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35 日本人の死生観 日本では古くから、あの世は何処にあると考えられていたのだろうか。『万葉集』の死者を偲んで歌われた挽歌によれば、海の彼方とか山の彼方、あるいは雲や霞の彼方とされていたようである。それらの彼方とは、日本各地に残る民間信仰によれば、海の向こうに霞んで見える島とか海の底とか、あるいは村落の裏山とか村境の向こうに広がる野とか、生活圏からそれほど遠く離れてはいない異境であった。そこに、先祖の霊が生活するあの世を思ったのである。 そのように古い時代の日本では、人間の生活世界の外側に広がる自然界に、しかもかなり身近なところにあの世があると想像された。あの世はこの世から隔絶した地ではなく、生活圏に隣接する野や山や海の自然にあって、いつでも往還が可能な世界と思われていた。 あの世にもこの世と同じような生活があると考えられた。ただ、あの世はこの世とは大きく異なり、常に豊かな恵みに満ちあふれた幸福な世界として思い描かれた。大漁も豊作も、商業的な繁栄すら、あの世からもたらされる恵みと信じられた。 日本各地にいまなお行なわれているさまざまなお祭りや祖霊迎え・祖霊送りの行事は、いずれもあの世から祖霊・カミを迎えては送りかえす儀礼として、古くから行なわれ続けてきたものだった。 あの世に住む祖先の霊―祖霊はカミとも呼ばれ、春や秋の季節の訪れとともに豊かな恵みをたずさえてこの世を訪れ、人々に祝福を与えるとまたあの世へ帰って行くものと信じられた。太陽の光が最も衰える冬至の日の夜に村々を訪れ、人々に恵みをもたらすとされる弘法大師の伝承も、そうした信仰を背景に生み出されたものだったろう。太陽は冬至の次の日から、その光――恵みの勢いを日を追うごとに盛んなものとしていくのである。 そこに私は、「人間はみな、あの世から射してくる光を浴びてこの世を生きている」という、無意識のうちに形づくられている世界観、生活感を感じないではいられない。光は太陽の光そのものでありながら、この世にあらゆる自然物を満ちあふれさせてくれている「いのちの素」だ。祖霊やカミはその「光=いのちの素」の別名でもあるだろう。 あの世は死後の世界でありながら、同時に、だれの未来にも約束されている理想郷である。この世に生きる人間は、その地からやってくる「光=いのちの素」の恵みを受けて生活を送る。そうしてしだいに光の方へと引き寄せられていって、やがては「光=いのちの素」と一つになっていく……。日本人は、そうした死生観を意識の底に深くもち抱えていると思う。 人は死ぬと先祖の霊と一緒になる――これを「人は死ぬとカミとなる」とも言った。そういう死生観があったために、仏教が入ってきてからは、「人は死ぬと仏になる」という言い方がされるようにもなった。人が死んで魂が肉体を離れ、魂があの世へ行くことを「成仏する」とも言い習わしてきた。 あの世とこの世とを往復するのは人間の魂についてだけではなく、人間以外の動物にも植物にも、土にも岩にも水にも、また雲・霧・風・雨などの自然現象にも、遠近に望む自然景観にも、一切の自然物について同じように考えられていた。『古事記』の神話からは、かつての日本にそうした死生観を当然とする時代のあったことがよく推測できる。 すべての自然物・自然現象には人間と同じように魂が宿っている。いずれも、死とともにあの世へ帰り、再びこの世へと生まれて来る。こうして常にあの世とこの世を行ったり来たりする魂の循環が信じられた。これを日本人の死生観の原型と見なしてよいだろう。 やがて日本に渡来した仏教は、こうした循環を超えた永遠の生命の獲得を説いたが、日本仏教は何よりも「草木国土悉皆成仏」という考え方に大きく特徴づけることができる。「あらゆる自然物はことごとく仏となれる」という考え方である。 インドの大乗仏教では、『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』が「一切衆生悉有仏性」という立場を説いた。 「すべての衆生(生類)はことごとく仏となる性質をそなえている」という主張である。しかし、この「衆生」は有情、つまり精神性(心)をもつ存在で、植物や無生物は入っていない。それに対して中国では、南部の江南地方に栄えた六朝の後期に、植物には精神性があるのかないのかが盛んに論じられ、道家の影響もあって「植物にも精神性がある、したがって仏になれる」という「草木成仏論」の主張が出されるようになったという。 これが日本に伝えられると、「草木」はもちろんのこと、「国土」も「山川」も、つまり無機物を含めた一切の自然物が仏性をもつ、仏になれるという考え方になっていく。日本における仏教の受容は、明らかに、すべての自然物には人間と同じように魂が宿っているという、太古からの日本人の死生観の絶大なる影響下でなされたと言えるだろう。そこに日本仏教の独自性を見ることができる。 |
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