自分の品格
渡部昇一・著 三笠書房 

 人に「一目置かれる人」が例外なく持っているもの

 人でも、あるいは国家でも、品格というのは大切なことだ。それはその人、その国のトータルな「資質・力・可能性」を表わしているからだ。品格のない人、品格のない国に、これらのものを期待すべくもないのは明らかだろう。
 ところで、この品格は、その人、その国のプライドに大きくかかわっている。いわば、品格はプライドの高さが生み出したものといってもよい。プライドのない人、プライドのない国家に品格がないのは、まわりの人、あるいは世界のいくつかの国を見ればよくわかると思う。
 では、その大事なプライドというのは何かと言うと、二つの意味があって、いい意味では「誇り」であるし、悪い意味では「高慢」である。どんな美徳でも、それがオールマイティにいいものだということはあり得ない。いろいろな側面を持っていると考えなければならないだろう。勇気は人間にとって大切なものだと言うけれども、過ぎれば蛮勇になってしまうし、かといって少なすぎては臆病になる。
 このあたりの兼ね合いは難しいものなのだが、品格がある人、品性の高い人というのは、周囲の人たちに比べて、「卑しいことはやらない」という高いプライドを持っている人のことだ。あるいは、辱めを受けないということを、肝に銘じている人のことだろう。そしてこのプライドを持ってこそ、人は自分の限界を破っていけるのである。
 幕末や明治の初期に日本に来た外国人たちが、「日本人には二種類ある」と言ったのは、当時日本には品格のある人間と、そうではない人間がいたということを、実感として感じて表現した言葉だと思う。つまり、彼らは当時の武士とそうではない人たちの違いを的確に言い当てているのである。
 幕末から明治初期に来た外国人たちの目に映ったのは、ものすごくプライドの高い武士たちと、やたらとペコペコする商人たちだった。当時はすでに落ちぶれ果てていたとはいえ、武士は武士だから、辱められれば相手を殺して自分は腹を切るという覚悟はちゃんとできていた。これはやはり外国人の目にはすさまじいものに映ったと思う。
 ところが一方では、地方から横浜あたりに来て、外国人におべっかを使って、必死にくっついて、何がなんでも儲けてやろうという、商人の名に値しないような人たちもいた。こういう連中とプライドの高い武士の二種類いることに、当初外国人たちはとまどっていたのである。
 だが、日本の場合にはわりと早い時期に、外国と商売するような大きな商業については武士が取り仕切るようになっていった。元来は武士であった人たちが会社をつくったりしたのである。一般に、日本における株式会社の始まりとされている亀山社中をつくったのが坂本龍馬であることを見ても、それはわかると思う。
 けっして商売上手というわけではなかったろうが、こうして武士たちが商業に携わっていったおかげで、イギリスは日本を品格ある国と評した。
 その現われが、明治35年に結ばれた日英同盟である。他の国とは平等の条約など絶対に結ばなかったイギリスが、日本とだけは平等の軍事同盟を結んだのだ。これは、いかに当時の日本に品格があったかを物語っていると言える。
 そのころのイギリスから見れば、東洋人というのはすべからく軽蔑すべきものだった。まともな人間としてはまったく扱っていないのである。それは、イギリスがビルマに対して行なったことを見れば一目瞭然だ。
 イギリスがビルマを併合したのは1886年だから、明治19年頃の話なのだが、イギリスはこのとき、ビルマの国王をつれさって、王女を下っ端のインド兵あたりに与えてしまっている。王女をもらった男には、すでに夫人がいたわけだから、王女とはいえ、彼女はこの男の妾のようなものだ。こんな悪辣なことをイギリスは平気でやっていたのである。ちなみにこの王女の子孫はまだ生きていて、顔だけはかつての王族の気品が残っているが、学問も受けられず無学なまま生活している、というような記事を読んだことがある。
 それはともかく、ビルマの例を見るまでもなく、要するにイギリス人から見れば、東洋人はインド人だろうがシナ人だろうが何だろうが、ひっくるめて獣のごときものにすぎなかった。だからこそ、人間以下に扱っても平気だったのである。これは本当なのか嘘なのかわからないけれども、上海あたりの公園には「シナ人と犬は入るべからず」というような立て札があったと言われている。犬がこの立て札を読めるかどうかは別として、それほど東洋人は見下されていたのだ。
 
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