霊界の風景は?

 あの世の風景をはじめてはっきりと目にしたのは、十歳のときだった。故郷のアイオワ州で、高校の裏手の丘の上にすわって空を眺めていると、目の前に大きなスクリーンのようなものが下りてきたのだ。スクリーン上に鮮明に映し出されていたのは、生き生きとした色彩に満ちた世界で、ローブ姿で宙をただよう人々の姿も見えた。だれもがみな、落ちつき払っていながらも、いそいそと動き回っているようだった。画面の中央に、大柄なアメリカン・インディアンが腕を組んで立っていた(のちに、彼が私の霊的案内役ホワイト・フェザーであることを知る)。人々は、教会とも神殿とも思えるような、イルミネーションを施された大きな建物に向かって移動していたのだ。
 スクリーン上に映し出された色彩に匹敵するようなものは、この物質界では一度もお目にかかったことがない。ホワイト・フェザーがこちらを向いてうなずくと、画像は消えた。
 これが、私の霊視能力によるあの世とのつながりのはじまりだ。年月とともにこの体験が繰り返されるにしたがって、そのつながりはより強いものになっていった。
 霊魂がローブをまとっているという表現は、天使をイメージさせる。だからそんなものは夢想だと言う人も中にはいるだろう。それについては、霊界は常識がいき渡った場所なのだと言うにとどめておこう。ローブはジーンズよりも楽だから、ほとんどの人々がローブをまとっているというだけのことだ。霊たちがメッセージを伝えようとこちらを訪れるときには、普通、彼らの遺族が見分けがつくような衣服をまとっている。メッセージを伝えたあとは、楽なローブ姿に戻るのだ。
 霊たちにしてみれば、かつてハイヒールやストッキングをはいたり、スーツを着たりネクタイを締めたりしていたということが、ばかばかしく思えることだろう。霊体は呼吸しながら、ローブ姿で自由に動き回ることができる。
 霊になれば、あらゆる肉体的問題から解放される。霊界では、眼鏡をかけたり松葉杖をついたりしているものはひとりもいない。五体満足で、健康状態も完璧なのだ。
 肉体は年を取るが、霊体は年を取らない。他界したときには年老いていた人も、霊界で会えば血気盛んなころの姿となっているはずだ。霊となった人々はみな、だいたい35歳くらいに見える。それくらいが、深刻な老化が始まる前の完璧な年齢だと考えられているのだ。肉体的なストレスがすべて取り除かれるので、人は徐々に完璧な感情的バランスを取り戻していく。このバランスの一部が、若さの回復に影響しているのだ。

 赤ん坊と子供たち

 子を亡くした親たちは、こうきいてくる。「私が他界したとき、自分の赤ん坊がわかるものなのでしょうか? もし成長していたら、どうやってこれがわが子だと確認できるんです?」子供は、親が他界するとき、出迎えにきている。そして親に自己紹介する。子供の年齢にかかわらず、親子だということはすぐにわかるはずだ。親は、眠っているあいだに何度も子供と交信しているものなのだ。この世にいるときはそれをおぼえていなくても、霊界にいけばそのときの思い出がよみがえってくる。
 両親が他界する前に子供の霊魂がこの世に再び生まれ変わってしまった場合は、その子がどこにいて、なぜその子の魂はその時期にこの世に戻らなくてはならなかったかということが両親に説明される。そういう親と話をするための、訓練を受けた霊のセラピストというのがいて、親の悲しみや喪失感をやわらげるよう力になってくれる。
 だが霊の姿になれば、親たちも、自分が生み出したのは子供の肉体であって、その霊魂ではないということを理解するはずだ。霊魂は永遠のもので、どんどん先の人生に進んでいかなければならない。親は、一時的な保護者なのだ。

 霊の乳母

 寝ているあいだに心霊メッセージが伝えられるということは、決してめずらしい話ではない。霊媒師は、夢うつつの状態、つまりトランス状態のとき話をすることで知られている。古代ギリシアにおけるデルフォイの神託所では、蒸気によって人を夢心地にさせていた。アメリカン・インディアンたちは、催眠術、音楽、そのほかの儀式を利用しながら、幻覚を呼び起こしていた。寝ているあいだ、肉体はリラックスし、日々の心配事からも解放されている。そんな状態なので、霊界への出入りが楽になるのだ。睡眠中、アストラル体は肉体の上空にただよう。アストラル体と肉体を結びつける磁気を帯びた緒が、物質界へのつながりを保っているのだ。
 だが、ほとんどの夢は心理的なもので、心霊的なものではない。自分の見た夢の種類を識別する唯一の方法は、注意を払いながら、厳密に調べることだ。まず夢の内容を書き留めておき、それが自分への心霊メッセージなのかどうかを検討する。時間がたてば、予言が実際に起こったかどうかがわかる。私は幼いころから、夢の中ではっきりとしたメッセージを受け取ってきた。私の見る夢すべてが心霊的なものであるとは限らないが、その種類を正確に見分ける方法は身についている。忍耐と眼識のおかげで、その方法を身につけることができたのだ。

 キャシーの場合

 友人のキャシーが1988年に他界した。以来、彼女は三度ほど私の夢の中に現れている。最初に現れたのは、他界してからほんの二日後のことだった。だが彼女はまだ癌との闘いの疲れを回復させている途中だったので、ほんのわずかな時間しか夢の中にいられなかった。いま自分は病院で休息を取っている、ということだけ伝えてきたのだ。母親に看病してもらっているということだった。あの世に病院があるなどと聞いて、驚いた方もいるかもしれない。そこは休息の場であって、医療の場ではない。体力を消耗しきるような大病に冒されていた場合、アストラル体の英気を養うために、短期間の休養が必要とされることがよくあるのだ。この世を立ち去るときには、莫大なエネルギーが消耗される。休息によって、そのエネルギーを回復させるのだ。
 その一年後、二度目の夢の中で、キャシーは興奮をあらわに彼女の新しい任務について報告してくれた。大勢の赤ん坊の世話を見る役目を与えられたのだ。
 「私、いわゆる霊の乳母の役目なの」彼女は得意げに話した。顔を輝かせ、ついつられてしまいそうなほどほがらかな笑い声をあげていた。物質界でのキャシーは、正看護婦であり助産婦でもあった。彼女は、子供たちをこよなく愛していたのだ。その仕事には、彼女ほどの適任者はほかにはいない。彼女なら、霊の赤ん坊一人ひとりを、まるで自分の子供のようにかわいがることだろう。
 数力月前、彼女は三度目の夢に現れ、子供たちとの仕事についての最新情報を伝えてきた。すべて順調だ。赤ん坊はあっという間に大きくなり、この世での未来の人生に向けて準備を進めているという。彼女は、育児室の中も見せてくれた。魅力的な場所だった。マザーグース童謡を題材にした美しい壁画が一面に描かれていた。まるで生きているような壁画だ。
 霊界のこの領域からは、泣き声ひとつ聞こえてこない。子供たちは歌を歌い、笑いころげている。すばらしい光景だ。幼い子供を亡くしてしまったという親たちが、彼らの霊魂が世話されている様子を見れば、きっと感激するに違いない。
 
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