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第5章 白い人が仕掛けた黒い罠 | |||
暗殺者と犠牲者に仕立てる それでも英国にとってアウンサンはウ・ソーと並ぶ宗主国への叛徒に違いなかった。 アウンサンが戦後のビルマのリーダーを約束された1947年7月19日、アウンサンの主宰する閣僚会議場に4人のビルマ大青年が乱入して英軍の短機関銃でアウンサンら9人を射殺した。 英植民地政府はただちにウ・ソーをアウンサン暗殺グループの首魁として逮捕した。 これには伏線があった。英国はウガンダから連れ戻された反逆の徒ウ・ソーをなぜか重用した。戦前のことは水に流して首相の座に返り咲きさせることさえほのめかした。 そして間もなくウ・ソーが狙撃される事件が起きた。弾は彼の頭をかすっただけで命に別状はなかった。「ウ・ソーは彼の重用を嫉妬するアウンサンがその暗殺事件を仕組んだと深く信じた」(ヒュー・ティンカー・ボストン大教授) この暗殺未遂のあと、英国は掌を返してアウンサンに独立後のビルマを任せることを明らかにする。 当然、ウ・ソーは怒る。怒ったウ・ソーのもとに英軍大佐D・ビビアンが接近して短機関銃と拳銃、ジープを彼のために手配したことも判明する。 ビビアンはウ・ソーから提供された宝石に目が眩んだと証言し、その後、行方を絶った。 真珠湾を見た男はルーズベルトの死刑勧告から七年遅れで吊るされた。英国は英国の植民地統治に抵抗した2人の反逆者を同時に始末することができた。 ただ1人を暗殺犯に、もう1人をその犠牲者にするという出来過ぎのシチュエーションを本気で信じるビルマ人は1人もいない。 とくに被害者の身内は父の仇のように思って、将来、真相を暴きたてるような事態を招来しかねない。 アウンサンの忘れ形見スーチーが高校生になったとき、母は駐インド大使に任命された。 ニューデリーには偶然にも元ビルマ総督だった英外交官がいた。彼はスーチーの身元を引き受け、英国のオックスフォード大に入学させた。大学を出ると待っていたようにハンサムな英国人男性マイケル・エアリスを紹介し、2人は結婚した。スーチーは40歳近くまで生国ビルマに帰ることはなく、英国を第二の祖国と思い、父の暗殺犯は英国の歴史が言うウ・ソーだと堅く信じてきた。 彼女が信じるエンサイクロペディア・ブリタニカにはウ・ソーが真珠湾を見たという記述はない。英国の誇る歴史家クリストファー・ソーンも第二次大戦の詳細を伝えながら、やはりウ・ソーが真珠湾を見てハイファで捕えられる経緯は記述していない。 スーチーは今、祖国ビルマに戻り、英国流の人道主義に立って祖国の民主化に努めている。英国はそんなスーチーの姿を見て心からうまくいったと思っていることだろう。 彼女が軟禁されている自宅の近くに父アウンサンの銅像がある。馬上のアウンサンの姿は一目、昭和天皇の馬上のお写真を模したものと分かる。ウ・ソーを揺さぶった日本がそこに生き残っている。 |
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