食は栄養剤とは根本的にちがう
「食生活はとても大切だ」とよくいわれるが、ほとんどの人の場合、日々のなりゆきまかせで、あまり気をつかっていないことが多い。医者も患者に向かって、「バランスのとれた食事が大切です」と口ではいうが、本人自身が食事に全く無頓着なことが多いし、また、「では、バランスのとれた食事とは、一体どういう食事ですか?」と聞くと、実は医者本人がよくわからなかったりする。
ある意味で無理もない。医学部での授業では、栄養、食事のことは全くといっていいほどとりあげられないし、病気と人体についての膨大な知識ばかりをつめこまれるだけだからだ。病院に勤務すれば、栄養、食事については、栄養士にまかせっきりになる。患者に食事のことを聞かれたら、あちらこちらの本の知識を寄せ集めて、もっともらしく説明するほかない。
さらに、私の友人たちを含めて多くの医者が「病院の食事はちょっとねえ……」とつぶやくことがある。なかには「全くひどいものだよ。病院食は」と言いきる医者もいる。古くより、「医食同源」といわれるとおり、食事と健康の相関関係については、誰もがうなずき、医者の中にもその大切さに共鳴する者は多い。人は食により日々の命のエネルギーを得るのであるから、考えてみれば当然ともいえる。しかしながら、病人の回復のための治癒力を育む土台(ベース)となるはずの病院の食事が、あまり食事についての知識のない医者から見ても問題があるとするなら、不思議なことである。もちろん聞くところによると、病院によって食事の質、内容は異なり、国公立の大きな病院より私立系の病院のほうが患者の不満は少ないようである。何人かの私大系病院の医師の友人にきくと、「まずくて食えない」とかいう不満が患者から出るということはないという。
ただ、どうもはっきりしていることは、病院食が治療の足しにはならず、また、質、味、内容ともにあまり褒められたものではないということである。それが、患者の治癒力にどうかかわっているかについては、ほとんど注意が払われていないようにも思われる。また、病院という組織の中で、いちいち患者個々のニーズに合わせたものをつくってはいられない、ということもあるようだ。ひどい病院になると、すべて外部の業者による「外注」食になるらしい。「医食同源」という言葉は机上のただのお題目になってしまっているようだ。
さて、食というと、すぐにその栄養分だけを考えがちである。1990年におよそ2カ月ちかくアメリカ、イギリスをまわり、ホリスティック医学の調査旅行をしたことがある。アメリカでは、どこでもビタミン剤が手軽に手に入ることに正直なところ驚いたが、アメリカ人のビタミン信仰にはやや極端なものがあるように思われた。
そんなとき、アメリカ・ホリスティック医学協会の年次会議に参加するため、シアトル郊外に住む自然療法医スティーヴ・モリスの家に泊まった。彼自身とても心あたたかい大で、地球環境の問題を真剣に考え、自ら無農薬の野菜をつくり、養鶏をし、自給自足にちかい生活をしている。また、食物もナチュラルなものをと、とても食生活を大切にしている人でもある。一晩泊めてもらい朝食を終えた頃、彼の8歳になる息子が、何やら手ににぎっているので、見せてもらったところ、びっくりした。およそ8種類ものビタミン剤を毎日欠かさず、飲んでいたのである。ドクター・モリスは栄養指導も患者にしており、栄養関係にはくわしいが、8歳のとくに病気もしていない元気な子に毎日こんなにたくさんビタミン剤をとらせることは、ちょっとやりすぎのように思われた。毎日、無農薬の有機農法でつくったよい質の食物を食べているのだから、必要ないことのように思われた。こんなに小さいときから、ビタミン剤など飲ませていたら、食物を消化吸収し、同化させて体内に必要なビタミンをとり入れていくという、体の本来もつ能力が次第に損われていくのではないかとさえ思われたものである。
アメリカ人の忙しいビジネスマンの中に、ビタミン剤をポリポリ、スナックのように大量にとる人が多いとは聞いたことがある。しかし、あくまでビタミン剤はビタミン剤であって、本物の食べものではない。栄養のサプリメントは栄養の補助にはなっても、食べものではないし、食べものに代わるものにはなりえない。
たしかにハードスケジュールがつづくときや、海外での旅行中などには、ビタミン剤等の栄養補助サプリメントはたいへん威力をもつ。ときとして使うことがあってもよいだろう。また、病気の人への栄養補給の補助として使うことも有効である。しかし、補助は補助であって、主になりえないし、やはり栄養の根本は、食物それ自身からとるのがベストなのである。
食物には、繊維質のように、一見栄養としては全く価値がないように思われるものも存在する。しかし、そのようなものがあるゆえに、腸壁を刺激し運動を促し、腸の掃除もするようなはたらきがあることを忘れてはなるまい。食物は、全体からみて「無用の用」として役立つものを含んでいることが多い。またニンジン一本は、それ自体で生きている一つの全体であり、単なる構成栄養素の集合体ではないことを私たちは心に銘記しておくべきであろう。
アメリカ人の真似をしてか、安易にビタミン剤をとる日本の若いビジネスマンが増えてきたことは心配である。自分の体でビタミンを合成する力を次第に失っていくのではないか、と思っている。あくまで栄養補助のビタミン剤は、やむをえないときの補助としてのみ使いたいものである。体には本来、複雑な消化吸収プロセスをこなす能力があるのに、それをなまけさせるようなことをしてはならないと思う。第一、ビタミン剤ばかりで食事がすむようになったら、体内の長い腸などいらなくなってしまうではないか。
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