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第6章 日本人の正統性、復活のために | ||
「急性アノミー」を拡大再生産した共通一次試験 戦後日本に発生した「急性アノミー」を拡大再生産したのが、いわゆる受験戦争である。受験勉強は、なぜいけないのか。子どもたちが泣くのが可哀相というだけではない。最大の問題は、友だち、同世代の人間が全部敵になることだ。子ども同士の連帯がズタズタになる。若者にとって最も大切なのは、同じ年齢の人びととの連帯感。それが破壊されてしまった。 決定的だったのが、共通一次試験(現在のセンター試験)。共通一次が導入(昭和53年)されてから、早稲田、慶応をはじめとする私立の入試が急激にむずかしくなった。昔は「三流、四流」と評されていた大学まで「一流校」になった。 戦前の受験勉強は、中学校4年生、5年生が潜る試練だった。それですら弊害が大きかった。ところが戦後になって入試がますますむずかしくなった結果、高校3年間、大学入試の勉強に集中しないと、いい大学に合格しなくなった。 さらに、一流の高校に入らないと東大に合格できなくなった。その結果、一流高校に入るための激烈な受験戦争が生まれ、受験勉強が中学まで拡がった。これが大問題。三木内閣の文部大臣として共通一次試験の導入を推進した永井道雄こそ、戦後教育の「戦犯」である。 もう一人の戦犯が、小尾乕雄(おびとらお=東京都教育長)。「十五の春(高校入試)を泣かせない」と称して、学校群制度をつくった。そのとき、筆者は「今度は十二の春(中学入試)を泣かせることになる」と反対したが、この声は届かなかった。はたして、実際そのとおりになった。日比谷高校などの都立特権校がなくなった代わりに、私立特権校が誕生した。東京では、「御三家」と称される麻布・開成・武蔵などの有名私立校が中高一貫教育のシステムを採用していることから、「十五の春」は「十二の春」まで繰り下がった。 かつて共通一次試験や学校群制度の導入を提唱した人びとには、ぜひ、現在の中学受験の実態を研究してもらいたい。小学4年生か、四谷大塚などの受験塾に日参し、模擬試験を受けている姿を、その目で確かめていただきたい。 |
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