崇拝

 この世であなたがどの宗教団体に所属しているかということは、関係ない。霊界でも、あなたがそう望むなら祈りを捧げることもできる。だが霊界に到着してみれば、たいていの人にとって、その必要性は感じられないはずだ。奉仕精神に満ちた人生はすべて、一種の祈りだ。感謝を表す行動はどれも、祈りを捧げていることと同じだ。
 霊界にいけば、そこであらゆる教派の礼拝が行われていることがわかるだろう。それに参加するかどうかは、あなた次第だ。現世で通った教会や寺院のバイブレーションの中に浸るのを好む人もいるだろう。
 活動の中心地に、教派に関係ない、非常に大きな霊的施設が建っている。そこは、だれでも受け入れてもらえる場所だ。中央には、巨大なオルガンが置かれている。大きなステンドグラスの窓が、その建物に神秘的な美しさを与えている。ファンを喜ばせるために、リストやバッハが演奏を行うこともしょっちゅうある。ほかの偉大なる音楽家たちも、演奏しては霊魂の仲間を元気づけている。ときには、この世の音楽が演奏されることもある。

 音楽

 1984年、クリスマスイブの真夜中、私は友人たちと自宅のリビングルームでおしゃべりをしていた。そのとき、かすかに音楽が聞こえてきたのだ。それはどこかこの世のものとは思えないようでありながら、とても現実的な音色だった。意識を集中すると、『きよしこの夜』を歌う女性の声が、頭の中に流れてきた。バックで歌う「天使のコーラス」もはっきりと聞こえた。私は、アストラル界へとヴィジョンの焦点を合わせてみた。
 歌っていたのは、マダム・シューマン・ハイクだった。その声からではなく、顔から彼女だとわかったのだ。そこには、ろうそくが灯された巨大なクリスマスツリーが飾られていて、何千人もの人々がそのコンサートを見守っていた。私は部屋にいた友人たちに、そのコンサートの様子を、すべて話して聞かせた。
 その年以来、毎年クリスマスイブになると、そのコンサートに波長を合わせられるようになった。霊界でも、この世と同じ日にクリスマスを祝う。霊界の人々は、常にクリスマス的精神で時を過ごしているので、特に祝う必要はないのだが、この世でクリスマス休暇を祝う人たちに対して、敬意を表しているのだ。もちろん、自身の信仰体系から外れた礼拝に出席する必要などまったくない。霊界では、それぞれの宗教ごとに、希望する人ならだれでも参加できるような、解放された礼拝が行われている。
 他界した才能あふれる歌手たちは、霊界でもその声を大いに活用している。だから、所定の時間にはいつも何らかのコンサートが行われているのだ。音楽家たちも、相変わらず忙しく創作活動を続けている。作曲家たちは歌手の協力を得て新しい作品を試したり、上演したりしている。寄付金に頼る必要がなくなったオーケストラは、霊界で思いきり活動できるようになる。霊界の音楽は、さらに活気にあふれ、豊かだ。この世とあの世の音楽の違いをいちばんうまく表現する例は、モノラルとステレオの違いだ。

 モーツァルト

 1985年と1986年、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがたびたび私のもとを訪れてきた。当時私は、モーツァルトの音楽を多用するプロジェクトに取り組む、非常に才能あるクライアントの一団を抱えていた。
 彼らのひとりと会っているとき、ピアノのほうに目を向けると、18世紀の衣装にすっぽりと身を包んだヴォルフガングが立っていたのだ。それはちょうど、私たちが『魔笛』の一部を演奏していたときのことだった。うれしそうな顔をして、彼は「私の曲だ」と言い続けていた。
 彼は2年間のうちに、少なくとも10回は訪ねてきた。いつも、ピアノのわきの同じところに立っていた。そして現れるのは、クリエイティブなクライアントに何か情報を与えられるときに限られていた。だが、私のように霊視力や霊聴力を持ち合わせていない彼らには、モーツァルトの姿も見えなければ、声を聞くこともできない。そのクライアントから、私の音楽知識の豊かさを指摘されたことが何度もあったが、彼らはこの事実を知らないだけなのだ。
 私は、ローレンスの師サー・ウィリアムから、音楽と霊についてずいぶん多くのことを学んだ。サー・ウィリアムはかつて偉大な作曲家で、私に何曲か聞かせてくれたこともある。彼が田園に所有する家、あるいは街にある家に訪ねていったとき、人類に音楽的思考の形態をひらめかせるさまざまな「音楽のデーヴァ」(デーヴァは、「天使」や「霊」といった意味にも使われる)について話してくれた。それに、特定の音調コンビネーションを使って、音楽で人々をいやす――その精神、肉体、霊魂を――という未来についても、詳しく話してくれた。適切なコンビネーションは、神経組織に直接影響を与え、からだ全体のバランスを保たせるのだという。
 彼は、今世紀の音楽傾向について、とても嘆き悲しんでいた。彼の感想はこうだ。「ミュージシャンのオーラにドラッグのバイブレーションが入り込んでしまったために、あまりにも多くの否定的な思考の形態が音楽に染み込んでしまった。そのために調和が乱されている。澄み切った伝達者となって――クリエイティブな力をぼやけさせる物質をすべて取り除いた状態――心をいやす音楽を書く必要がある。アルコールやドラッグは、人の霊的成長に悪影響を与えるのだ」サー・ウィリアムは、時がたつにつれ、人類もその点についてもっと考えるようになるはずだと信じている。「モーツァルトのような、われわれの偉大なる友人たちの音楽が、人気映画の中で使われるようになったというのは、喜ばしいことだ」と彼は語った。
 「この流行は、地球に建設的な影響を与える。人々の心を、この美しいバイブレーションへと開かせる。映画という媒体に再び取り入れられることがなかったら、多くの人々はこの偉大な音楽を耳にすることもなかっただろう」と彼は言った。
 私は彼に、なぜあの世ではロック・ミュージックを耳にすることがないのか、尋ねてみた。クラッシックやオペラしか聞いたことがないのだ。
 彼の説明によれば、ロック・ミュージックはこの世のバイブレーションを持っているので、デーヴァシャンに存在し続けることができないのだという。よいか悪いかの問題ではない。ロックは、より高次の界層に到着する以前に、消滅してしまうのだ。
 私がデーヴァシャンで目にした人々はみな、音楽の選択についてはとても満足しているようだった。だから、サー・ウィリアムの説明は、十分納得のいくものだ。趣味がどうこうということではなく、バイブレーションの問題なのだ。
 
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