第六章 思考の世界

 霊界は、思考の世界だ。霊界に到着したその瞬間に、あなたも思考の力を実感し、そのすごさに圧倒されることだろう。世に出回っている積極思考(ポジティブ・シンキング)の力についての本を、あなたも読んだことがあるかもしれない。だがあの世における思考の力は、あなたの想像をはるかに上回るものだ。
 霊界についたあと、すぐに思考の動きを理解することになるはずだ。もう肉体に制限されることもない。この世では、まずやりたいことを頭に思い浮かべてから、その思考を実現させるために物質的な行動をとらなければならない。たとえば、あなたが店にいくことにしたとしよう。その場合、家を出て、目的地まで車を走らせるか歩くかしなければならない。ところが霊界では、どこかにいるという状況を頭に思い浮かべた瞬間、実際にその場にいるのだ。心と思考は一体で、チームを組んでいるようなものだ。
 物質界での積極思考は、幸せで、充実した生活をつくり上げるのに役立つ。ものごとを前向きに考えることによって、難問を切り抜けることができるようになるし、それは私たちの生活の質や死後の世界にまで影響を与える。物質界における環境は、現在の私たちの思考、行動、そして現世に持ち込まれた前世のカルマ的状況が、すべて総合されたものだ。この世で私たちが対処しなければならない状況の中には、思考習慣とは関係なくカルマによるものがある。だが霊界へ移行すれば、そこでの生活はもっぱら私たちの思考だけで成り立つのだ。カルマが働くのは、物質界においてのみなのである。

 正しい思考

 キャリーという名のすてきな女性が、1989年、癌のために他界した。闘病生活を続けているあいだ、私はよく彼女とともに時を過ごし、あの世についてもたびたび話し合っていた。彼女は、積極思考で生きることが試練を切り抜ける鍵だということをきちんと理解していたので、何についても前向きに考えるよう努力していた。怒りやうらみなどは、いっさい考えないようにした。ただひたすらに、健康を向上させることだけに心を傾けていたのだ。キャリーは、コップの半分が空いているのではなく、コップに水が半分入っていると考える人間だった。だれもがキャリーのことを愛していたし、その前向きな性格を熱心に見習っていた。彼女のニックネームはエンジェル。ぴったりの名前だ。
 2年間ほど病状がおさまっていたので、癌が再発したとき、キャリーはひどく打ちのめされた。そして、自分を責めた。彼女は、自分の思考が十分前向きなものではなかったために癌が再発したのだと考えたのだ。彼女は打ちひしがれ、泣きながらこう言った。「どうしてわたしのからだは思ったとおりに動いてくれないのかしら?」。自分を責める彼女を見て、私は悲しくなった。彼女は、積極思考というものを、勘違いしていたのだ。私はキャリーがそれを理解するために力になりたいと思った。彼女のものの考え方自体には、何も問題はない。私かいままで会った中でも、もっとも前向きで、愛すべき人間なのだ。病気について愚痴をこぼしたこともなかったし、他人に対してはできる限り救いの手を差し伸べようとする人だった。癌にかかったのは、彼女のカルマなのだ。
 私は彼女に、人生には前世から持ち込まれた状況というものがあるのだと説明した。たとえば、生まれつき目の不自由な赤ん坊が生まれたとする。その母親は、妊娠期間中きちんと健康管理に努めていた。家族の中に目の不自由な人間はひとりもいない。つまり、この見た目には不公平と思えるような事態に対する、論理的な理由がいっさい見いだせないとする。実は、その赤ん坊の魂が前世のカルマを解き放つために、自らその問題を持ち込んだのだ。その場合、その赤ん坊が間違った考え方をしたなどと言って責める人間などいるだろうか?
 その赤ん坊が成長したあとは、そのカルマ的状況とどのように取り組むかという選択は、本人の手にゆだねられることになる。積極思考で取り組めば、ユーモアと勇気をもって、その難問に立ち向かうこともできるだろう。その場合、その子は自分が積極思考で立ち向かったのにいっこうに視力が回復しないと言って怒るだろうか? あるいは、自分のカルマ的問題を抱えながらも、建設的な人間として幸せに生きていくだろうか? その答えは、彼の思考習慣によって決まるのだ。
 キャリーは、自分は健康を回復させるのにできる限りのことをやったのだという事実を受け入れると、大きな安堵感を得た。私たちは一緒に、彼女の人生とものの考え方について検討してみて、彼女がとてもすばらしい、前向きな人生を送ってきたのだということをはっきりとさせた。それに気づくとキャリーは、心穏やかに死を迎えられるようになったのだ。

