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第3章 再生 ――生まれ変わり―― | ||
再生についてのシルバー・バーチの回答 A まず再生は自発的なのか、それとも果たすべき目的があってやむを得ず再生するのかという問いに対して、シルバー・バーチはその両方だと答えます。ということは、要するにそれなりの意味があって、それが得心がいったから再生するということかと聞かれて、まさにその通りだと答えます。それから次のような応答が展開します。 問 ということは、つまりは強制的というわけですね。 ●シルバー・バーチ 強制的という言葉の意味が問題です。誰かから再生しろと命令されるのであれば強制的と言ってもいいでしょうが、別にそういう命令が下るわけではありません。 ただ地上で学ばねばならない教訓、果たすべき仕事、償うべき前世の過ち、施すべきでありながら施さなかった親切、こうしたものを明確に意識するようになり、今こそそれを実行するのが自分にとって最良の道だと自覚するようになるのです。 問 死後は愛のきずなのある者が生活を共にすると聞いておりますが、愛する者が再生していったら、残った者との間はどうなるのでしょう。 ●シルバー・バーチ 別に問題はありません。物質的な尺度で物事を考えるから、それが問題であるかのように思えてくるのです。何度も言っていることですが、地上で見せる個性は個体全体からみればホンの一部分にすぎません。私はそれを大きなダイヤモンドにたとえています。一つのダイヤモンドには幾つかの面があり、そのうちの幾つかが地上に再生するわけです。すると確かに一時的な隔絶が生じます。つまりダイヤモンドの一面と他の面との間には物質という壁が出来て、一時的な分離状態になることは確かです。が愛のきずなのあるところにそんな別れは問題ではありません。 問 霊魂は一体どこから来るのですか。どこかに魂の貯蔵所のようなものがあるのですか。地上では近ごろ産児制限が叫ばれていますが、作ろうと思えば子供はいくらでも作れます。でもその場合、魂はどこから来るのですか。 ●シルバー・バーチ こう申しては何ですが、あなたの問いには誤解があるようです。あなた方が霊魂をこしらえるのではありません。人間がすることは、霊魂が自己を表現するための器官を提供することだけです。生命の根源である“霊”は無限です。無限なるものに個性はありません。 その一部が個体としての表現器官を得て地上に現われる。その表現器官を提供するのが人間の役目なのです。“霊”は永遠の存在ですから、あなたも個体に宿る以前からずっと存在していたわけです。が個性を具えた存在、つまり個体としては受胎の瞬間から存在を得ることになります。霊界にはすでに地上生活を体験した人間が大勢います。その中にはもう一度地上に来て果たさねばならない責任、やり直さなければならない用事、達成しなければならない仕事といったものを抱えている者が大勢います。そして、その目的のための機会を与えてくれる最適の身体を探し求めているのです。 問 人間の霊も原始的段階から徐々に進化して来たものと思っていましたが…… ●シルバー・バーチ そうではありません。それは身体については言えますが、霊は無始無終です。 問 古い霊魂と新しい霊魂との本質的な違いはどこにありますか。 ●シルバー・バーチ 本質的な違いは年輪の差でしょう。当然のことながら古い霊魂は新しい霊魂より年上ということです。 問 類魂の一つ一つを中心霊の徳性の表現とみてもいいでしょうか。 ●シルバー・バーチ それはまったく違います。どうも、こうした問いにお答えするのは、まるで生まれつき目の不自由な方に晴天の日のあの青く澄み切った空の美しさを説明するようなもので、たとえるものがないのですから困ります。 問 それはフレデリック・マイヤースのいう類魂と同じものですか。 ●シルバー・バーチ まったく同じです。ただし、単なる霊魂の寄せ集めとは違います。大きな意識体を構成する集団で、その全体の進化のために各自が物質界に体験を求めてやって来るのです。 問 その意識の本体に戻った時、各霊は個性を失うのではないかと思われますが……。 ●シルバー・バーチ 川が大海へ注ぎ込んだ時、その川の水は存在が消えるでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏している時、バイオリンならバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか。 |
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