白い人が仕掛けた黒い罠
高山正之・著 WAC
 
第5章 白い人が仕掛けた黒い罠 

 「残らず処刑台に送れ」

 それを10日間以内にやった。それで分かることは一つ、日本の暗号などとっくに解読されていた。それは3週間前、つまり日米開戦を伝える極秘暗号電報だって苦労なしに解読していたということになる。
 上智大教授の根本敬によるとウ・ソーは捕まったさいに公使館が打った電報の全文を見せられたという。ただ、その時点で彼が日本と内通した廉(かど)で処分すれば日本側は暗号が解読されていることに気づく。権限はないとはいえ、曲がりなりにもビルマ首相だ。
 それで英国は表向きもっともらしい口実をつけてウ・ソーを解任し、彼をウガンダに幽閉した。そうすれば暗号解読の事実を日本側に悟られないで済む。 チャーチルはその措置が終わったあとルーズベルトに顛末を知らせ、彼がそれに答えた1942年4月16日付けの書簡が残っている。
「私はビルマ人がもともと嫌いです。あなた方もこの50年間、彼らに随分手を焼いたでしょう。幸いウ・ソーは今やあなた方の厳重な監禁下に置かれています。どうか一味を残らず捕えて処刑台に送り、自らまいた種を自分で刈り取らせるよう願っています」
 しかし英国はルーズベルトの言うようにウ・ソーをすぐには吊るさなかった。彼は戦後まで生かされ、ビルマに帰国している。
 帰国したとき、ビルマは英国から独立の約束を取り付け、英国がビルマを去るところだった。
 ルイス・アレンによれば英国がビルマ放棄を決断した最大の根拠は、英国が営々と築いたビルマの統治機構が崩され、国軍がモン族に代わって10万のビルマ人兵士で構成されたことだ。日本の支援でアウンサンが創り上げた軍隊だった。
 功労者のアウンサンは日本の旗色が悪くなった43年、すでに英国諜報部の「ヒュー・シーグラム少佐と接触していた」(ルイス・アレン『日本軍が銃をおいた日』)。日本が負ければビルマは元の木阿弥になる。ビルマ族の国を保つには今、日本を裏切って英国に貸しを作るしかなかった。弱小国のそれが生きる道だった。
 翌44年、日本軍はインパール作戦を発動した。アウンサンは協力を断った。シーグラムとの約束があったからだ。そして45年3月、彼は日本軍に叛旗を翻してビルマの生き残りを図った。
 
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