ニッキーの場合

 私は、友人のニッキーが話をしたくなったときに備えて、いつもベッドのわきに電話を置くようにしていた。彼と私は別々の街に住んでおり、毎日顔を合わせられるわけではなかった。ニッキーは長いあいだ重病を患っており、彼の友人や家族を含めた私たちは、彼の先がもうさほど長くはないことを知っていた。彼はすでに病院から解放され、妹と一緒に暮らしていた。容態がどんどん悪化してくると、彼は私に電話をよこし、「ナナがいるんだ」と言うようになった。「ナナ」とは彼の祖母のことで、その数年前に他界していた。二人はとても仲がよく、彼は祖母のことをひどく恋しがっていたのだ。
 彼が他界する十日ほど前、夜中の三時に電話が鳴った。
 「いま何してた?」と彼の声が聞こえた。
 「あなたからの電話を待ってたとこよ」と私はふざけて言った。
 「ナナがここにいるんだ。でもまだあまりそばにはきてくれない」彼は少し動揺しているようだった。
 「彼女はあなたに何か語りかけてくる、ニッキー?」
 「いや、ただここにいるだけだ。もっと近くにきてくれたらいいんだけどな。ナナに会えるなんて、すごくうれしいんだ」
 「心配しないで」と私は彼を慰めた。「もうすぐそばにきてくれるわ」
 「わかった」と彼は言った。「それだけ話したかったんだ、おやすみ」
 彼の最期が近いことを知り、私は妹の家にいる彼を訪ねることにした。この世でニッキーと最後に会ったその日、私たちは七時間にわたって話をした。衰弱しきった彼は、カウチに横たわって私の手を握っていた。病は、彼のからだを完全に蝕んでいた。細く、青白い顔をした彼は、実際の年齢である四十歳よりもずっと老けて見えた。だがそれでも、彼のすばらしいユーモアのセンスは失われていなかった。だじゃれの才を持つ彼は、最悪の状態を病的なほど愉快にしてしまうことができた。その日も例外ではなかった。
 「あのさ、善人だけが若死にするのなら、ぼくはいつまでたってもこの世を去れないわけだ」
とニッキーはふざけて言った。
 私は彼に、古代ギリシア人はほめ言葉としてその表現をつくり出したのだと説明した。ギリシア人は、死によって魂はさらに高次の存在に移行することができると知っていたし、若くして他界するということは、すでにこの世での義務を完了させたことなのだと考えていた。彼らの哲学では、死に感傷が入り込む余地はない。もちろん、いとしい人間を恋しく思うことはあっただろうが、ギリシア人はすべての人間はいずれは再会できるのだという固い信念を抱いていたのだ。
 すると真面目な顔になって、ニッキーはこう言ってきた。「メアリー、もう一度話してくれないかな。ぼくが肉体を離れたらどうなるかっていうこと」
 「ティファニーの青い箱を思い浮かべてみて」と私は言った。「その箱の中には、特別すてきなプレゼントが入っているのよ。箱のほうもすてきではあるけれど、中のプレゼントさえ取り出してしまえば、あとはもう必要ないものでしょ。だから箱は捨ててしまう。でも、中身は無傷のままずっと残るわ。あなたの肉体はその箱で、霊体はその中身に相当するのよ。
 その時がくれば、自分の肉体の上に浮かんでいるような気分になるわ。ナナが近くに立っていて、彼女が手を差し伸べている姿が見えるはずよ。彼女の手を取れば、もうひとりぼっちの寂しさは感じないわ。下に目を向ければ、貧相なやつれた肉体が見えて、あなたは大きな解放感を感じるでしょうね。完全に自由の身になったんだから。肉体的な苦痛や恐怖はすべて、瞬時に去っていくの。自分の肉体を目にして、その肉体が自分の真の姿ではないということが確信できるっていうのは、すばらしい気分だと思うわ。あなたのまわりの物質界の人声は、徐々に小さくなっていくはず。その人たちの反応も見えるでしょうね。しばらくは、自分は大丈夫だから、と彼らに伝えたくなると思うわ。でもそのうちに、彼らもいずれはこの調和を感じることになるんだと悟るはずよ。あなたの肉体と霊体を結びつけている魂の緒が断ち切られると、暗くて(でも恐ろしくはない)静かな空間を移動していくことになるわ。そのトンネルの出口には、美しい光が待っている。あなたはその光に向かって移動するのよ。先にこの世を去ったナナやあなたの友人たちが、境界線に立って、あなたを出迎えてくれるでしょう。その境界線を越えれば、そこはもう驚くほど美しい世界が広がっているわ。ニッキー、あなたは恵まれてるわよ。死後の世界はあるってちゃんと認識しているんだから。メタフィジカルな知識を得ていたおかげで、この旅に向けての準備がすでに整っているんだもの。あなただったら、あっという間にクリアするはずよ」
 「クリアする」ということは、この世へとつながっている手づなを解き放つことを意味する。信念と知識があれば、移行がかなり楽なものになるのだ。メタフィジカルな理解が必要だというわけではないが、大きな助けにはなるはずだ。善良な人生を送った人もまた、ほとんど問題なくクリアすることができる。
 「霊界の友達も喜ぶわよ」と私は続けた。「彼らは、陰気な黒い衣装をまとってなんかいない。そういう黒い衣装は、この世で、この移行のことを相変わらず憂鬱で痛ましいものだと考えている人たちのためにあるんだわ。しばらくは、この世の友人たちの悲しみのバイブレーションを感じ取るでしょうね。でも、彼らの悲しみに同情はしても、感傷的にはならないと思うわ。あなたは、悲しみは人生の中で当然のことだし必要なことだとちゃんとわかっているから、この世の人たちの反応を見て、心配になったりはしないはず」

