白い人が仕掛けた黒い罠
高山正之・著 WAC
 
第8章 奴隷のいた国、いない国 

 朝鮮とキューバ

 1898年2月、アメリカの“自作自演”といわれる、米戦艦メイン号のハバナ湾爆沈事件が起きる。アメリカはこれを口実にキューバに介入する。アメリカは、軟弱なスペイン軍をやっつけてキューバに進駐すると、米国の傀儡政権をつくった。
 しかも憲法には「プラット条項」を入れる。これは「外交は米国の承認のもとでやれ」ということ。つまり、キューバに外交権はないということだ。そして、外交も貿易も、すべて米国の承認のもとに行う状況が、カストロ政権の誕生までつづくことになる。
 アメリカのこの「キューバ外交」を、日本は見習うべきだった。日本にとってみれば、朝鮮は日本の安全保障を脅かす存在なのだから、アメリカのように力ずくで手に入れて、傀儡政権をつくればよかった。
 日清戦争がおわったのとほぼ同時期に、「アメリカとキューバ」という、ものすごくいい見本があったにもかかわらず、日本は、「傀儡政権をつくる」よりも、「まともな独立国家になってくれ」という外交政策をとった。自国の安全保障を第一に非情な朝鮮潰しをやることにためらいがあったからだ。しかし、「本来の外交のやり方」という意味では、アメリカ流が正しい。
 日清戦争のあと日本がためらっているうちに、李氏朝鮮の高宗は、ロシアの公使館にこもって執務するようになる。そしてさらにロシア軍を引き込み、馬山浦(ばさんほ)を提供し、閔妃(みんぴ)にいたっては、ロシアに税関を渡してしまうという暴挙に出る。
 日本が日清戦争で朝鮮に独立を求めていたにもかかわらず、朝鮮は自分からロシアを引き込み、その植民地になろうとしている。日本にすれば、少し危ない「匕首(あいくち)」が「大鉈(おおなた)」になりそうになった。「これではダメだ」ということで、日露戦争がおきる。言ってみれば日露戦争も、「朝鮮」という“災いの国”が呼び込んだようなものだ。日露戦争で、日本人は9万7千人、そして日清戦争では3万人死んでいる。朝鮮の処理を誤ったために、のべ13万人もの日本人が死んだ。外交に本来は同情や憐憫は無用なのだ。
 
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