ローレンスが語るカルマ

 お気に入りの曲、コール・ポーターの『ナイト・アンド・デイ』を口ずさみながらブリーカー・ストリートを歩いていると、だれかが一緒に口ずさんできた。あたりを見回し、ローレンスの姿を目にしたときは、ほんとうにびっくりしてしまった。それにもまして私を驚かせたのは、プロ顔負けの彼の声だった。彼に歌う才能があったとは、そもそも歌うことに興味があったなどとは、夢にも思っていなかったのだ。以前、自分の母親がとても音楽好きだったという話を聞かされたことはあった。だが自身の能力については、一言も触れていなかった。この偉大なる男については、まだまだ知る余地がありそうだ。一方、彼のほうは、私のことをよく知っていた。
 「歌を歌うというのは、魂にとっていいことなんだ。神経組織のバランスをとってくれるし、リラックスさせてくれる。つまり、歌うという行為自体を楽しむことができればっていう意味だがね。気づいていないようだけど、ぼくはきみが舞台の仕事をしていたころ、ナイトクラブできみの歌声に耳を傾けたことがあるんだよ」と言って彼は笑った。
 「あなたがきていながら、私があなたに気がつかなかったっていうこと? 信じられないわ」プロとして歌わなくなってから、少なくとも12年間はたっていたのだ。彼の言葉に、私はシ
ヨックを受けていた。
 「きみのカルマは途中で変わったようたね。帽子を変えるようなものさ」と彼は言った。
 大学卒業とともにニューヨークにやってきてまだ間もないころ、私は音楽と演劇の世界で生きていこうと、情熱を燃やしていた。
 小さなころから、私は歌うことや演ずることが大好きだった。人前で演技するというのは、わたしにとってごく自然なことだったのだ。私は、人間の霊と同様、妖精や小妖精を見る能力にも恵まれていた。だから観客には事欠かなかった。アイオワの家の裏庭で、霊の友人たちのためによく芝居を演じたものだ。
 祖母のグレースが庭の草取りに出てきては、こう言っていた。「いったいだれに向かってしゃべってるの?」
 「お友達によ」と私は答え、そのまま演じ続けたものだった。
 大学を卒業すると、私は大いなる情熱とごくわずかの資金を手に、ニューヨークへとやってきた。いつも、自分はニューヨークに暮らすと運命づけられているように感じていた。だからそのときは、ついに故郷に帰ってきた、と感じたものだ。家賃を支払わなければならないという現実のために、私は舞台の夢を追い続けながらも、さまざまな仕事をこなさなければならなかった。
 キャバレーやピアノバーで歌う仕事からは、収入と経験が得られた。ただ、演技することはとても楽しかったのだが、いつも、何かが欠けているような気がしてならなかった。
 そんなある日、ナイトクラブで最後の曲を歌い終えようとしていたときのことだった。突然ジュディ・ガーランドが、隅のテーブル席に現れたのだ。私は、観衆すべてが見渡せるピアノの前にすわっていたのではっきりと言えるのだが、それまで彼女の姿はそこにはなかったはずだ。ジュディはとても行儀よく、歌に聞き入っていた。彼女のまわりには、この世とはかけ離れたバイブレーションが取り巻いていた。霊界から訪れてくれたその天才的な歌手を目の前にして、私がよくそのまま歌い続けられたものだと、いまでも不思議に思う。霊界にいってからすでに久しい彼女だったが、そのすばらしい才能は生き続けていた。彼女の作品は、常に私にインスピレーションを与えてくれていたのだ。最後の曲が終わると、彼女は私の視界から消えていった。
 それが、私がプロとして歌った最後の舞台だった。
 その夜眠りにつくと、ジュディが夢の中に現れたのだ。彼女は、私の歌をほめてはくれたが、霊能者としてフルタイムで働けば、もっと多くの人々を救うことができると語った。私は、自分の霊能力に基づいたアドバイスをすでに多くの人たちに行っていたので、個人的な顧客を開拓するのは、さほどむずかしいことではなかった。
 こうして新たな仕事を目指していくにしたがって、何かが欠けているという気持ちが消えていった。
 「きみがジュディ・ガーランドの姿を見た晩、ぼくはあそこにいたんだ」というローレンスの声で、静寂が破られた。
 「これですべて合点がいったわ」と私は言った。
 「あれはきみ自身の選択だったんだ。きみが職を変えるほうを選んでくれて、ぼくはとてもうれしく思っている。でも、きみにそれを押しつけた人間がいたわけではない。選択するということが、きみのカルマだったんだ」
 「ローレンス、自分の選択を後悔したことは一時もないわ。お聞きのとおり、いまでも歌うことは大好きよ。でも自分で歌って楽しむだけで十分。ただし、あなたほど音楽的センスがある人と一緒に歌えるような名誉は、めったにめぐってこないでしょうね」
 笑いながら、彼はコーヒーを飲もうと誘ってくれた。近くのエスプレッソ・バーで、私たちは静かなテーブル席についた。
 「いつもどおりね」と私は言った。
 「すぐにまた会えると言ったろ」と彼は言いながら、私の手をやさしくたたいた。
