輪廻転生 
驚くべき現代の神話
J・L・ホイットン/J・フィッシャー著
片桐すみ子訳 人文書院
 
 

 第三章 バルドとの遭遇

 ホイットン博士の中間世の調査研究は着々とすすんでいた。ちょうどそのころカリフォルニアでは退行催眠研究の大家たちが続々と観察記録を発表していたが、博士は自分の研究の公表はさしひかえていた。実質的に価値のあるケースワークをたくさん集めあげた上で、ひとまず結論をだしたいと考えていたのだ。これを最終目標に、博士は何年もかけて患者たちをくりかえし中間世へとみちびいていった。肉体の死に際してだれもが出会うことになる体験とはどんなものかを探り出し、確証を得ようというのが博士のねらいなのである。
 10年以上にわたるこの研究の発端となったのは、これからこの章で語っていくように、テクニック上の手違いの結果偶然に生じた、ある発見だった。ホイットン博士とバルドとの遭遇は1974年、彼が28歳のころへとさかのぼる。これまで博士にとって、死んでからつぎに生まれ変わるまでの間へと催眠で進んだことは一度もなかった。ひとりひとりの人生が、つぎの人生とどのような具合につながっているのかを追跡調査することに熱中していた博士は、人間の魂が肉体に宿っていないときにはどうなっているのか、ということなど考えてもみなかったのだ。そのころの博士の形而上学的研究のテーマは、催眠の被験者を一連の過去生へと退行させることだった。輪廻転生の理論を証明することよりも、彼は系統立った原則にもとづくしっかりとした仮説をさぐっていたのである。
 催眠による追跡調査を長時間かけて辛抱づよくつづけていくうち、ホイットン博士には何千年にもわたる前世の個人記録をどうまとめたらいいかがわかってきた。彼が発見したことは、カルマの必要性に応じて被験者は肉体に出たり入ったりし、たえずその関係は変化するものの、いつも同じ魂とかかわりあっている、ということだった。それぞれの前世での試練や成功、失敗が、現在のそのひとの人間形成にどのように役立つのかもわかってきた。さらに、各人の転生の経歴をたどっていくと、一見それぞれの人生がまったく脈絡がないようにみえても、それはちゃんと理由や意味があってのことなのだ、ということがかならず明らかになった。つまり、ある人生での行動や態度が、現在あるいは将来の人生での、環境や挑戦目標を決定するのである。
 何千時間もの催眠セッションを行なったのち、ホイットン博士は昔の経典に書かれたことに、なるほどとうなずかざるを得なかった。悟りとは、転生をかさねて遅々とした浄化の旅をつづけたあとにのみ手にすることができる宝だと、どの経典にも書かれている。ひとりひとりの前世の経歴を調べた結果わかったのは、オーバーソウル――大霊、すなわちさまざまに転生する人格の陰に隠れて働いている内なる自己――の成長や発展は、何度も生まれ変わって罪を洗い清めていく過程しだいで決まる、ということだった。

 (中略)

 催眠や前世の問題に一般の関心が向くようになったせいで、ホイットン博士の実験には50名あまりの志願者が応募し、入念な審査の結果、ポーラ・コンシディンという人物が選ばれた。四十二歳のポーラは安定した気質の持ち主で、深い催眠に入ることができ、暮らし方や趣味、行動などもごくノーマルな、北アメリカの主婦の典型ともいうべき人物だった。夫はトラック運転手で、十代の息子が二人おり、彼女自身はトロント市内の会社で会計事務をやっていた。彼女はごく平凡な女性だったので、このいっぷう変わった実験にうってつけの被験者となった。彼女は輪廻を肯定も否定もしておらず、後催眠の暗示をかけるときに好都合だった。後催眠の暗示とは、催眠から覚醒したのちに、前世体験の記憶が意識にのぼってこないよう、被験者本人の保護のためにかける暗示のことである。これは治療ではなく研究のための調査なので、ホイットン博士はポーラが平常の意識にもどったとき、前世のことを何も思い出さないように細心の注意をはらって指図した。博士が懸念したのは、過去世の記憶がよみがえって不快感を催すかもしれない、という点だった――何度も転生の体験を重ねると、必ず苦しんだり残酷な目にあったりしたときの恐ろしいエピソードが心から離れなくなってしまうからだ。
 1973年10月初旬から、毎週火曜日の夕方になると、仕事をおえたポーラは町を横切ってトロット心霊研究協会本部に通いはじめた。本部に使われているのは19世紀に建てられた広壮な邸宅で、庭を見渡せるそこの一室「黄色の間」では、靴をぬいでソファに横になった彼女がホイットン博士の催眠の指示を待つのだった。それから一年あまりの間に、彼女は通算百時間以上の深いトランス状態にはいり、自分の長い転生の歴史を理路整然と物語っていった。彼女の口から語られた前世は、つぎのようにほとんどが女性ばかりである。