 自分の人生が目前で繰り広げられる

 「移行が行われたらすぐに、あなたの人生すべてが、目の前で高速画面のように繰り広げられるの。生まれた瞬間から起こった出来事の一つひとつを再び目にすることになるわ」
 「ああ、いやだなあ」ニッキーがふいに口を挟んだ。「その部分が耐えられないんだよな。人が懸命になって忘れようとしていることを、なんだってまた持ち出さなきやならないんだい? 人生の尊さに気づく前のぼくの人生を振り返るなんて、どうにも我慢できないな。自慢にならないことばかりやってたんだから」
 ここで重要なのは、霊となった自我は決して非難はしない、と理解することだ。ただ傍観しているだけ、事実を直視するだけなのだ。これは審理ではない。行動の認識なのである。人生の目的が成長であるという点を理解していれば、罪の意識を感じることはない。ニッキーも、人生における自分の成長ぶりをはっきりと目にすることになるだろう。それを見れば、彼も十分満足するに違いないのだ。
 もちろん、できることなら変えてしまいたいと思うような出来事も、人生にはつきものだ。だが自分自身を向上させる時間は、限りなくある。輪廻転生の哲学は、人間は一度だけでなく、数多くの人生を歩むのだと教えている。私たちは、自身を完成させるまで何度でもこの世に戻ってくるのだ。霊魂は新しい肉体に宿り、さらに経験を積み重ねようとする。その時々で私たちにできることは、常にベストを尽くす、ということだけ。ベストを尽くすというのは、学びながら進歩するということ。物質界の人生は、私たちが進歩するための機会なのだ。そして、私たちの行動すべては自身の個人的責任だという意識が、必要不可欠だ。私たちは、その思考と行動すべてに責任がある。これがわかっていれば、「行動あるいは反応する前に考える」ということができるようになるはず。それに、自分たちにはもう一度人生をやり直すチャンスがあるということがわかっていれば、過去の間違いに対する罪の意識もやわらぐだろう。
 私はニッキーにこう言って保証した。「あの世にいけば、自分が人生の中で、たくさんの人たちのために大いに尽くしてきたということがわかるはずよ。間違いを犯したかどうかは問題じゃないの。あんまり自分を責めちゃだめよ」
 ニッキーは、十年前にはじめて出会ったときからくらべると、飛躍的な成長を遂げていた。一度この世に生まれ変わってきたあいだに、二度の人生を経験したようなものだ。はじめて会ったときの彼は、途方に暮れていた。彼にとっては、人生の目的などほとんどないも同じだった。若いころ、彼は自分の繊細な心が傷つくことを避けていた。だが自分自身から逃げ回ってばかりいたので、心のよりどころがなくなってしまったのだ。物質的喜びを追い求めてもみたが、彼の心はうつろになるばかりだった。
 こんな言葉がある。「生徒の準備が整ったとき、教師は現れるものだ」。私は、ニッキーの最初の教師、やがては友人となる名誉を与えられた。私は彼に、輪廻転生の哲学とカルマ(業)の法則を話して聞かせた。彼はその教えに情熱をもって取り組み、深い理解を示すようになった。人生は存続する(輪廻転生)ということを知るとともに、見たところ不公平だと思われるようなことも、実は過去の人生におけるカルマ(原因と結果の法則)の結果である場合が多いという解釈を得たおかげで、彼の人生が意義づけられた。彼にとって、人生がやっと意味をなしたのだ。ニッキーは知識を通じて心の平静を見いだし、その結果彼は奉仕の道に進んだ。その教えを真に理解すれば、人に尽くすことでしか幸せを得られる道はない、ということがはっきりしてくるものなのだ。彼は勉強し、セラピストになった。人の力になることが彼の心を燃え立たせ、満たしてくれた。
 いま彼を見つめていると、「何年生きたかが問題ではない、その月日をどのように生きてきたかが問題なのだ」という言葉は真実なのだと実感でき、心が慰められる思いだった。   
 その最後の日に抱き合ったとき、お互い、この世ではもう二度と会えないだろうということはわかっていた。だが同時に、お互いの交流が途絶えてしまうわけではないということもわかっていた。これは、二人の友情の終焉というわけではない、単なる変化だ。昼が終わると夜が訪れるのと同じように、実に日常的な進行のひとつなのだ。
 「向こうについたら、きみにまた会えるだろうね」と彼は笑った。
 そのとおりだ。霊視という私の霊能力を使えば、霊となったニッキーの姿を見ることができるはずだ。だが意味もなく彼と交信する必要はない。私は、彼をこの世に引き連れてくるようなことはしたくない。人は心穏やかに休息する権利があるのだから。いとしい人間の他界にあまりにも悲しみすぎると、物質界からきれいに抜け出ようとするその人の力を妨げてしまうことになる。ニッキーと私は、このことについてちゃんと話し合っておいた。彼は、私が必要になった場合は、必ず自分のほうから訪ねてくると約束してくれた。ニッキーの性格をよく知っている私に言わせれば、彼なら死後の世界を探検して回ることに忙しく、物質界のことを考える時間などほとんどなくなってしまうだろうとは思うが。だが、もし私に知らせたい何かが起こったときには、きっと彼から交信してくるはずだ。
 十日後、ニッキーは軽い心臓発作におそわれた。彼は木曜日に病院から電話をかけてきて、こう言った。「愛してるよ」
 「私も愛してるわ」と私は答えた。
 「ナナが近づいてきたようだ。彼女の姿がはっきりと見えるよ」
 「彼女に私からよろしくって言っといてね」
 「もう切らなきや、じゃあね」
 これが、私が聞いた彼の最後の言葉だった。金曜日の朝、両親が部屋に入っていくと、彼はため息をつき、そして去っていったのだ。
 
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