日本国民に告ぐ
誇りなき国家は、滅亡する
小室直樹・著 ワック出版 
第6章 日本人の正統性、復活のために

 人生の方程式に「正解」はない

 先に述べたように、現在の試験制度、受験地獄がもたらした最大の歪みは、子どもたちの連帯を引き裂き、「急性アノミー」を拡大再生産したことだ。加えて、もう一つの問題は、学生が問題にはかならず「正解」があると思い込んでしまうことである。しかも、「正解」は決まって一つしかないと考えてしまうことだ。
 これがいかに恐ろしいことか。数学の方程式の問題を例に考えてみたい。拙著『数学を使わない数学の講義』(ワック出版)でも述べたが、入試の弊害を考えるうえで有益な論点なのでここで再説する。
 学生が使っている数学の教科書や問題集に載っている問題は、いずれも「解」のある方程式、しかも解ける方程式である。入試で出題される方程式も同様である。
 しかし、代数方程式その他の初等(関数の)方程式にせよ微分方程式にせよ、方程式がかならず「解」を持つとはかぎらない。持っていても所定の方法で解けるとはかざらない。むしろ「解」を持たないほうが、ふつうなのである。また、「解」があっても、求める方法がないために近似値しか求められない場合もある。
 本来なら、中学一年生の段階で、方程式がかならず「解」を持つとはかぎらないということをきちんと教えるべきなのだが、現実にはほとんどの学生が、方程式はかならず解けると思っている。「解ける方程式」にだけ慣らされている。だから、「解けない方程式」に出会うと右往左往するばかりで、どう対処してよいか分からなくなる。
 実生活で直面する問題に「正解」があるとはかぎらない。むしろほとんどの場合、「正解」は用意されていないと言ってよい。仮にあったとしても、「正解」が一つであるという保証はない。正解が一つであったとしても、求める方法がないために、近似値にしか近づけない場合もある。まさに「一寸先は闇」なのだ。その闇に果敢に立ち向かっていくための土台を築くことが本来の教育の目的なのである。
 ところが、受験勉強というプロセスの中で、問題にはかならず一つの正解があるという刷込みを受ければどうなるか。正解が用意されていない問題に直面したとき、右往左往するばかりで、どう対処してよいか分からなくなるではないか。
 日本人がすぐに思考停止するのはこのためである。けっして自分の頭で考えようとしない。右往左往しながら、誰かが正解を教えてくれるのを待ち望み、教えられたことだけを従順に信じこむのである。
 だから、日本人はアメリカが偉いとなったらアメリカだけ。南京大虐殺があったと教えられれば、鵜呑みにする。何が正しくて、何が正しくないかを判断する能力がなくなった。誰かが、これが絶対に正しいと言えば、盲目的についていく。その意味で象徴的だったのがオウム事件である。
 一流大学を卒業した四十代の医師が、「教祖」から地下鉄にサリンを撒けと言われたら、「ハイ」と撒く。事件の全容がしだいに明らかになるにつれ、世間は「なぜ、あんな真面目で優秀な人が」と驚いた。精神に狂いが生じたわけではない、アノミーなのである。
 オウム事件は、まさに現代日本の縮図であった。何でもアメリカ様の言うとおり。アメリカ様の言うことはすべて正しい。アメリカ様に逆らえば、地獄に落ちる……。「アメリカ」を「教祖」に置き換えれば、まったく同じ構造ではないか。
 
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