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12章 霊界からの計らい ハロルド・シャープ氏は、すでに何度も紹介したように優れた霊媒で、その交霊会にはよく動物が出現することで有名ですが、動物に対する人間の虐待行為(医学のための動物実験など)への反対運動にも熱心で、また、身寄りのない浮浪者の救済にも積極的に参加している方です。 ある日、シャープ氏と私を含めて4人の出席者で催した交霊会で、支配霊(その日の霊媒の支配霊で、シャープ氏のではない)が 「ハロルド、寒さで死にそうになっているものを救ってあげなさい。小さなものが重大な役目をすることもあるからね」 という謎めいたメッセージをシャープ氏に述べ、それで交霊会は終わりとなりました。 シャープ氏は、これはきっとテムズ河畔やトラファルガー広場にたむろする浮浪者に食べものを恵んであげている仕事を続けるようにという意味だろうと受け取ったそうです。 さて、交霊会のあと紅茶で談笑し、夜明け近くになって帰宅しようと、玄関のドアを開けると、昨夜から降り続けていた雪の中に小さなシマネコが寒そうにまるくなっておりました。 「これ、お前はどこの子かな?」 とシャープ氏が拾い上げながらつぶやきました。ネコはうれしそうにノドをゴロゴロいわせるだけで、答えてくれません。が、シャープ氏は何やら意味ありげにそのネコを見回してから 「まてよ、このネコはたしかヘンドン通りのある家の玄関で見かけたが、これから行って尋ね当ててみよう」 と言い出しました。ヘンドンはロンドンの北西部郊外の住宅地で、そこからは2マイルもあります。連れの仲間たちは、そんな頼りない記憶でそんな遠くまで行くのは無謀だと言って、思い止まらせようとします。 「もしも家が見つからなかったら、ネコはますます迷ってしまいますよ」とか 「あなたが見たシマネコと同じものだということがどうして分かるのですか。シマネコはどれも似たりよったりじやないですか」などと言います。 が、そう言われれば言われるほど確信を深めたシャープ氏は、やはり行ってみることにしました。わきの下にその小ネコを押し込んで、ヘンドンへ向かって歩き始めました。 朝とはいえ、まだ真っ暗です。目指した家に着いた時も真っ暗でしたが、ベルを鳴らすと、男の人が出てきました。 「このネコはお宅のでしょうか」 と言いながら、わきの下から出して見せると 「ええ、そうですとも!」 という返事です。 シャープ氏は「やっぱり」と思って喜びましたが、そのシマネコの名前が“リトル・ワン”(小さいもの)であることを聞かされて、昨夜の支配霊からのメッセージの意味がピンと来ました。 その男の人は最近になって母親を失い、妻を失い、そして子供にまで先立たれて、失意のドン底にあったのです。シャープ氏はその家に1時間以上もお邪魔して、死後の生命の実在について話したといいます。 興味を抱いたその人は、その後ヘレン・ダンカン女史の交霊会に出席しました。するとそこへ息子さんが物質化して出現し、感激の対面をしました。その息子さんが語ったところによると、こうして父親を慰めてあげようと思って、あの“リトル・ワン”をシャープ氏のいる家の玄関に連れて行ったのだそうです。 すべては霊界側の計らいだったのです。 英国が生んだ世界的な物理学者で哲学者でもあったオリバー・ロッジ卿は、60年に及ぶ霊的研究の結果を次のようにまとめております。 動物にも死後の生命があるかという質問をよく受ける。それに対する私の答えは、愛情こそ生命にとっての実在物であり、他の実在物と同様に、永遠に存在し続けるものである。宇宙は何よりも「愛」によって支配されており、愛の支配を受けるものが消滅することはありえない。 そのことを象徴的に表現した言葉がいろいろとある。たとえば、神は私たちの髪の毛の一本一本まで数えられているとか、スズメの1羽が落ちるのもご存知であるといったことであるが、それがまさに真実を述べていることを証明するものを、われわれはすでに十分に手にしている。 生命が存在を失うことは有り得ない。物質とのつながりを失うだけのことである。普通一般の植物や動物の生命には個性というものがなく、従って死後に個体としての存在はない。 しかし、動物の中でも進化の高いものになると、人間的資質をかなり身につけているものがいる。つまり彼らは個としての記憶をもつ段階にまで到達しており、それが個性の始まりである。 その中に、人間との愛の関係によって存在を確保するに至っているものがいるのである。 そう述べてから、第一次大戦で戦死した息子さんのレーモンドが交霊会に出現して、先に他界していたラリーという名の犬が自分を出迎えてくれた時の話をした感激的な思い出を語ったあと、さらにこう述べています。 愛は束の間のものではなく、永続性がある。それゆえ地上時代に情愛が通い合っていた動物とは必ず再会できる。形体の違いは関係ない。死後に生き続けるのは魂と能力である。死んではじめて本当の意味で「生きる」ことになるのである。私の調査では四つ足の動物でも人間と同じレベルに達しているのがいるようである。 |
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