古代霊は語る
シルバー・バーチ霊訓より
近藤千雄・訳編 潮文社 
はじめに

 シルバー・バーチというのは、英国のハンネン・スワッハー・ホームサークルという家庭交霊会において、1920年代後半から50年余りにわたって教訓を語り続けてきた古代霊のことで、紀元前1,000年ごろ地上で生活したということです。
 もちろん仮りの呼び名です。これまで本名すなわち地上時代の姓名を教えてくれるよう何度かお願いしましたが、その都度、
 「それを知ってどうしようというのですか。戸籍調べでもなさるおつもりですか」と皮肉っぽい返事が返ってくるだけです。そして、
 「人間は名前や肩書きにこだわるからいけないのです。もしも私が歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことに一段と箔(はく)がつくと思われるのでしょうが、それは非常にタチの悪い錯覚です。前世で私が王様であろうと乞食であろうと、大富豪であろうと奴隷であろうと、そんなことはどうでもよろしい。私の言っていることが成るほどと納得がいったら真理として信じて下さい。そんなバカな、と思われたら、どうぞ信じないで下さい。それでいいのです」というのです。今ではもう本名の詮索はしなくなりました。
 霊視家が画いた肖像画は北米インディアンの姿をしていますが、これには三つの深い意味があります。
 ひとつは、実はそのインディアンがシルバー・バーチその人ではないということです。インディアンは言わば霊界の霊媒であって、実際に通信を送っているのは上級神霊界の高級霊で、直接地上の霊媒に働きかけるには余りに波長が高すぎるので、その中継役としてこのインディアンを使っているのです。
 もう一つは、その中継役としてインディアンを使ったのは、とかく白人中心思考と科学技術文明偏重に陥りがちな西洋人に対し、いい意味での皮肉を込めていることです。
 むろん、それだけが理由の全てではありません。インディアンが人種的に霊媒としての素質においてすぐれているということもあります。そのことは同じ英国の著名な霊媒エステル・ロバーツ女史の司配霊レッド・クラウド、グレイス・クック女史の司配霊ホワイト・イーグルなどがともに(男性の)インディアンであることからも窺えます。
 そして表向きはそのことを大きな理由にしているのですが、霊言集を細かく読み返してみますと、その行間に今のべた西洋人の偏見に対するいましめを読み取ることが出来ます。
 さらにもう一つ注意しなければならないことは、どの霊姿を見る場合にも言えることですが、その容姿や容貌が必ずしも現在のその霊そのものではなく、地上時代の姿を一時的に拵えて見せているにすぎないことが多いことです。シルバー・バーチの場合も、地上に降りる時だけの仮化粧と考えてよいでしょう。
 さて、シルバー・バーチの霊訓は「霊言集」の形でこれまで11冊も出版されております。ホームサークルの言葉どおり、ロンドンの質素なアパートでの非常に家庭的な雰囲気の中で行なわれ、したがって英国人特有の内容や、その時代の世相を反映したものが多くみられます。たとえば第二次世界大戦勃発の頃は「地上の波長が乱れて連絡がとれにくい」とか、「連絡網の調子がおかしいので、いま修理方を手配しているところだ」といった興味ぶかい言葉も見られます。
 何しろ1920年代に始まり半世紀以上にわたって連綿と続けられてきたのですから、量においても質においても大変なものがあります。
 そこで私は、あまりに特殊で日本人には関心のもてないものは割愛し、心霊的教訓として普遍的な内容のものを拾いながら、同時に又、理解の便を考慮して、他の箇所で述べたものでも関連のあるものをないまぜにしながら、易しくそして親しく語りかける調子でまとめていきたいと思います。「訳編」としたのはそのためです。
 重厚な内容をもつ霊界通信の筆頭は何といってもモーゼスの「霊訓」であり、学究的内容をもつものの白眉としてはマイヤースの「永遠の大道」があげられます。後者には宇宙的大ロマンといったものを感じさせるものがあります。
 私事にわたって恐縮ですが、東京での学生時代やっとのことで両書の原典を英国から取り寄せ、宝物でも手にしたような気持で、大学の授業をそっちのけにして、文字通り寝食を忘れて読み耽った時期がありました。
 特に「永遠の大道」はその圧巻である「類魂」の章に読み至った時、壮大にしてしかもロマンに満ちた宇宙の大機構にふれる思いがして思わず全身が熱くなり、感激の涙が溢れ出て、しばし随喜の涙にくれたのを思い出します。
 「霊訓」は非常に大部でしかも難解です。浅野和三郎訳のものがありますが部分的な抄訳にすぎません。何しろ総勢50名から成る霊団が控え、その最高指導霊であるイムペレーター (もちろん仮名)は紀元前5世紀に地上で生活した人物――実は旧約聖書に出てくる予言者マラキ――です。筆記者すなわち直接霊媒の腕を操った霊はかなり近代の人物が担当していますが、イムペレーターの古さに影響されてか、文章に古典的な臭いがあります。もっともそれが却って重厚味を増す結果となっているとも言えますが……。
 それに比べるとシルバー・バーチの霊訓はいたって平易に心霊的真理を説いている点に特徴があります。モーゼスとマイヤースが主として自動書記を手段としたのに対し、霊言現象という手段をとったことがその平易さと親しみ易さの原因と考えてもよいでしょう。
 私はこれを、さきほど述べたように、1冊の原書を訳すという形式ではなく、11冊の霊言集をないまぜにしながら、平たく分かり易く説いていく形で進めたいと考えます。
 時には前に述べたことと重複することもありましょう。それは原典でも同じことで、結局は一つの真理を角度を変えて繰り返し説いているのです。
 さらに私は、必要と思えば他の霊界通信、たとえばモーゼスやマイヤースの通信などからも、関連したところをどしどし引用するつもりです。大胆な試みではありますが、シルバー・バーチの霊訓の場合はその方法が一ばん効果的であるように思うのです。

 ここで、まことに残念なことを付記しなければならなくなりました。本稿執筆中の1981年7月、シルバー・バーチの霊言霊媒であったモーリス・バーバネル氏が心不全のため急逝されたとの報が入りました。急逝といっても、あと1つで80歳になる高齢でしたから十分に長寿を全うされ、しかも死の前日まで心霊の仕事に携わっていたのですから、本人としては思い残すことはなかろうと察せられますが、われわれシルバー・バーチファンにとっては、もっともっと長生きして少しでも多くの霊言を残してほしかった、というのが正直な心境です。
 特に私にとっては、その半年前の1月にロンドンでお会いしたばかりで。あのお元気なバーバネルさんが……としばし信じられない気持でした。あの時、バーバネル氏の側近の一人が私に「あなたの背後にはこんどの渡英を非常にせかせた霊がいますね」と言ったのを思い出します。その時の私は何のことかわかりませんでしたが、今にして思えば、私の背後霊がバーバネル氏の寿命の尽きかけているのを察知して私に渡英を急がせたということだったようです。
 同時にそれは、私にシルバー・バーチの霊訓を日本に紹介する使命の一端があるという自覚を迫っているようでもあります。氏の訃報に接して本稿の執筆に拍車がかかったことは事実です。
 氏の半世紀余りにわたる文字通り自我を滅却した奉仕の生涯への敬意を込めて、本書を少しでも立派なものに仕上げたいと念じております。
 心霊はコマーシャルとは無縁です。一人でも多くの人に読んでいただくに越したことはありませんが、それよりも、関心をもつ方の心の飢えを満たし、ノドの渇きを潤す上で本書が少しでもお役に立てば、それがたった一人であっても、私は満足です。
 
 
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