分のものになると、誰も住む者はいないんだな」 ・働けど働けど、決して報われない…… ・“乙男なんていなくてもいい”そんな世の中になるかも ・最後の救いを少女に求める中年男性もいる ・無益な生涯だったと気づいたり、罪の山積に驚くのは、人生でもっとも悲惨な瞬間だ (6)幸福の歓喜のただ中に、思わぬ落とし穴が ・最愛の妻の命が終われば、すべてが終わってしまう…… ・「どうしてボクは苦しむのか」「お前が幸福だったからさ……」 ・もう二度と来ない幸せを経験すると、その後の人生がずーっとつらい ・もう、残酷な裏切りに傷つけられたくはない (7)幸せなのは夢を追う過程 達成すると色あせる「目標」 ・「近寄れば さほどでもなき 富士の山」。目標とはそんなもの―― ・勝ちつづけたが求まらない。求めることの「くり返し」たった――チャンピオンの幻滅の深い傷 ・もっと金を稼げばよかったと、死の床で後悔した者がいるだろうか ・「人生の目的」は「色あせること」も「薄れること」もないもの (8)人類の、びくともしない巨大な壁 ・死は、突然にしかやって来ない。なのに、なぜ人々は、あくせく生きるのだろうか ・「生きることに意味(何のため)もクソもないし、生きなきゃいけない理由なんてない」。それを聞いた青年や女子大生は自殺した ・「でもね、あなたはやがて死ぬんだよ……」と魂がささやく ・闇の中を走っているから、何を手に入れても、安心も満足もない ・死を正視して苦悩の根元を知り、断ち切り、人生の目的が鮮明になる ・人生の目的を達成したとき、一切の苦労は報われ、流した涙の一滴一滴が、真珠の玉となって戻ってくる ●二部 親鸞聖人の言葉 (1)「人類永遠のテーマ」と親鸞聖人 ・真の宗教の使命――訴えるアインシュタイン (2)人生の目的は、「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船に乗り、未来永遠の幸福に生きることである」 ・人間は、苦しむために生まれてきたのではない (3)人生を暗くする元凶は何か――正しい診断が急務 ・この坂を越えたなら、幸せが待っているのか? ・オレは前から、ヤシの下で昼寝をしているさ ・人生がよろこびに輝いていたのなら、ダイアナ妃の、自殺未遂五回はなぜだった? (4)診断――苦悩の根元は「無明の闇」 ・煩悩と格闘された、若き日の親鸞聖人 ・法然上人との出会い (5)無明の闇とは「死後どうなるか分からない心」 ・百ハーセント墜ちる飛行機に乗るものはいないが、私たちはそんな飛行機に乗っている ・「末期ガンです。長くて1ヵ月」。その人は、「死後どうなるか」だけが大問題となった ・「老後のことは老後になってみにゃわがらん。つまらんこと」とは、誰も言わない (6)なぜ無明の闇か 苦悩の根元なのか ・「死んだらどうなるか」 何かでごまかさなくては生きていけない不安だ。しかし、ごまかしはつづかない ・眼前に、人生の目的が、突きつけられる (7)「王舎城の悲劇」と人生の目的 (8)「まことなるかなや!」人生の目的完成の宣言 ・ああ! 驚天動地の世界 ・なんと生きるとは、すばらしいことか!「闇」に泣いた者だけに「光」にをつた笑いがあり、「沈んで」いた人にのみ「浮かんだ」歓喜がある ・苦海の人生に大船あり――知らずは人類の最大不幸 (9)なぜ「人命は地球よりも重い」のか――一貫したメッセージ ・「よろこばしきかな」で始まり「よろこばしきかな」で終わる『教行信証』 ・響きわたる生命の大歓喜 (10)人生の目的は「ある」のか「ない」のかで激突 ・終わりなき道の社家? ・悔いなき人生への発言 (11)「なぜ生きる」の扉を開くカギ ・「一念」と「二種深信」ということ ・信じるのは、疑いがあるから (12)知っているはずの サッパリわからないもの ・もっとも大事な忘れ物’−―思いあたる、かすかす ・その女を求めるのと、汝自身を求めるのと、いずれが大事 (13)“どこにいるのか”本当の私 ・他人が、私を探しだせるのか ・私が、私を探しだせるのか ・隠れ家は 心の底の奥の院 ・「よもすがら 仏の道を求むれば わがこころにぞ たすね入りぬる」 (14)親鸞聖人と刀葉林地獄――機の深信 ・愛欲の広海は果てしなく、限りなく登り下りをくり返し、苦しみつづける地獄 ・「昨晩、神サマが私の床に入ってこられたので、思わず頭をなぐったが、罰が当たったらどうしよう」 (15)「邪魔者は消せ」心底にうごめく“名利の冷血獣” ・若さと美貌に命をかける、美容整形に大金を投じる女性は、無人島にいたら、どんなに気楽なことだろうに ・「ウソくらべ 死にたがる婆 とめる嫁」 ・黄金の雨がふっても満足できない ・九死に一生を得た兵士は こう告白した。「肉体は助かったが、オレの魂は永遠に救われない」と (16)ゾッとする巨悪の本性 ・船上の魚がピチピチはねるのも、首を絞められる鶏がバタバタもがくのも、死が苦しみであるから ・亀を助けた浦島太郎は、肩に魚釣竿をかついでいた。