古代霊は語る
シルバー・バーチ霊訓より
近藤千雄・訳編 潮文社 
第6章 動物の進化と死後の生命

 動物愛護に対する人間の責任

 以上がシルビア・バーバネル著『動物の死後』に収録されているシルバー・バーチの霊言です。霊言集にも動物に言及したものは無いことはないのですが、ここに紹介したものがいちばんまとまっているようです。
 では最後に、英国のテレビ番組「サファリ」を制作したデニス夫妻を招待してシルバー・バーチが讃辞を述べた時の様子が霊言集に見えますので、これを紹介したいと思います。夫妻は熱心なスピリチュアリストとして有名です。

 あなた方(デニス夫妻)は、肉体に閉じ込められて霊覚が邪魔されているので、ご自分がどれほど立派な仕事をされたかご存知ないでしょう。お二人は骨の折れるこの分野を開拓され、人間と動物との間に同類性があり従ってお互いの敬意と寛容と慈しみが進化の厳律であることを見事に立証されました。
 大自然を根こそぎにし、荒廃させ、動物を殺したり片輪にしたりするのは。人間のすべきことではありません。強き者が弱き者を助け、知識あるものが無知なるものを救い、陽の当たる場所にいる者が地上の片隅の暗闇を少しでも少なくするために努力することによって、自然界の全存在が調和のある生命活動を営むことこそ、本来の姿なのです。
 その点、あなた方は大自然の大機構の中での動物の存在意義を根気よく紹介され、正しい知識の普及によく努力されました。それこそ人間の大切な役割の一つなのです。地上の難題や不幸や悲劇の多くが、人間の愚かさと欺瞞によって惹き起こされていることは、残念ながら真実なのです。
 慈しみの心が大切です。寛容の心を持たなくてはいけません。自然破壊ではなく、自然との調和こそ理想とすべきです。人間が争いを起こすとき、その相手が人間同士であっても動物であっても、結局は人間自身の進化をおくらせることになるのです。人間が争いを起こしているようでは自然界に平和は訪れません。
 平和は友好と一致と協調の中にこそ生まれます。それなしでは地上は苦痛の癒える時がなく、人間が無用の干渉を続けるかぎり、災害はなくなりません。人間には神の創造の原理が宿っているのです。だからこそ人間が大自然と一体となった生活を営む時、地上に平和が訪れ、神の国が実現するのです。
 残酷は残酷を呼び、争いは争いを生みます。が愛は愛を生み、慈しみは慈しみを生みます。人間が憎しみと破壊の生活をすれば、人間みずからが破滅の道を辿ることになります。諺にも「風を播いてつむじ風を刈る」と言います。悪いことをすればその何倍もの罰をこうむることになります。
 何ものに対しても憎しみを抱かず、すべてに、地上のすべての生命あるものに愛の心で接することです。それが地上の限りない創造進化を促進するゆえんとなります。くじけてはなりません。あなた方の仕事に対して人はいろいろと言うでしょう。無理解、無知、他愛ない愚かさ、間抜けな愚かさ、心ない誹謗等々。これには悪意から出るものもありましょうし、何も知らずに、ただ出まかせに言う場合もあるでしょう。それに対するあなたがたの武器は、ほかならぬ心霊知識であらねばなりません。所詮はそれが全ての人間の生きる目的なのです。心霊知識を理解すれば、あとは欲の皮さえつっぱらなければ、神の恩恵に浴することが出来るのです。
 お二人は多くの才能をお持ちです。まだまだ動物のために為すべき仕事が山ほど残っております。地上の生命は全体として一つのまとまった生命体系を維持しているのであり、そのうちのどれ一つを欠いてもいけません。お二人が生涯を傾けている動物は、究極的には人間が責任を負うべき存在です。なぜなら人間は動物と共に進化の道を歩むべき宿命にあるからです。共に手を取り合って歩かねばならないのです。動物は人間の食欲や道楽の対象ではないのです。動物も進化しているのです。
 自然界の生命は全てが複雑にからみ合っており、人間の責任は、人間同士を越えて、草原の動物や空の小鳥にまで及んでいます。抵抗するすべを知らない、か弱い存在に苦痛を与えることは是非とも阻止しなくてはいけません。
 装飾品にするために動物を殺すことは神は許しません。あらゆる残虐行為、とりわけ無意味な殺生は絶対にやめなければなりません。物言わぬ存在の権利を守る仕事に携わる者は、常にそうした人間としての道徳的原理にうったえながら戦わなくてはいけません。小鳥や動物に対して平気で残酷なことをする者は、人間に対しても平気で残酷なことをするものです。
 動物への残忍な行為を見て心を痛め涙を流す人は、いつかはきっと勝つのだという信念のもとに、勇気をもって動物愛護のための仕事を続けて下さい。多くの残酷な行為が無知なるが故に横行しています。そうした行為は霊的知識を知って目が覚めれば、たちどころに消えてしまうのです。さらに、一つの霊的知識に目覚めると、その知識の別の意味にも目覚めてくるものです。そうやって心が目を覚ました時こそ、魂が真の自由への道を歩み始めた時でもあるのです。
 
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