 キャリーが他界したあと、私は彼女からのメッセージを受け取った。それは、興味深いかたちで送られてきたメッセージだった。キャリーが他界する前、私たちは、いつかまた会えるということについて話し合っていた。そのとき彼女は、自分が他界したとき、私に知らせにくると言ったのだ。すべてうまくいっているという、はっきりとしたサインを送ると言って。
 キャリーはカリフォルニアに住んでいたので、彼女が他界した日、私は一緒ではなかった。当日の夜遅く、寝室でテレビを見ていると、バカラグラス製の天使(いつもはドレッサー・の上にある)が部屋を横切って飛んできた。文字どおり、飛んでいたのだ(こういった現象には慣れている。霊能者にはめずらしいことではない)。私は天使を拾い上げた。それをもとの場所に戻すと、デスクの横にホワイト・フェザーが立っているのに気づいた。いつものように腕を組んでいた。彼の落ちついた態度から、私に何かメッセージがあるのだと悟った。
 私は身動きひとつせず、アストラル・スクリーンに全意識を集中させた。すると、キャリーの明るい顔が見えた。笑いながら、人々と一緒に何かしゃべっていた。その中には、彼女の母親もいた(私は母親の写真を見せてもらったことがあったのだ。その母親は、彼女が10歳のときこの世を去っている)。それは、大々的なパーティーといった様子だった。やせ細って、青白い顔色をしていたキャリーだったが、そのときの彼女は完璧なほど健康そうに見えた。前向きな考え方と、死後の世界を信じる心のおかげで、彼女は霊界への移行をすんなりとクリアできたのだ。その画像は、彼女が他界する心の準備を整えていたということを表していた。彼女が死を迎えたときの心構えは、生きているときと同じぐらい前向きなものだったのだ。
 画像は消え、ホワイト・フェザーも去った。時計に目をやった。彼女の夫に電話してみようかと思ったのだ。だがその時間、カリフォルニアは真夜中だった。電話をするのは、翌朝まで待つことにした。
 つぎの日の朝、私の電話が鳴った。キャリーの夫が、彼の「エンジェル」がほぼ真夜中に息を引き取ったと知らせてきたのだ。静かに、穏やかにこの世を去ったという。
 私は、彼女の他界をもうすでに知っていたということは、黙っておいた。

 霊界における思考の具体化

 この世で、考えたことを実現するためには、具体的、物質的手段をとらなければならない。だが霊界では、そんな必要はない。
 たとえば物質界では、家を建てるためには大変な労力を要する。設計図が作成されると、今度は建設業者が施工する。家を実際に建てるのには、何カ月間にもわたる重労働が必要になることもある。家具調度品の整備にいたっては、言うまでもない。
 ところが霊界では、望みの家を思い浮かべるだけで、それが実際に手に入る。祖母のグレースも、思い浮かべることによって、アイオワの家を再現させている。慣れ親しんだ環境で暮らしたいという彼女の願望が、その家を実現させたのだ。その家はとても現実的なものだが、物質的材料でできているわけではない。思考の形態からできているのだ。だからその家は、祖母の思考形態が望んでいる限り、そのままの姿をとどめていることになる。そのうちに彼女がその家に住みたいという願望を捨て去れば、家は消えてなくなるのだ。祖母の思考形態は、自分の居場所を人に教えることもできる。彼女に強い思考が向けられると、彼女のほうもそれを受け取る。この世で祖母の知り合いだった人物が霊界に到着し、祖母の居場所を知りたいと思ったら、祖母に向かって力強く念じればよいのだ。祖母はそれを感じ取ると、今度は自分の力強い思考形態を使って、自分の家の位置を知らせる。これらはすべて、一瞬のうちに起こることだ。そうしたら今度は祖母の友人が、家までどうやって出かけていくかを決める。歩いてもいいし、飛んでいくこともできる。
 思考が具体化されるからと言って、霊界ではプライバシーがないというわけではない。霊界に暮らせばすぐさま透視能力が身につき、他人の思考を読み取れるようになるというわけではないのだ。自分の考えが他人にもわかってしまうというのでは、あまり幸せな状況とは言えない。実際は、物質的な行動をとらなくても、自分の思考の成果を目にできるということなのだ。思考形態は、瞬時に具体化する。着たいと思った服を思い浮かべたもうそのときには、あなたはその服を着ているはずだ。連絡をとりたいと思った人間に意識を集中すれば、その瞬間にもう相手からのメッセージを受け取っていることになる。
 
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