☆マーサ・ペイン 一八二二年アメリカのメリーランド州の農場に生まれ、まだ小さい娘のじぶんに農家の階段から転落死する。

☆マーガレット・キャンベル カナダのケベック市近くに住む主婦。1707年には17歳だった。のちに毛皮を商う猟師と結婚。

☆尼僧オーガスタ・セシリア 1241年当時34歳。その一生のほとんどをスペイン国境近くのポルトガルの孤児院ですごす。

☆テルマ ジンギスカン時代のモンゴルの族長の娘。(彼女はジンギスカンのことを「テムジン」とよんだ) 16歳の「娘ざかり」に戦で殺されたという。

 ポーラの前世をたどっていくと、古代エジプトの奴隷の娘として生きたときにまでさかのぼっていったが、彼女の催眠の旅が突然に方向転換をはじめたのはその頃だった。1974年のある火曜の夕方、いつものように彼女は深いトランス状態に入ってマーサ・ペインの農場での暮しを語っていたが、その最中にホイットン博士は、前日のマーガレット・キャンベルの話でもっとくわしく知りたいことがあったのを思い出した。そこで博士は話をつづける被験者をひとまずさえぎって、こう命じた。
 「あなたがマーサになる前に戻ってください。」
 マーサの子供っぽい声が年配のカナダの主婦の声へと変わるのを期待しながらしばし待つこと数分間。しかしいつものフランスなまりの発音はなかなか聞こえてこない。時折口からため息のようなものがもれるだけである。ポーラの表情はたえず変わって、何かが起きているのを見ているらしかったが、唇はその表情とともにかすかに動くばかりだった。何事が起こっているのだろう? ホイットン博士は彼女がいったいどこにいるのかわからず、自分がどこでどう間違ってしまったのかと頭をひねったが、ちょうどその時、うろたえる博士の目の前で彼女が急にまぶたをぴくぴくさせはじめた。しばらく言葉をさがしても見当らないとみえて、彼女は囗をもぐもぐさせていたが、ようやく、夢でも見ているように、抑揚のない口調で語りはじめた。
 「私は……空の……うえにいます……。農場の家や納屋が見え……朝早く……太陽は……昇りはじめたばかり……刈り取りがすんだ畑は真っ赤に……真っ赤に染まって……長い影ができている……」
 ホイットン博士は耳を疑った。ポーラが「空のうえ」にいるわけなぞない。自分は技術上のまちがいをしでかしたにちがいない……だが、どんな間違いをしたのだろう? 催眠の被験者は、コンピュータープログラムに似たところがある。つまり、命令しだいで実にすばらしい答えをだすことができるが、それには何をすべきか正確に命令を入力してやる必要がある。ひとつでもミスがあれば、プログラムは作動しない――少なくとも催眠の施術者の期待するような具合には。ホイットン博士はポーラに、「あなたがマーサになる前に戻ってください」といってしまったが、正しくはこう指示すべきだった。「あなたがマーサになる前の人物に戻ってください」と。このふたつは明らかに別の意味なのだ
 「あなたは空のうえでなにをしているのですか。」途方にくれて博士はたずねた。
 「私は……生まれるのを……待っています……母のすることを……見ているところです……。」
 「お母さんはどこにいるのですか。」
 「母は……ポンプのところで………バケツに水を入れています……とてもたいへんそう……。」
 「なぜたいへんなのですか。」
 「私のからだの重みで……お腹に気をつけてと母に言ってやりたい……母体のためにも、私のだ めにも……。」
 「あなたの名前は?」
 「名は……ありません……。」
 すっかりうろたえたホイットン博士は、いつもの後催眠の暗示をかけて、いま話したことをぜんぶ忘れさせてから、被験者を現実へと、そして二十世紀へと戻した。そうしながらも、博士の心は落ち着かなかった。たまたま使った言葉が不正確だったため、彼は偶然にも転生間の隙間という、人間体験の地図に載っていない領域へと足を踏み入れてしまったのだ。記録では、マーガレット・キャンベルの死からマーサ・ペインの誕生までの間には五十五年あまりの空白があった。古代チベットでいわれているバルドへと、ポーラの無意識は入りこんでしまったのだろうか?
 表向きはホイットン博士の研究方針に変わりはなかった。彼はこの実験のあらかじめの目標と、最終的な調査結果のめやすをはっきりと決めていたため、誕生を待って空中に浮かんでいる魂のことには触れず、たゆみなく目標に向かいつづけた。ニューホライズン研究財団の機関誌に載せた博士の研究発表にはつぎのように書かれている。「催眠が輪廻転生をうまく証明していくカギをにぎっている、ということを疑う理由は何もない。現在、被験者を催眠にかけて得られた記憶は正しいと確認されているが、その記憶がどこからでてくるのかは謎である。輪廻を信じる人はその記憶が正しいもので、前世にかかわるものだと主張するだろうし、信じない人はそんな記憶などは空想だ、と言い張るだろう。信じないなら当然誤りを立証などしないし、信じているのであればわざわざ証明しようとはしないものだ。」
 一時はホイットン博士も、メリーランド州のいなかの上空にホープの肉体をもたない意識だけが漂っていた話をきいて、果たして肉体をもたずに存在することが実際にありうるのかどうかと考えこんでしまったが、内心では、この曖昧模糊とした話の陰にはまぎれもなくポーラの前世の記憶があるにちがいない、ということを受け入れていた。大人のような関心や心づかいをみせるマーサからは、肉体に宿る以前にも、彼女が非常な機敏さをそなえていたことが感じられる。まだ肉体に入りこんでない彼女の魂は、母となる人を守るように上方に漂いながら、肉体を持ったふつうの人間よりもずっと幅広い意識を保っていたのである。何世紀来、臨床上の「死」を宣告されたあとに意識を取り戻した人の話がときどき報告されているが、その人たちは病院のベッドや事故現場に横たわる自分の体を「見た」と報告している。こういった証言と、ポーラの「空中に」いたという記憶とは、重なりあうのではないか、とホイットン博士には思われた。ひとつだけちがうのは、蘇生の体験を語った人は、生まれる前の何日間・何週間のかわりに、死後のほんの何秒間・何分間かのあいだ意識があった、という点だ。

