白い人が仕掛けた黒い罠
高山正之・著 WAC
 
第10章 白人はいつも肚(はら)黒い 

 残忍くらべ

 毎年8月15日が巡ってくると日本の新聞は先の戦争を振り返って特集を組むのが一つの形のようになっている。20世紀はまさに日本の世紀だった。白人が君臨し、そして世界を支配する形を日本が崩したからだ。その流れを止めようとする白人国家と日本の対決が20世紀の半ばにあった「先の戦争」だった。
 そのあとオーウェン・ラティモアの言葉を借りれば白人国家は日本国中を焼き払い、カルタゴと同じに塩を撒いて消滅させようとした。ただローマ時代とは異なるから、そう堂々と民族浄化作戦は取れない。「軍隊も取り上げ無抵抗な農業国に落とす」はずだったのが、気がついたら世界第2位の経済大国に成長していた。先の戦争は何だったのか。十分に振り返って検証する意味はある。
 その意味の特集なら分かるが、例えば朝日新聞の「化学兵器廃棄始まる」。日本軍が毒ガス兵器を使った、そのまま遺棄した、と言わんばかりの「日本の大罪」後遺症を取り上げる。コラムでは山口瞳の「わが生涯の幸運は戦争に負けたことと憲法九条に尽きる」という言葉をただ意味もなく書く。
 日韓併合百年では「日本は朝鮮半島を支配し、言葉や名前も奪った」の見出しをつけた。世界の僻地(黄文雄『近現代史集中講座』)だった半島に文化の火を灯したのは日本だ。支那にかぶれ、支那語に創氏改名した民族が今度は勝手に日本名を名乗った。そういう検証も何もない。一刀両断で日本を「大罪を犯した者」と断ずる。
 何か嬉しくて日本を貶めるのか、その心理行動を聞きたいぐらいだが、実はこの謂れない日本非難は朝日新聞だけではない。『ニ(ーヨーク・タイムズ』もまた終戦記念日を前に広島原爆についてフィリピンの作家F・シオニル・ホセに「マニラに進駐してきた日本軍兵士にひっぱたかれた」「マニラを破壊した」と日本軍の残忍さを回顧させ、だから「広島原爆は当然だ」と、朝日新聞と同じ論調で日本の大罪を告発していた。
 日本人の名誉のために言えば、マニラを無差別に破壊したのは帰ってきたマッカーサーの部隊だ。日本軍はフィリピン人の家を接収することもせず、市内の競馬場に宿営し、米軍の侵攻前に市外に出ている。
 夏が来ればこのフィリピン大作家の出番はあるだろう。そのときのために一つ忠告しておきたい。バターン死の行進の被害者というレスター・テニーの自伝を読んだほうがいい。テニーはM3戦車でバターンに退却中「フィリピン人と日本人の区別がつかない」から通過する村々を片っ端から破壊し、動くものはすべて殺した、つまりベトナムのソンミ村事件と同じことをやったと書いている。ビンタよりひどいことをした。
 あるいは米国が20世紀初頭、この作家の国に侵攻したときの米上院公聴会の記録も読むがいい。そこには戦争倫理を一切かなぐり捨てた米軍がフィリピン人捕虜に泥水を飲ませる拷問や、毎日、急所を外して一発ずつ銃弾を撃ち込み、苦しませて5日目に殺した処刑記録が山とある。バタンガス、サマールでは住民を皆殺しにし、「低めに見て二十万人は殺した」と公聴会の記録は結ぶ。
『ニューヨーク・タイムズ』はいくらでも米国に媚びるアジア人作家を抱え、折を見て「日本の大罪」を捏造させる。白人記者も折あるごとにもっと陰湿な侵略国家・日本の告発記事を書く。
 
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