 そのとき、ひとりの女性が私たちのテーブルにどしんとぶつかると、失礼しましたとあやまってきた。見上げると、その女性に対する同情心が込み上げてきた。と言うのも、彼女の顔が、ほとんどまんべんなくあざでおおわれていたのだ。
 「大丈夫ですよ」とローレンスが答えた。彼に投げかけた彼女のほほえみで、その場がぱっと明るくなったような気がした。
 彼女が遠ざかると、私は口を開いた。「あのお嬢さんにとって、かなりつらいカルマなんでしょうね」
 「いや、彼女はいまのままでも幸せだよ。彼女のほほえみ方や、目をまっすぐに見つめ返す様子からも、それは明らかだ。きっと、彼女を深く愛し、その不完全さと闘うための手段を与えてくれる両親に恵まれたんだろう。彼女は、とても美しい心の持ち主だ。一緒に過ごす人間はみな、その内面の美しさに気づくはずさ。その気高く、自分を哀れむことのない心で、彼女は人に尽くしてきたんだ」ローレンスは一瞬言葉を切ると、彼女のほうに目をやった。
 「確かに、あのあざを持って生きなければならないというのは、彼女のカルマだ。だがその状況にどのように対処するかという点は、彼女個人の選択にゆだねられている。彼女の態度は、いまこの一瞬にも、新たなすばらしいカルマを生み出しているんだ。いいかい、そのすべてがカルマなんだよ。
 何の問題も持たずに物質界に生まれてくる者などいやしない。つまりどういうことかと言えば、われわれ一人ひとりに、カルマ的試練が与えられているということなんだ。その試練が姿を現したら、あとの選択は自由だ。身体障害を持って生まれてきた人間の中でも、障害を与えたことで神をののしり、怒りの人生を送る者もいるだろう。だが中には、目や耳が不自由でなかったことに感謝しながら生きる人間もいる。そんな場合、魂の発展がいっそう際だつはずだ」ウェイターが注文を取りにくると、彼は言葉を切った。
 「理性のある人間なら、物質界がほんの一時的なものであるという点を否定できないはずだ。物質的な問題は、過ぎ去っていく。一方魂は、われわれの人生と行動のすべてを記憶している。この記録は現世と来世の道路地図のようなものさ。その地図には、最終目的地へ到達するまでに選択できるさまざまな道が描かれている」彼は再び言葉を切った。
 私たちはそれから、人がカルマと宿命を混同させてばかりいるということ、そして、それを人生の試練を乗り越えられないときの口実として利用しているということについて話し合った――問題をそのまま受け入れるのではなく、それを乗り越えることこそが彼らのカルマであるという点を理解していないのだ。私たちはさらに、その漠然とした概念を証明するむずかしさについて、論議を交わした。
 「唯物論者は、自分の五感を使って証明できないものは、いっさい信じようとしない。でもそれなら、耳の不自由な人に、どうやって音楽が存在することを教えられると言うんだろう?」とローレンスがふいに言った。
 「ローレンス、私は、人が何を信じていようと、いずれは真実を見いだすはずだと思っているわ。人に、生命は永遠だということを何とか納得させようとするのは、賢いやり方なのかしら?」と私はきいた。
 「われわれはみな、人生の中で特別な才を与えられている。ピアノを弾くのが上手な人は、その才能を使って人を長いあいだ楽しませてあげられる。優秀な医者だって、自分自身のからだを治療するだけのために何年もかけて医学を勉強するわけじゃない。もしペニシリンが発見されず、世界に広められていなかったら、多くの魂が物質界での成長を妨げられていたはずだ。きみは、数多くの心霊現象やヴィジョンを体験している。そんな体験を、きみ一人の中に閉じ込めておいて、何の役に立つと思う? きみが見たあの世での生活を語ることが、多くの人の力になり、未知に対する恐怖心を乗り越えさせてあげられるはずだよ。きみにできることは、とにかく自分の洞察を人に与えることだ。その反応については、何も心配することはない。その知識を世間に示すことがきみのカルマでなかったら、きみはこの仕事を選んだりはしなかっただろう。たぶん、歌手として、女優として、幸せな人生を歩んでいたはずだ」そう言うと、彼は再びコーヒーをすすった。
 顔にあざのある先ほどの女性が、店を出るとき手を振っていた。
 「彼女はすばらしい人間だよ」とローレンスは言った。「つぎの人生では、あざはきれいさっぱり消えているはずさ」
 そう言いながらも、ローレンスはどこか別世界にいるような様子だった。彼が何をしていたのか、私にはわかっていた。私もよく同じことをするのだ。
 「アカシック・レコードを読んでるの?」と私はきいた。
 「なんておりこうさんなんだ」と彼はふざけて答えた。
 アカシック・レコードというのは、私たちのこの世における人生の記録すべてが記載されているもののことだ。過去の人生における経験を確かめるためには、この記録に目を通さなければならない。それには、かなりの集中力が必要となる。その情報に到達するには、壁を一枚突き抜けるほどの抵抗を感じるのだ。私は、常にこのアストラル界の書類に目を通せるというわけではない。だがローレンスには、自分の意志でそれをやってのける力がある。