 (中略)

 ホイットン博士がバルドの謎をさぐってみようという気になったのは、翌1975年にレイモンド・ムーディー博士の画期的な研究になる『かいまみた死後の世界』が出版されてからのことだった。この本は臨床上の死を宣告されたのち生き返ったひとたちの体験を書いたもので、ベストセラーになった。ここでは死に行くものの体験に焦点がしぼられており、生れ変わりを主張しているわけではなかった。それにもかかわらず、ムーディー博士の患者たちは自分の体を「見」、死の恐怖がすっかりなくなってしまうようなさまざまな感覚にひたった、と話している。愛やよろこび、平和を強烈に感じ、えもいわれぬまぶしい光に包まれ、自己評価のプロセスに参加し、ついにはそこから先へは行くことができない境目に気がつく、といったことがどの報告でも共通して語られている。『かいまみた死後の世界』によって、あの世に対する深い関心が生じてきたため、ホイットン博士は自分自身の研究をあらためて見なおし、ポーラのメリーランドの農場のうえに浮かんでいた記憶を再検討する必要があると感じた。
 生まれ変わりや、肉体を離れた意識に関する証拠についてさらに考えを深め、この証拠と神秘主義や神学上の洞察との比較研究をすすめていくにつれて、博士の興味はますますそそられる一方だった。前世や、死や誕生といった境界線上からの証言は得られてはいるが、人間が肉体に宿る以前に住んでいた遙かかなたの奥地は、いまだに謎につつまれ、足を踏みこめないままなのだ。そんなわけで、ホイットン博士は外宇宙のおごそかな謎に魅了された宇宙物理学者さながらに、バルドがどのようなもので、いかなる重要性をもつものかを探究することに興味をひかれた。やがて彼はこの未知の国の地図製作にはげむことになり、死後の世界の老練な探険者になった。そして自分の催眠技術だけを武器に、慎重に船出していった――「ひとつの転生とつぎの転生のあいだには何が起こるのか」という大きな問題をかかえて――。
 
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