古代霊は語る
シルバー・バーチ霊訓より
近藤千雄・訳編 潮文社 
第3章 再生 ――生まれ変わり――

 再生に関するシルバー・バーチの回答 E

 物質界に誕生する霊としない霊とがいるのはなぜですか。
シルバー・バーチ
 霊界の上層部、つまり神庁には一度も物質界に降りたことのない存在がいます。その種の霊にはそれなりの宇宙での役割があるのです。物質器官を通しての表現を体験をしなくても生長進化を遂げることが出来るのです。当初から高級界に所属している神霊であり、時としてその中から特殊な使命を帯びて地上に降りてくることがあります。歴史上の偉大なる霊的指導者の中には、そうした神霊の生まれ変わりである場合がいくつかあります。


 大きな業(カルマ)を背負って生まれて来た人間が、何かのキッカケで愛と奉仕の生活に入った場合、その業がいっぺんに消えるということは有り得ますか。
シルバー・バーチ
 自然法則の根本はあくまでも原因と結果の法則、つまり因果律です。業もその法則の働きの中で消されていくのであって、途中の過程を飛び越えていっぺんに消えることはありません。原因があればかならずそれ相当の結果が生じ、その結果の中に次の結果を生み出す原因が宿されているわけで、これはほとんど機械的に作動します。質問者がおっしゃるように、ある人が急に愛と奉仕の生活に入ったとすれば、それはそれなりに業の消滅に寄与するでしょう。しかし、いっぺんにというわけには行きません。愛と奉仕の生活を積み重ねていくうちに徐々に消えていき、やがて完全に消滅します。業という借金をすっかり返済したことになります。


 戦争とか事故、疫病などで何万もの人間が死亡した場合も業だったのだと考えるべきでしょうか。もって生まれた寿命よりも早く死ぬことはないのでしょうか。戦争は避けられないのでしょうか。もし避けられないとすると、それは国家的な業ということになるのでしょうか。
シルバー・バーチ
 業というのは詰まるところは因果律のことです。善因善果、悪因悪果というのも大自然の因果律の一部です。その働きには何者といえども介入を許されません。これは神の公正の証として神が用意した手段の一つです。もしも介入が許されるとしたら、神の公正は根底から崩れます。因果律というのは行為者にそれ相当の報酬を与えるという趣旨であり、多すぎることもなく少なすぎることもないよう配慮されています。それは当然個人だけでなく個人の集まりである国家についても当てはまります。次に寿命についてですが、寿命は本来、魂そのものが決定するものです。しかし個人には自由意志があり、また、もろもろの事情によって寿命を伸び縮みさせることも不可能ではありません。戦争が不可避かとの問いですが、これはあなたがた人間自身が解決すべきことです。自由意志によって勝手なことをしながら、その報酬は受けたくないというようなムシのいい話は許されません。戦争をするもしないも人間の自由です。が、もし戦争の道を選んだら、それをモノサシとして責任問題が生じます。


 寿命は魂そのものが決定するとおっしゃいましたが、すべての人間にあてはまることでしょうか。たとえば幼児などはどうなるのでしょう。判断力や知識、教養などが具わっていないと思うのですが……
シルバー・バーチ
 この世に再生する前の判断力と、再生してからの肉体器官を通じての判断力とでは大きな差があります。もちろん再生してからの方が肉体器官の機能の限界のために大きな制限を受けます。しかし大半の人間は地上で辿るべき道程について再生前からあらかじめ承知しています。


 地上で辿るべきコースがわかっているとすると、その結果得られる成果についてもわかっているということでしょうか。
シルバー・バーチ
 その通りです。


 そうなると、前もってわかっているものをわざわざ体験しに再生することになりますが、そこにどんな意義があるのでしょうか。
シルバー・バーチ
 地上に再生する目的は、地上生活から戻って来て霊界で行うべき仕事があって、それを行うだけの霊的資格(実力)をつけることにあります。前もってわかったからといって、霊的進化にとって必要な体験を身につけたことにはなりません。たとえば世界中の書物を全部読むことは出来ても、その読書によって得た知識は、体験によって強化されなければ身についたとは言えますまい。霊的生長というのは実際に物ごとを体験し、それにどう対処するかによって決まります。その辺に地上への再生の全目的があります。


