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 日本「霊能者」列伝
別冊宝島編集部・編 宝島文庫
 
 
 オカルトの魅力にハマった文豪たちと作品群

 文明開化が叫ばれ、科学合理主義が行き渡っていく一方で、こっくりさんや催眠術が大流行した明治時代。科学が世の中の規範として広く認められていった時代だが、この時期には、心霊的な世界を科学の方法によって明らかにしていく試みや、超常能力を目覚めさせることができると宣伝された催眠術、さらにオカルト的な知も紹介されていった。こうした状況に対して、文学者たちも多様な反応を示している。

漱石と鴎外

 たとえば、夏目漱石。イギリス留学時代から心霊研究の書籍に目を通していた漱石は、『吾輩は猫である』(1905〜6)でテレパシーや催眠術を話題にし、『琴のそら音』(1905)では、死の直後に遠く離れた夫の元に姿を現した妻の話を描いている。『行人』(1912〜13)に登場するのは、妻の心のうちを知りたくてテレパシー実験に熱中する、大学教授の長野一郎である。やがて彼は「死後の研究」にも興味を示し、メーテルリンクの神秘的著作などを読み耽るものの、心霊研究と同様、つまらぬものであると嘆息する。
 漱石と並び称される文豪、森鴎外には、催眠術をテーマにした『魔睡』(1909)という作品がある。また彼の代表的な史伝に『渋江抽斎』(1916)があるが、抽斎の七男である渋江保は高橋五郎と並ぶ、日本での心霊学普及の功労者だった。同時期に心霊学に関心を示した作家としては、岩野泡鳴、柳宗悦などがいる。ちなみに明治天皇崩御の日、よりによってこっくりさんに興じていたのは、志賀直哉と武者小路実篤である。志賀には、精神感応をあつかった『焚火』(1920)という作品がある。

芥川の原点

 さて、心霊学にとどまらず、妖怪、怪談にも深い関心を抱いていたのは、芥川龍之介である。若き日の芥川は『遠野物語』の影響下、さまざまな怪異譚を収集し、書きとめていた。『二つの手紙』(1917)、 『妖婆』(1919)、『黒衣聖母』(1920)、『奇怪な再会』(1921)など、近代の怪異を描いた作品も多い。その芥川が横須賀の海軍機関学校に勤務していたときの同僚に、E・S・スティーブンソンがいる。彼は20世紀最大のオカルト的知である神智学(セオソフィー)の、日本における最初の紹介者である。芥川はこのスティーブンソンと関係があったらしい。
 『保吉の手帳から』(1923)という作品に、スティーブンソンと思われる人物が登場している。保吉は学校へ通う往復の車中でしばしば彼といっしょになり、煙草の話や学校の話や幽霊の話で盛り上がる。彼はセオソフィストで、魔術や錬金術やオカルトサイエンスの話になると、必ずこう言ったという。「神秘の扉は俗人の思う程、開き難いものではない。寧ろその恐ろしい所以は容易に閉じ難いところにある。ああ云うものには手を触れぬが好い」。芥川の英米怪奇小説に対する膨大な知識のなかに、オカルト的な知が入り込んでいることは間違いなさそうだ。

霊能力者・宮沢賢治

 ここまで紹介してきた作家たちが、主に知的な関心からオカルトに目を向けているのに対し、自らある種の霊能力を抱え込んでしまった作家もいる。ここですぐ名前があがるのは、宮沢賢治だ。壮大な幻視空間を童話と詩で表現しつづけた賢治だが、ときにその表現は、向こう側の世界を忠実に描いているように感じさせるものがある。たとえば『河原坊(山脚の黎明)』。1925(大正14)年8月10日の夜、霊蜂として南麓の登山口、河原坊をひとり訪れた賢治が、そこで野宿したさいの不思議な体験を描いたものである。
 同じく、幼いときからある種の心霊体験を抱えていたのは、川端康成である。明くる日の天気や失せ物の所在などをあてることができたが、長じるにつれて、そういう能力は徐々に失われたと、川端は述べている。こうした体験ゆえか、川端には心霊体験をあつかった小説が数多くある。『白い満月』(1925)、『抒情歌』(1932)などだが、なかでも『花ある写真』(1930)には、心霊写真をはじめとする多様な心霊現象が描かれている。

二・二六事件と三島

 そして最後にあげるべきは、やはり三島由紀夫だろうか。『英霊の声』(1966)は、霊を呼び出す帰神の会に現れた英霊たちの、怨嗟の声が響きわたる作品である。三島はこの作品の執筆にあたって、まるで何かに取り憑かれたかのように筆が進んだという。美輪明宏にその話をしたところ「二・二六事件の関係者があなたの背後にいる」と言われ、三島が顔面蒼白になったというエピソードが残っている。

 ★なわ・ふみひとのコメント★
 
ここで特に注目したいのは芥川龍之介と三島由紀夫です。2人とも自殺という形でこの世を去りますが、三島の場合は自衛隊の市ヶ谷駐屯地に乗り込んで演説をしたあと切腹をするという異常な死に方をしています。二・二六事件の首謀者の一人である磯部浅一の霊が憑いていたと言われています。このように、自殺者には必ず霊界からの強力な干渉があると見て間違いないでしょう。(参考→「三島由紀夫は霊に憑依されて自決した」
  芥川龍之介の作品『保吉の手帳から』の中で、海軍機関学校時代の友人が言ったとして紹介されている次の言葉は肝に銘じておきたいものです。
 
「神秘の扉は俗人の思う程、開き難いものではない。寧ろその恐ろしい所以は容易に閉じ難いところにある。ああ云うものには手を触れぬが好い」
 日本に昔からある「触らぬ神に祟りなし」ということわざと全く同じことを言っています。今日では異次元(霊界・幽界)との壁がますます薄くなってきていますので、超能力を得ようとしてさまざまな形で異次元に働きかけをしていると、割と簡単に霊言が聞こえたり、宇宙人を名乗る存在からメッセージが届いたりするのです。ここに紹介されている小説家たちのように、異次元世界に強い関心を持って四六時中そのことを考えていると、特別な修行をしなくても簡単に霊道が開くようになります。
 ただし、いったん霊道が開くと、こちらからそれを閉めることは簡単ではありません。しかも、そこを通って干渉してくる霊を選別することは、自分ではできません。やがてよからぬ霊に憑依され、挙げ句の果ては発狂したり、自殺したりするという結末を迎えることになってしまうのです。異次元からコンスタントに何らかのメッセージが届き始めたという人は、すでに低級霊界からの干渉を受けているとみて間違いないと思います。
 
 
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