第4章 地獄の光景

 ハイウェイ上の女性

 1984年8月、私はアルバカーキからサンタフェヘと旅した。もうあたりは暗くなっており、車もほとんど走っていなかった。運転していたのは、私の霊能力と相性のいい友人のトムだ。ハイウェイはいたるところカーブだらけで、らせんを描きながら高度を上げ、サンタフェヘと向かっていた。私たちは、車を走らせながらおしゃべりを楽しんでいた。静かで、快適な旅だった。ある場所でカーブを曲がり、ヘッドライトが道路のわきを照したときのことだ。ハイウェイに沿ってはいつくばっている女性の姿が見えたのだ。
 「車をわきに止めて。助けてあげなきやならない女の人がいたの」と私はトムに言った。
 「だれもいなかったよ」と彼は答えた。
 「霊なのよ」と私は言った。
 彼は急いで車をわきに止め、懐中電灯をさがし出してくれた。私は車から降り、懐中電灯の明かりを頼りに、あの女性がいたあたりまで戻っていった。
 彼女は、簡単に見つかった。私はすぐに彼女と言葉を交わせるようになった。その女性によれば、ここで自動車事故があったのだが、自分の子供が見つからないのだという。ヒステリー状態だった。自分が死んだということが、わかっていないのだ。きっと突発的な事故で、死を受け入れる時間がなかったに違いない。
 彼女の子供がまだこの世にいるのか、あるいはあの世にいってしまったのかは、私にはわからなかった。でもとにかく、彼女を物質界から何とか去らせてあげなければならない。
 だれかが助けてあげなければ、彼女はこのまま永久に、この世とあの世の中間をさまようことになるかもしれないのだ。トムもやってきて、様子をうかがっていた。私とは長年のつきあいだったので、彼はそれまでにも私の仕事ぶりを目にしたことがあった。だからあわてたりはせず、私を支えてくれようとした。
 私は少なくとも一時間は彼女と話していた。霊の案内役たちにも、彼女の移行を手助けしてくれるよう頼んでみた(私はそれまで、そういった状況に出くわした経験がほとんどなかったので、できる限りの手助けを必要としたのだ)。どれくらいの期間にわたって彼女がその状態でいたのか、はっきりとはわからなかった。身につけていたスカートやブラウスは、あまり流行に関係ないスタイルだったので、彼女の衣服から事故のあった時を割り出すことはできなかった。私は何度も、お子さんは大丈夫、そのお子さんにまた会うためにも、他界しなければならないのです、ということを繰り返した(その子供がこの世にいようがあの世にいようが、それはほんとうなのだ)。
 私はしゃがみこみ、彼女と一緒になってはいつくばり、彼女の信用を得ようと必死だった。おそらく、あの世からの手助けのおかげで、彼女も私の言葉に耳を貸すようになったのだと思う。去るように納得させることはもう不可能だ、とあきらめかけたそのとき、突然彼女の姿が消えた。移行が行われたのだ。
 私はほっとした。二つの世界のあいだに挟まれるという状況は、空恐ろしいものだ。そういう状態に陥る大きな原因は、突発的な出来事だ。二つの世界に挟まれ、動けずにいるのは、この女性の霊魂だけではない。戦場などには、撃ち殺されたことに気づかずに行進を続ける兵士たちが群がっている。霊界行きを納得させられるまでのあいだ、彼らはそのままいつまでも行進し続ける。
 このような哀れな霊魂たちは、死への準備が整っていなかったのだ。心の中で死が受けつけられなかったがために、アストラル体がこの世に縛りつけられたままになる。そういった哀れな霊魂と話す役目を担った、特別な霊のヘルパーが存在する。この世を去らなければならないと納得させるのには、何年も要する場合が多い。だがヘルパーたちはあきらめたりはしない。だから、やがてはそういった霊魂も、移行していくことになるのだ。
 幽霊屋敷は、あの世へいけない、あるいはいこうとしない霊魂たちの住みかだ。その理由は、突発的な死だったり、物質界への過剰な愛着だったり、あるいは最悪の場合、復讐のためだったりする。さまよう霊魂すべてが、邪悪なものとは限らない。その多くは、単に混乱しているだけなのだ。その点は、その魂がこの世に縛りつけられる理由によって、まちまちだ。
 幸運なことに、私はその女性を助けることができた。彼女のカルマが、ハイウェイのあの場所に霊能者を引き寄せたのだ。私はそれ以来あのあたりを何度も通っているが、その度ごとにハイウェイ上で、彼女がほんとうに去ったかどうかを確認している。
 二つの世界に閉じ込められる状況は、地獄とはまた違う。この世から霊界へと移行するのが困難な魂が引き寄せた意識の状態のひとつにすぎない。地獄をいちばん正確に解釈するには、応報の法則を理解することだ。絶対的な公平さというものが存在する。私たちは、自ら勝ち得たものを引き寄せているのだ。これは、霊界においても、この世においても、適用される法則だ。
 目が不自由に生まれついた赤ん坊は、この世での行為によってそういう状況を引き寄せたわけではない。それは、その赤ん坊の魂のための試練なのだ。この見た目には不公平に思える事柄を合理的に説明する唯一のものは、輪廻転生だ。つまり、前世における経験がもとで生じた試練なのだ。
 善良な人間が、悪人に善意というものを教えるために、邪悪な人間のとなりに住むよう仕向けられることもある。私たち人間は、肉体をまとって暮らしているあいだに、自身のあらゆる行動の帳尻を合わせなければならないのだ。邪悪な行動が、懲罰を逃れるということはありえないし、善良な行いが報われないということもありえない。どういう行いを選ぶかは、それぞれ個人の自由だ。
 
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