歴史から消された 日本人の美徳 |
黄文雄・著 青春出版社 2004年刊 |
犠牲の精神を生み出した「和の心」 人が重要な決断をしたり勝負をかけるときは、天の時、地の利、人の和、と唱えたりする。もともと中国の兵法書から来た言葉で、戦いに勝つためにはこの三つの条件が揃わなければおぼつかないという意味である。ここから日常生活でもここ一番というときは、天、地、人の状態に気を付けようという生活の知恵にもなっている。 天時とは時間のことで、好運、時機、チャンスを見計らうことを指す。日本でいえば潮時ということになろうか。天運や天命などにも通じているので、どうにもならないものとしてとらえられる場合もあるが、人の意志は天に勝つという考え方もあり、超人的な積極性の発揮を鼓舞するという意味合いもある。天が味方をした、天に見放されたなどといったりする。 地の利は空間的な概念で立地条件でもある。兵法的にいえば、城を険しい山上に建て、周りに堅固な城壁を築き、激しい流れに守られるというのが、地の利を得ているということである。「高に居て、下を臨み、その勢は破竹の如し」という兵法の用語も、この地の利を語るものである。 人は人間だが、人の和、すなわちチームワークなくして戦いには勝てないということである。孟子の言葉に「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」(『孟子』公孫丑篇)がある。これは天の時、地の利、人の和のなかで、人の和が最も肝心であると説くものだが、聖徳太子が憲法十七条で定めた「和をもって貴しとす」という言葉のほうが、日本人にはおなじみのものだろう。日本人全体の座右の銘といっても良いような言葉である。 また、武田信玄がいうところの「人は城、人は石垣」とは、人の和の大切さを強調するものだ。 人間最大の不和は、戦争である。万国が戦争を避けようとしても、一国だけでもその気がなければ平和は得られない。その逆に一国だけが平和主義を唱えても、現実には平和は得られず空想に過ぎないということになる。なぜなら平和を保つには、戦争以上のエネルギーが必要だからだ。一国だけの力では、万国を相手に平和に過ごすことは不可能であろう。 人の和は、自分一人が和の気持ちをもっているだけでなく、和気藹々、すなわちその場にいるものとその気持ち、気分を共有しなければ実現しない。 不戦を死と口にしても、不平等や偏りや、不正、不足、不満が存在する限り、「和をもって貴しとす」ることは、なかなか難しい。 プロシアの名参謀H・V・モルトケは「永久平和はただの夢だ。戦争は神が世界秩序を構成する際の一要素に過ぎない。戦争で人間の最も高貴な道徳が発揮される。勇気、克己心、生命そのものを喜んで捧げる犠牲の精神などがそれである。戦争がなければ世界は唯物主義に堕してしまうに違いない」と語っている。 また、文明論者のシュペングラーは「世界平和は大多数の人々が抱く私的な戦争放棄ということを含むとともに、戦争を放棄しない他国の餌食になる用意もそのなかに含まれている。また平和主義とは、生来の非平和主義者に支配を任せることになる。しかし現実の歴史には、いかなる和解も存在はしない。平和主義はただの現実逃避と自己欺瞞に過ぎない」という。 どちらも重い言葉である。「和」は貴いものには違いないが、人の和を求めることは難しい。聖徳太子が「和」を憲法十七条の第一条に定めた背景には、当時激しい政争が繰り広げられていたことがある。当時の宮廷には仏教の受け入れに関して、有力氏族同士の対立があった。聖徳太子は仏教を強力に支持する蘇我氏側に参軍し、仏教反対派の物部、大伴両氏を滅ぼした。聖徳太子は仏教の理念に基づいて、「争い」を治めるために、新しい国政の方針として「和」を理念に掲げざるを得なかったのだ。 しかし、運命は皮肉なもので、聖徳太子の遺児、山背大兄一族は、蘇我入鹿に滅ぼされたのだ。山背大兄の一族は「和をもって貴し」とする原則を守るために、「兵を集めて戦えば人々を死傷させることになる」と不戦の方針を取り、無抵抗主義を貫いたために、集団自殺に等しい事態を招いた。 おそらくモルトケやシュペングラーの「平和主義」批判も、そうしたどこにでもある人類の歴史を踏まえてのもので、それでも平和を唱えるのは現在の日本の空想的、念仏的平和主義者だけではないだろうか。 |
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