富士山噴火と南海トラフ
海をゆさぶる陸のマグマ
鎌田浩毅・著 講談社 
プロローク゛

 20××年、富士山噴火

 気象庁の大会議室で担当官が示したデータを目にした誰もが、言葉を失った。富士山に異変が起きているとの緊急電話を受けて、各省庁から参集した官僚たちだった。
 数日前から、富士山の直下では人が感じない程度の弱い地震が連続的に発生していた。そして、その場所は少しずつ、地表近くへと移動していた。さらに富士山の斜面に設置された傾斜計や、上空から富士山を監視するGNSS(全球測位衛星システム)などの観測結果はいずれも、富士山の山体がごくわずかではあるが膨らみはじめていることを示唆していた。
 これらはすべて、富士山の地下でマグマが上昇しはじめたことを物語っていた。すなわち富士山はまもなく、確実に噴火するのである。
 Xヵ月前に発生した南海トラフ巨大地震は、東海・近畿・四国・九州に壊滅的な打撃を与えていた。犠牲者数は内閣府が「最悪の想定」としていた約32万人に近づきつつある。2011年の東日本大震災を10倍も上回る激甚災害は、緊急閣議で「西日本大震災」と命名された。令和改元に東京オリンピック――新しい時代が華やかに幕を開けた頃が遠い昔日のように思われた。
「まさかこんなときに、本当に富士山が噴火するなんて……」
 この場に集まった面々は、いずれも危機管理のエキスパートだ。南海トラフ巨大地震が起これば富士山が連動して噴火する可能性が高いことを、知識としては理解していた。それでも、巨大地震に富士山噴火が追い打ちをかけるなどという事態を、容易には受け入れられなかった。
 同じ会議室では火山学者たちが、富士山噴火の被害を懸命にシミュレーションしていた。富士山が最後に噴火した1707年の宝永噴火は、マグマの噴出量が富士山の噴火史上2番目という大噴火だった。そしてこのときも、49日前に宝永地震と呼ばれる南海トラフは大地震が起きていた。もしもいま、江戸時代と同規模の大噴火が起これは、どれだけの被害になるのか――。
 たとえば富士山の麓では、「噴石」の直撃によって約1万3600人、「泥流」と呼ばれる土砂の流れで最大7200人が死傷するという。すでに富士山を取り巻く山梨・静岡両県内の市町村の全戸にはハザードマップ(火山災害予測図)が配布されているが、パニックを起こさずにすべての住民を安全に避難させることは至難の業だろう。
 しかし、富士山噴火の「本当の恐怖」は、富士山から100キロメートル離れた首都・東京にこそ現れる。大量に降り注ぐ火山灰が、都市機能を停止させるからだ。宝永噴火との決定的な違いがそこにある。ハイテク化された現代社会は、火山灰に対してあまりにも脆弱で無防備なのだ。
 まず、交通機関がマヒする。とくに痛手なのは航空機だ。エンジンが火山灰を吸いこむと墜落する危険があるため、南関東の全空域は飛行禁止となる。また、送電線に火山灰が数ミリメートル積もるだけで停電が起き、火力発電所もフィルターの目詰まりを起こして発電力が大きく低下する可能性も否定できない。
 さらに恐ろしいのは、さまざまなシステムを制御するコンピュータの細かい隙間に火山灰が入り込み、首都圏の機能がほぼ停止してしまうことだ。もしもいま、西日本大震災の被災者を医療や物資などで支えている首都圏が機能不全に陥れば、国家存亡の危機を迎えることになる。
 唯一の救いは、噴火は地震と異なり前兆が捉えられるので、少なくとも数週間程度の猶予が見込めることだ。残された時間でどれだけの対策を講じられるかに、日本の命運がかかっていた。
 やるしかないIなすべきことの重大さを理解した彼らは、使命感を腹にしまい、黙々とそれぞれの持ち場へ散っていった。
 霞ヶ関、永田町、丸の内、さらに兜町といった日本の政治経済の中枢の面々が、東奔西走を開始した。噴火災害を事前に迎え撃つ――世界でも類のないプロジェクトの始動だった。
「ゴッ、ゴオッ!」
 その瞬間、「日本中すべての」と言っても過言ではない数の人々が、テレビ画面に釘づけになっていた。映し出されていたのは、あの「霊峰」富士が、地鳴りのような轟音とともに火山灰を噴き上げる姿だった。灰色がかった噴煙の柱が、山の中腹から天の頂をめざして立ち昇っていく。
 やがて東京にも西の空から、台風の雲などとはまったく様相が異なる、黒い火山灰をたっぷりと含んだ不気味な雲が偏西風に乗って接近してきた。
 いま、この大スペクタクルを目撃している人の多くは、心のどこかで不安とともに、ある種の高揚をおぼえていた。しかし、スマホで夢中になって写真を撮っている彼らは、まだ気づいていない。富士山噴火の「本当の恐怖」が、数時間後の自分の身にも迫りつつあることに。
 やがて都心にも、ゆっくりと火山灰が降りはじめた。まだ日が高いのに暗くなった街に灯りがともる。だがそれも束の間、街灯も、信号機のランプも次々に消えた。銀行ではATMが止まり、地下鉄は異常信号を発して運行を停止した。道路ではおびただしい数の車が、積もった火山灰を巻き上げて足をとられ、大火災が発生したような状態になっていた。
 ほどなくして羽田・成田の両空港は閉鎖された。それどころか自衛隊の厚木基地も、災害救援のヘリコプターが出動できなくなってしまった。そこへ緊急速報が入る。富士山から南に流れ出た溶岩流が東名高速道路と東海道新幹線に向かっているという。もし溶岩の流れが止まらなければ、やがて空路ばかりか陸路も「日本の大動脈」が断ち切られ、東西日本は事実上分断される。
 だがここまでは、1ヵ月前に始動していたプロジェクトでも想定内だった。はたして巻き返しの策は功を奏するのか、それとも想定外の第二波があるのか――正念場はこれからだ。
 
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