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 「人生の残り時間」の思考法
 “明日はない”と思うと、生き方が変わる
ガリー・バフォン・著 住友進・訳
主婦の友社
 
 
 人生でほんとうに重要なことを決断する

 死と向き合うと、自分にとっての価値や人生をじっくりと考え直さざるを得ない状況に立たされます。
 ツール・ド・フランスの優勝者ランス・アームストロングは、著書『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』(講談社刊)のなかで、このような突然の状況の変化について話しています。

 医者から「癌です」という言葉を耳にするまで、恐怖とはどんなものか知っているつもりでいました。しかし、ほんとうの恐怖感に襲われたのはその瞬間がはじめてだったのです。それまでわたしが恐れていたのは、人に嫌われたり、笑われたり、お金を失うことでしたが、突然、そんな恐怖はまるっきりちっぽけなことのように思えてきました。大切なものがそれまでとはすっかり変わってしまったのです。機体が激しく揺れている飛行機など、癌に比べれば怖くもなんともないものだったのです。

 死にそうな体験をすると、従来の価値観がくずれ、自分が変わっていきます。心理学者ケネス・リングは、すんでのところで死を免れた経験を持つ何千もの人にインタビューしました。『光に学ぶ』のなかで、「このような体験をした人間は、人生をやり直し、もっと充実した生活を送り、人を素直に愛せるようになった。以前より目的をもって人生を送り、愛情、同情、受容など精神的な価値を意識的に選んで人生を築き上げている」。
 臨死体験者は、人生で大切なものが以前とは変わっていきます。権力、評価、名声、お金、仕事、地位のような典型的な「やる気の源」は、突然、さほど重要ではなくなります。
 手に入れたものはすべて消え去っていくものなので、モノを獲得することでは満足は持続できなくなるのです。人と自分を比べることももはや意味を失い、重要なことではなくなっていきます。
 競争などちっぽけなことで、人と手を取り合うことが一番素晴らしいことなのです。死に遭遇した人々は、自分のエネルギーや時間を地域社会や他人に捧げ、仕事を離れた私的な人間関係をもっと大事にするようになります。そして、自分自身を知り、その姿を受け入れることで、生きがいを持って人生を歩んでいこうとします。
 死と触れ合った人がしばしば報告する共通の体験が、自分の一生の回想です。多くの人が臨死体験のなかでこの回想体験が一番貴重な体験だったと説明しています。体験者は、この経験を、「目の前で全生涯がぱっと照らし出された」という言葉で表現しています。
 ケネス・リングの著書『オメガ・プロジェクト』(春秋社刊)のなかに紹介されたひとりの人物の例が、この回想過程を説明しています。

 今まで自分の人生に起こった出来事を、すっかり、漏れなく、はっきりと知ることができました。その瞬間、人生のあらゆることがもっと明確に理解できたのです。この回想体験は、すべての人間がこの地上に送られてきたのは、その人物にとって大切なことに気づき、それを学ぶためだったことが分かったのです。もっと愛を分かち合ったり、互いに愛し合ったりすることもそのひとつの例です。一番重要なのは物質的なことではなく、人とのつながりや愛なのです。

 臨死体験の研究に参加した人は、自分の人生、感情、思考、行動、他人に及ぼした影響などあらゆることを再び体験します。そして、この再生の過程を、個人的な判断は差し挟まず、ありのままに映し出される「教育ビデオ」として人生を回想したと報告しています。その結果、自分が実行したすべてのことがそのまま自分に戻ってくるという驚くべき認識に到達するのです。すなわち、人に与えたものをまさしく自分が受けとるのです。子供にたいし無償の愛を捧げていれば、あなたにもその愛が戻ってきます。人を傷つける言葉は、同じようにあなたを傷つけることになります。
 多くの臨死体験の報告から、人生を回想していく過程で、人々は人にたいする親切、同情、無条件の愛などに重点を置くようになり、それまでの成功の定義(お金、業績など)はそれほど大切なものではなくなります。
 わたしの友人のジュリアンの体験がこの価値観の変化をはっきりと証明しています。彼はアメリカンドリームを追い求めて過ごしてきた男でした。大成功を収め、公衆衛生局医務長官に上り詰めた彼は、仕事のためには余暇、家族、ついには自分の健康さえ犠牲にして、週80時間も働いていました。
 公私ともに順風満帆だった彼が、病院に運び込まれて、五カ所の心臓のバイパス手術を受けたという知らせには、わが耳を疑いました。手術の最中、状況は最悪となり、手術台で二度も心臓停止状態になったのです。
 手術をしてから数カ月後、病院の医者が集うロビーでわたしは偶然ジュリアンと出会いました。「多くの医者と同様、自分は医者なんだから、死を打ち負かす力があるんだって思っていたものだ。心臓発作が起こるまでの16年間、医者に診てもらったことは一度もなかったからね。死は自分以外の人間に訪れるものだって考えていたんだ」
 死と触れ合った体験後、ジュリアンは自分の人生をはじめて真剣に考えるようになりました。外科手術の回数を減らし、今までほうっておいた妻や子供との暮らしを取り戻し、自分のこころを豊かにし始めたのです。その後、彼が医学の才能を利用して、中央アメリカの子供を救うために結成された医師のボランティア組織に参加したことを知りました。わたしの知る限りでは、この人生を変えた決断をジュリアンはまったく後悔していません。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
医者から「死」を宣告された時、人はその心の奥に潜んでいた本当の心(=潜在意識)と直面することになります。そして、ある人はそれまでの生き方を反省し、物欲や名誉欲といったこの世的な価値に執着する生き方を改めるのです。また、人によっては死の一歩手前まで行って(臨死体験)、自分の人生をパノラマ的に見せられ、そのことによって、それまでの生き方の誤りに気づかされたり、人生の目的を教えられたりすることもあるようです。生き返ったあとは、それまでとは全く違った生き方をするようになるという事例が報告されています。
 これからまもなく迎えることになると思われる終末とは、「人類が一斉に死を宣告される」状態と思えばよいでしょう。そのとき、恐怖心に駆られて取り乱す人と、物欲をはじめとする現世的欲望に支配された心の持ち方を大反省する人とに二極分化するはずです。「終末における極限的状況」に直面すると、人の本心(カルマ)が否応なしに表面化するからです。
 「人生のパノラマ的回顧」について述べた本は当サイトにもたくさん紹介しています。当コーナーでも『「死後の世界」研究』にその記述があります。また、『チベット生と死の書』でもそのことに触れています。
 
 
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