 「いずれ、きみももっと簡単にできるようになるさ。どんな技術にしても同じだ――達人になるには、修行が必要なんだ。そうなれば、必要な情報をいくらでも得ることができるようになる。過去の人生に目を通すことが、常に役に立つとは限らない。現在の人生こそが、発展の重要な段階なのだから。すべての人生をおぼえておく必要があったなら、人類はもっと発達した記憶力を手にしていたはずだよ。ほとんどの人にとって、去年のことでさえ思い出すのはむずかしいものだ。まして、生まれた年の出来事を思い起こすことなんて、まず不可能だ」と彼は言った。
 「もちろん、懐疑主義者にとって、記憶力がないということは、実に都合のいい論理になる。彼らに言わせれば、おぼえていないのなら起こっていないかもしれないじゃないか、ということになるからね。だが、耳の不自由な人には音楽が聞こえないのであれば、それはつまり人類すべてが聞く能力を持っているとは限らないということを表している。過去の人生を記憶しているという話は、結構たくさんある。たとえばブッダなどは、過去の全人生をはっきりと目にしたという。かなり多くの人間が、ほんとうは前世の鮮明な体験を報告できるのかもしれない。精神科医の中には、前世から精神的問題が生じている可能性もあると認める人もいる。彼らは、ある種の恐怖症や心理的問題は、以前の人生に由来すると認めるようになってきたんだ」とローレンスは語った。
 「輪廻転生とカルマは、切っても切り離せないものね」と私は答えた。「生まれ変わるからこそ、人生の中で、見た目には不公平だと思えることに遭遇しても、それがなぜ起こるのかという理由がはっきりとわかるんですもの。表面的には不合理だと思えることも、カルマがあればこそ合理的になるわ。人生がたった一度限りのものなら、何のために苦しまなくてはならないのかがわからない。命が永遠のものだということを知らなければ、私も人が悲しんでいる姿を見るのは耐えられなかったはずよ。どんなにつらくても、苦しむ心はやがては過ぎ去るものだわ。善良な心は、幸せを呼び寄せてくれるものよ。いずれは、帳尻が合うように運命づけられているんだわ」私は熱を込めて語った。
 「カルマを理解すれば、人生は豊かになる。われわれは、自分自身を成長させるための多くの機会を与えられているんだ。この世は、成長するチャンスを与えるために、われわれを引き寄せている。知識があれば、苦しみもやわらげられる。さてと、そろそろきみにさよならしなくちゃならないというのが、ぼくのカルマなんだ」と彼はふざけて言った。
 「じゃあ、がまんしてさよならするのが、私のカルマだわ」と、私は努めて明るく振る舞っ
た。
 ローレンスと別れたあとは、いつも喪失感に打ちひしがれてしまう。ローレンスを見つめていると、彼から発散される、心をいやす力を感じることができるのだ。そうすると私の心は、彼とともにいられるという名誉を授けられたことに、感謝の気持ちでいっぱいになるのだった。
 ローレンスは、私をタクシーのところまで送ると、別れのあいさつをした。タクシーが発車したので、振り返って手を振ろうとしたら、そこにはもう彼の姿はなかった。
 ローレンスと私のカルマ的きずなは、非常に強いものだ。私は、お互いに知り合ったのも、現世がはじめてではないだろうという気持ちをいつも抱いていた。
 その夜、ろうそくの明かりの中、私は黙想していた。炎をじっと見つめていると、目の前を、ピラミッドの鮮明な画像が流れていった。そのヴィジョンは、数秒、あるいは数分くらい続いたかもしれない。時間が止まったかのようだった。そのヴィジョンの中には、古代の服装に身を包み、自分のほうにやってくるだれかに向かって手を振っているローレンスの姿があった。そのもうひとりの人物がこちらを向いた。その顔は、私ととてもよく似ていた。やがてその画像は消え去り、私は再び現実の世界に引き戻された。炎は燃え尽きていた。これで、ローレンスと私がエジプトでともに前世を過ごしていたということは間違いない、と思った。今度彼に会ったら、このことを尋ねてみることにしよう。
 急に、ジュディ・ガーランドの歌が聞きたくなった。ステレオへと向かっているあいだ、12年前に彼女を目にしたときのことがよみがえってきた。私がかつて読んだ伝記には、どれも苦悩に満ちたジュディ・ガーランドの姿が描き出されていた。だから、彼女があの世で幸せに暮らしているとわかったときは、ほっとしたものだ。平穏な状態にいなければ、私を訪ねてくることもできなかったはずなのだから。彼女はこの世で、その抜きんでた才能によって、私たち人間に尽くしてくれた。霊となってからは、道案内役になって、私に尽くしてくれたのだ。今夜、彼女の音楽を聞けば、私の魂も休まることだろう。
 
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