白い人が仕掛けた黒い罠
高山正之・著 WAC
 
第5章 白い人が仕掛けた黒い罠 

 白人が裸足で逃げ出した

 しかし彼の飛行艇は翌日、真珠湾から西に飛ぶことはなかった。12月7日午前7時49分、オアフ島北方から侵入した日本海軍の第一陣183機が真珠湾に襲いかかり、係留されていた戦艦アリゾナ以下米太平洋艦隊を正確な雷撃で沈めていった。
 第2陣の163機も真珠湾周辺のヒッカム飛行場などに殺到して迎撃する米軍機を次々叩き落としていった。
 このときウ・ツーは自分たちと同じ肌の色をした日本人に攻撃され、自分たちがかしずき、ご主人様(タキン)と崇(あが)めてきた白人たちが青ざめて逃げ惑うのを確かに見た。ルイス・アレンの言う「白人が裸足で逃げ出す大異変」を目撃したと思った。
 ハワイ以西は戦争状態に入った・彼は来た道を逆にたどって東海岸に戻り、ニューヨークからロンドン経由でポルトガルに飛んだ。
 リスボンで飛行機を待つ間、彼は一人でこっそり日本公使館を訪ねた。
 外務省飯倉公館にその翌日の日付、昭和17年1月1日付の東郷外務大臣宛ての文書が残っている。
 発信人は「在リスボン千葉公使」で「12月31日ビルマ首相ウ・ソーが「ワイから引き返し、帰国の途次に公使館を訪問したこと」を伝えたうえで、ビルマ首相から日本政府への申し出が以下に綴られている。
「今やシンガポールの命運旦夕に迫りビルマ独立のための挙兵には絶好の機会と認められる。日本がビルマの独立尊重を確約すればビルマは満洲国の如く日本の指導下に立つ国として日本人とともに英国勢力の駆逐に当たる。日本の必要とする資源は悉く提供する用意あり」
 満洲の新京、奉天は日本の進出で秩序が確立され、都市暖房が普及し、工業生産は隣の支那をしのいでいた。英国が持ち込み、漢族が拡散させた麻薬禍も満洲では政府主導で消されつつあることを数年前に日本を訪問した時に聞いていた。
 ウ・ソーは日本を通してビルマに明るい将来を見ていた。
 波はリスボンから1月2日にジブラルタルへ飛び、そこから交戦地を避けてアフリカ経由で中東ハイファに向かった。
 しかしハイファに着いた1月12日、ウ・ソーは機内に乗り込んできた英軍兵士に引きずり下ろされる。逮捕容疑は宗主国英国に対する反逆罪だった。
 結論から言うと米国はリスボンの千葉公使が1月1日、2日と2回に分けて発信した暗号電報を傍受、解読していた。その内容を英国に伝え、英国は彼の旅程を調べてハイファで彼の到着を待っていたのだ。
 それが1月12日。傍受からほんの10日以内の間にここまで行われた。この事実は大きな意味を持つ。真珠湾からまだ3週間。マレー半島では日本軍が南下を続ける。香港は12月25日に陥落し、翌26日にはフィリピンのリンガエンに日本軍の主力が上陸している。太平洋で、アジアで、日本軍がどう動くか、諜報機関はその一点に集中して飛び交う何千もの暗号文を傍受していたと思われる。そのどれを解読するか。仕分けも大変だっただろう。
 そのさなかに遠く離れたリスボンの日本公館の暗号電報を米国が傍受していたことも驚きだし、そしてそれをファイル入れに取り置きもしないですぐに解読に回したことも驚きなら、出てきた答えをすぐに関係国、この場合は英国に伝えたのも驚きだ。
 
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