トニー、自殺の前後 数年前、トニーが自殺した。彼のことは、愛情と悲しみが入り交じった気持ちで、いまでもよく思い出す。自殺のあと、二度ほど彼に会った。自分のとった行動に対する彼の自責の念と悲しみに、私はひどく胸を痛めている。 トニーは才能あふれる繊細な若者で、あらゆる生きがいを手中にしているように見えた。彼に救いの手を差し伸べる人間がいなかったためにこの悲劇が起こったというわけではない。彼は週に四度セラピーに通っていたし、愛情をもって支えてくれる数多くの友人たちに囲まれていた。だが実際、生きていくのがつらくなると、トニーは人生を中断させてしまった。彼は、死にたがっていたのだ。 自殺というのは、常に複雑だ。その動機は、幼年時代の精神的外傷や、前世で未解決のまま残された問題にまでさかのぼることがよくある。私は専門家ではないので、心理学的見地からの意見を述べることはできない。しかし、ここに私の個人的体験を記し、自殺はどんな問題をも解決するものではないということをみなさんにわかってもらえることを願っている。 トニーはアルコールもドラッグもやらなかった。食事にはいつも気を配り、規則正しく運動していた。彼はプロの俳優として生活していたので、外見にはかなり気を使っていたのだ。 トニーは、ありとあらゆるものごとに対して気をもむ人間だった。青のセーターにするか黒のセーターにするか決めかねて、店で二時間も迷っていたものだ。決めたあとになっても、自分の選択がはたして正しかったかどうかをくよくよと考えながら、もう二時間を費やすのだ。優柔不断などという言葉では表しきれないほど、それはひどいものだった。 彼の優柔不断さは、他人から認められなければ気がすまないという性格によるもので、個人的なプライドとは関係ない。彼の人生でもっとも大きな悲劇のひとつは、彼が自分がいかに特別な人間であるかということに気づいていなかったという点だ。どれだけ大勢の人間に支持されようが、彼は安心できなかった。満足するということができなかったのだ。 心の悪魔と30年間ほど闘った末、彼は命を断った。まわりの人間はみな、ショックを受け、怒りを感じた。私にとって彼の一件は、親しい人間が自殺するというはじめての体験だった。悲しくてたまらなかった。彼のために、もっと何かできたのではないかと悔やんでばかりいた。 やがて私は、その返事を受け取ることになる。 この世を去ってから2年たったとき、トニーはロンドンの霊能者を通じてメッセージを送ってきた。私はそのとき休暇で、友人を訪ねていたのだが、友人のひとりが、ロンドン郊外に住む優秀な霊能者の話をしてくれたのだ。好奇心から、私はその霊能者と会う約束を取りつけた。同業者たちの働きぶりを目にするのは、とても興味深いことなのだ。 このイギリス人霊能者は、悲しみに暮れたある人物が、霊界から私にメッセージを送りたがっていると言った。 「彼の名前はTで始まります。あなたを苦しませてすまなかったと言っています。いまでは、自分のしたことが間違っていたと気づいたのです。自分を救おうと必死になってくれたあなたに感謝しています」 その言葉を聞いているあいだ、涙があふれてきた。 その霊能者は続けて、トニーは自分がどれだけ多くの人間に愛されていたかということに気づいていなかったのだと言った。それに、自分が友人や家族に引き起こした苦しみを感じるのは、たまらないことだ、と。人が自分のことを気にかけてくれていたなど、ちっともわかっていなかったのだ。 いま自分のいるところは、寒くて、暗くて、寂しい場所だという。できることなら、もとに戻って、もう一度やり直したい。まるで閉じ込められているような感じだというのだ。 聞きながら、私は悲しくてたまらなくなったが、輪廻転生の知識があったことで救われた。トニーも、いつか再び人生を歩むチャンスを与えられるはずだ。いまは悲劇的状況に陥っているだけで、望みがまったくないというわけではない。 その霊能者は続けた。「彼は泣きながら、何度も何度も、申し訳なかったと繰り返しています。霊のヘルパーとの話し合いで、霊界に移れるまでのあいだ、ずっとこのままでいなければならないことを知りました。自ら命を断ったりすればどうなるかということをあなたが一生懸命警告してくれたことはおぼえています。