それは、何千何万の殺生を平気でやっていたということだ ・火事場に向かう途中、鎮火したと聞くとガッカリする (17)善いことをすると腹が立つ ・わずかなクッキーを隣家にプレゼントしても、「ありがとう」の二言がなかったらおもしろくない ・偽善者とは「人の為と言って 善をする者」。しかし、まわりの人のためだとわかっていても、タバコすらやめられない (18)「地獄は一定すみか」の自己との対面 ・どんな悪い者だと痛感している人でも、自分は百パーセント悪いとは思っていない ・レントゲンの前では、美人も、醜女も、富める者も、貧しい者も、老少男女の違いもなく、ただ見苦しい骨の連鎖ばかり (19)「悪人」とは人間の代名詞――「悪人正機」とは ・「今年」が終われば、また「今年」「今日」が終われば、また「今日」がはじまる ・吐いた息が吸えないときから後生である。それは、一分後かもしれない ・善人と思っている「善人」を「善人」と言われている (20)『歎異鈔』の「往生極楽の道」――法の深信 ・関東から京都まで歩いて聞きに行ったのは「死後のハッキリしない無明の闇を破り“極楽浄土へ必ず往ける”大安心・大満足になる」一つのためだった ・友人に貸した大金が返ったとき“彼の誓約は本当だった”と、疑いが晴れる ・「弥陀の救いは一度でしょうか、二度でしょうか」「この世は、弥勒菩薩と同格(正定聚)に救い摂られ、死ぬと同時に弥陀の浄Lで、無上のさとり(滅度)が得られる。弥陀の救いは二度(二益)ある」 ・「いつ何かおきるか分からない火宅無常の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。ただ、念仏のみが、まことなのだ」 (21)先を知る智恵をもって 安心して生き抜きたい ・多くのことを知るよりも、もっとも大事なことを知る人こそが智者。智者と愚者は、「後世を知るか、否か」で分かれる ・未来明るい智者になるには、智慧の太陽に照破されるしかない ・浄土へ“往”き、仏に“生”まれることを「往生」というのであって、「こまった」とか「死んだ」ことではない ・足元の小川が渡れぬ者に、先の大河が渡れるはずはない (22)心も言葉も絶えた世界 ・「不思議だなあ、どうしてこんな悪性が救い摂られたのか。なぜ愉快なのか。恵まれるのか。生かされるのか。どれだけ考えてもわからない。……」 ・「貴いとか賤しいとか、僧侶とか俗人とか、男女、老少、罪の軽重、善根の多少など、大信海の拒むものは何もない。完全自由な世界である」 ・金輪際 幸せとは無縁の者を、無上の幸福にする (23)人生の目的完成すれば どう変わる ・雲や霧がどんなに天をおおっていても、日光で雲霧の下は明るいように、欲や怒り、ねたみの煩悩一杯あるがままで、心は浄土に遊んでいるように明るく愉快 ・欲望のなくなったのが一番の幸せなら、石や屍が一番幸福ということになる ・シブ柿のシブがそのまま甘味になるように、煩悩(苦しみ)一杯が、功徳(幸せ)一杯となる (24)『歎異鈔』と人生の目的 ・“すべての人を 見捨てられない幸福(摂取不捨の利益)にせずにはおかぬ″弥陀の誓願 ・念仏を称えたときに救われるのでもなければ、称えていれば助かるのでもない。“称えよう”と思いたつ心の、おきたときである ・「『念仏申さん』と思いたつ心」=「他力の信心」他力とは“弥陀より賜ること” ・摂取不捨の幸福になるには、老若男女、慈善家、殺人犯、頭の良し悪しなどは関係ない。他力の信心ひとつが肝要 ・悪人が、どうして無上の幸福者になれるのか、もっとも罪の重い人を救うための本願だからだ ・「こんな私は、救われないのではなかろうか」と悪を恐れるのは、“絶対助からぬ極悪人”と、知らされていないから (25)人生の目的は「無碍の一道」 ・「我に白山を与えよ しからずんば死を!」――真の自由はいずこに ・“雨がやまないように”“山がもっとさびしければ”“村がもっと遠ければいい”…。 恨んでいた道の遠さも、今は少しも苦にならない ・不自由の中に 自在の自由を満喫する「無碍の一道」 (26)人生の目的も「みんなちがって みんないい」のか ・いつでもどこでも いわれていること ・「人生の目的は、法然上人も親鸞もまったく同じ。人として生まれてきた目的のことを言っているのだ」 ・「自力の信心」に、万人共通などあろうはずがない ・「自力の信心」と「他力の信心」はまったく異なる――法然上人の判決 (27)「人生の目的」と「生きる手段」のけじめ――峻別された親鸞聖人 ・あと一秒しか命のない人に、三秒かかるようでは救えない ・「散るときが 浮かぶときなり 蓮の花」 ・真(なぜ生きる=人生の目的)と仮(どう生きる=生きる手段)が明らかになるのは同時 (28)人生の目的完成してからの 親鸞聖人の生きざま ・三十一歳で、肉食妻帯を断行。激しさ、厳しさは、言動に顕著にあらわれ、文字はカミソリで書いたように鋭い ・越後流刑の原因は何か――知られざる真因 ・「私か死んだら、賀茂河に捨てて魚に食べさせるがよかろう」 ・独り生れ 独り死ぬ 独り来て 独り去る 独りゆかれた 親鸞聖人 あとがき |
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