 航空機事故のような惨事は犠牲者及びその親族が業を消すためなのだから前もって計画されているのだという考えは、私にはまだ得心がいきませんが……
シルバー・バーチ
 ご質問はいろいろな問題を含んでおります。まず「計画されている」という言い方はよくありません。そういう言い方をすると、まるで故意に、計画的に、惨事をひき起こしているように聞こえます。すべての事故は因果律によって起こるべくして起きているのです。その犠牲者――この言い方も気に入りませんが取り敢えずそう呼んでおきます――の問題ですが、これには別の観方があることを知って下さい。つまり、あなたがたにとって死はたしかに恐るべきことでしょう。が私たち霊界の者にとっては、ある意味でよろこぶべき出来ごとなのです。赤ちゃんが誕生すればあなたがたはよろこびますが、こちらでは泣き悲しんでいる人がいるのです。反対に死んだ人は肉体の束縛から解放されたのですから、こちらは大よろこびでお迎えしています。次に、これはあなた方には真相を理解することは困難ですが、宿命というものが宇宙の大機構の中で重大な要素を占めているのです。これは運命と自由意志という相反する二つの要素が絡み合った複雑な問題ですが、二つとも真実です。
 つまり運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されているわけです。説明の難かしい問題ですが、そう言い表わすほかにいい方法が思い当たりません。


 事故が予知できるのはなぜでしょう。
シルバー・バーチ
 その人が一時的に三次元の物的感覚から脱して、ホンの瞬間ですが、時間の本来の流れをキャッチするからです。大切なことは、本来時間というのは「永遠なる現在」だということです。このことをよく理解して下さい。人間が現在と過去とを区別するのは、地上という三次元の世界の特殊事情に起因するのであって、時間には本来過去も未来もないのです。三次元の障壁から脱して本来の時間に接した時、あなたにとって未来になることが今現在において知ることが出来ます。もっとも、そうやって未来を予知することが当人にとってどういう意味をもつかは、これはまた別の問題です。単に物的感覚の延長にすぎない透視、透聴の類いの心霊的能力によっても予知できますし、霊視・霊聴の類いの霊感によっても知ることができます。psychicsと spiritualは同じではありません。いわゆるESP(Extra Sensory Perception 超感覚的知覚)は人間の霊性には何のかかわりはなく、単なる五感の延長にすぎないことがあります。


 占星術というのがありますが、誕生日が人の生涯を司配するものでしょうか。
シルバー・バーチ
 およそ生命あるものは、生命をもつが故に何らかの放射を行なっております。生命は常に表現を求めて活動するものです。その表現は昨今の用語で言えば波長とか振動によって行なわれます。宇宙間のすべての存在が互いに影響し合っているのです。雷雨にも放射活動があり、人体にも何らかの影響を及ぼします。言うまでもなく太陽は光と熱を放射し、地上の生命を育てます。木々も永年にわたって蓄えたエネルギーを放射しております。
 要するに大自然すべてが常に何らかのエネルギーを放射しております。従って当然他の惑星からの影響も受けます。それはもちろん物的エネルギーですから、肉体に影響を及ぼします。しかし、いかなるエネルギーも、いかなる放射性物質も、霊魂にまで直接影響を及ぼすことはありません。影響するとすれば、それは肉体が受けた影響が間接的に魂にまで及ぶという程度にすぎません。


 今の質問者が言っているのは、たとえば2月1日に生まれた人間はみんな同じような影響を受けるのかという意味だと思うのですが……
シルバー・バーチ
 そんなことは絶対にありません。なぜなら霊魂は物質に勝るものだからです。肉体がいかなる物的影響下におかれても、宿っている霊にとって征服できないものはありません。もっともその時の条件にもよりますが。いずれにせよ肉体に関するかぎり、すべての赤ん坊は進化の過程の一部として特殊な肉体的性格を背負って生まれてきます。それは胎児として母体に宿った日や地上に出た誕生日によって、いささかも影響を受けるものではありません。しかし、そうした肉体的性格や環境の如何にかかわらず、人間はあくまでも霊魂なのです。霊魂は無限の可能性を秘めているのです。その霊魂の本来の力を発揮しさえすれば、如何なる環境も克服しえないことはありません。もっとも、残念ながら、大半の人間は物的条件によって霊魂の方が右往左往させられておりますが……
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]