でもそのときは自分の考えに没頭するあまり、聞く耳を持たなかったのです」 面会を終え、ロンドンの街中を歩きながら、トニーの人生と、彼の現在の状態について思い返してみた。トニーはいつでも、だれか他人に決断を下してもらいたがっていた。彼は、自分自身の生活や行動について、責任を取りたがらなかったのだ。悪い人間ではない。ただ、自分本位だったのだ。そしていまや彼は、二つの世界に挟まれたまま、本来の他界の時期が訪れるまで過ごさなければならない。 彼に向け、愛のこもった気持ちを送ることにしよう、と思った。それが少しでも彼の慰めになることを期待して。いつの日か、彼も立ち直ることだろう。 トニーから受け取った二度目のメッセージは、その約一年後で、ニューヨークで彼が暮らしていたアパートを通りすぎたときのことだった。家が近かったということも、彼を常に思い出させる一因となっていた。そのある夏の日の午後、彼のアパートのわきを歩いていると、歩道上に彼の霊を見つけ、ぎょっとした。彼は、私から目をそむけていた。それはそれで構わなかった。私を見てしまえば、また私に向かって謝らせることになってしまうから。トニーに対して怒りは感じなかった。ただ、残念に思うだけだ。その死は、彼を愛した人々に大きな苦しみを引き起こしたとは言え、同時に多くの教訓を与えてくれた。そのひとつは、彼の決定に対して、私たち自身を責めることはできないということだ。多くの救いの手が差し伸べられたのにもかかわらず、彼のほうがそれを受けつけなかったのだから。だかその彼にも、前世では手に入れられなかった平穏をいつか見いだせる日がくることだろう。 より大きな展望 私たち人間は、より大きな展望でものを見るようになれば、絶望ではなく理解をもって肉体的、精神的試練に立ち向かうことができるはずだ。人を自殺に駆り立てるような諸問題は、ほんの一時的なものなのだ。命は、永遠なのだから。 私たちは、自身のカルマによってもたらされた試練に面と向かう必要がある。そういった試練は、新しいカルマを生み出し、過去のカルマを解き放つ機会を与えてくれるのだ。 現世におけるひとつの短い人生は、時間という大海の、ほんの一粒の水滴にすぎない。人間は生まれ、生き、霊界へと移っていく。死は誕生と同じように自然なものであり、私たち人間はできる限り自然なかたちで死ななければならない。自然に息を引き取れば、その霊魂は静かに浮かび上がり、光へと向かう。だが自殺した場合、魂が肉体から引き裂かれてしまうようなものなのだ。 学ぶのに早すぎるということはない。子供やティーンエージャーには、人生の尊さを教わる権利がある。人生の試練を切り抜けるための道具を与えられるべきなのだ。より大きな展望に基づいた教育を行えば、数多くの自殺が避けられるかもしれない。 自殺は、何の問題も解決しない。問題をさらに増すだけだ。どうかわかってもらいたいのだが、あなたは何をも殺すことはできないのだ。物質界での生活を終わらせることはできるが、霊魂は生き続ける。 自殺を試みて失敗に終わった人たちの話に耳を傾けてほしい。彼らは口をそろえて、自分がいった場所は不快なところで、もう一度生きるチャンスを与えられたことに感謝していると語ってくれるはずだ。 問題は過ぎ去るが、心の中の神はいつまでも一緒だ。私たちは、人生を守り、心の中の神に敬意を払わなければならない。 余命があとほんの数力月だけという状況になっても、つぎの人生で役に立つように、できる限りの知識を身につけながら、残された時間を過ごすべきだ。 この世に生まれ出た瞬間から、肉体は死に向かって歩き始める。私たちが人生で行うことはすべて、肉体が死に向かっている過程内での出来事だ。最後の息を引き取るそのときまで、私たちは人生から学び、経験を積むことができる。人や心の中の神を愛し、仕えることができるのだ。人生はみな神聖で、不思議に満ちている。大切に守らなければならないものなのだ。 より大きな展望は、私たちの行動一つひとつによって描き出される。私たちはみな、現世でどう生きたか、どう死んだかということによって、来世を勝ち得ることになるのだ。 |
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