実録・幽顕問答より 古武士霊は語る 近藤千雄・著 潮文社 |
ついに生前の名を明かす 宮崎「何のためにそれほどまで人を悩ましむるや」 霊「一つの願望あり。その事を果たさんとてなり」 宮崎「一つの願望とは何のことぞや。切腹したる時は何歳なりしや。姓名は何と名のられしぞ」 霊「余の願望は一基の石碑を建てていただく事それのみにして、その一事さえ叶えてくださらば今夕にも当家を立ち退く所存なり。その一念を抱きつつ時と人とを得ぬまま、ついに数百年の歳月をへて今ようやくその機会に臨むことを得たり。切腹したるは二十二歳の七月四日。次の姓名の一儀に至りては何分にも今さらあからさまに明かし難し」 宮崎「姓名を名のらずして石碑の一儀をたやすく受け合うわけには参らぬ。姓も名もなしに敢えてその事を為すは道にあらず。よってそこもとの望みは承諾できぬ」 吉富「宮崎氏の申せしごとく、その方の姓名を名のらずば人の疑いは晴れまい。しからばその願いも成り難し」 霊「武士たる者、故ありて密かに国を退きては姓名を明かさぬが道なり。さりながら名のらずしてはその一儀受け合い難しとの御意、一応もっともなり。受け合わずばこれまで人を悩まし、時には殺せし事(注@)もみなその甲斐なし。されど、石碑建立の一儀を叶えてくださらば、さきに申せしごとく即刻引き上げ、市次郎も平癒に及び、以後は人を悩まさず、また当家への祟りも止むべし。祟りを止め当人平癒しさえすれば、明かし難き姓名を明かさでもよろしきにあらずや。かくまで懇ろに取り計らっていただくからには、申しても良き事ならば何故に包み隠しましょうぞ。武士道に外ればこそ包むなり」 宮崎「そこもとの申す筋合いは一応もっともなれど、姓名を刻まぬ石碑を建立するは神道の方式に適わず、よってそれに背いてまで石碑を建つわけには参らぬ」 霊「是非にも姓名を明かさざれば受け合えぬとのことか……今となりては如何にせん。姓名を偽るはいと易けれど、わが本意にあらず。実名を明かさではまた道にあらず。君に仕えし姓名を私事の願いのために明かさではならざる身となり果てたるは、さてもわが身ながらも口惜しき次第なり。打ち明けざれば願望ならず。願望ならざればこれまで人を悩ましたる事みな徒労となるなり……」 と言って大きく嘆息するのでした。 ここで吉富氏が是非とも名のってほしいと述べますと、武士はいかにも大名が平民に向かって述べる風情でこう述べました。 霊「その方に一つの頼みがある。先刻の長剣、身にしみじみ忘れ難し。今一度あれなる人(注A)のご加持にあずかりたし。その方ご苦労であるが、頼んでみてはくれぬか」 吉富「いかなる剣なればそれほどまで慕われるや」 霊「別段の理由ありて申すにはあらず。ただただ尊く思うままにお頼み申すなり……」 と言ったあと一人ごとのように、 「さてさて……」 と小声で嘆息しながら何やら感動を禁じ得ない態度を示し、 「あの三振りの中の一振りが廻りめぐりて如何にして……」 と言ってうつむきました。ここではその件は追求されませんでしたが、それからほぼ半月後に再度出現した際に徹底的な追求にあいます。 宮崎「今一度かの長剣にてご加持にあずかりたいとの件、かつまた、石塔を建立して祀りくれよとの件、先に申せし如くその方の姓名を明らかに名のることなくしては軽々しく受け合うわけには参らぬ。包みなく明かされよ。右の二件の頼みと姓名の惜しさとは替え難しとの心底か」吉富「これほど懇ろに申してもなお隠されるとは如何なる理由ありてのことぞ。かくまで包むとあらば、もはやそこもとの願望は叶えられぬものと心得られよ。姓名なき者の願望は受け合い難しとの大門君の言葉はもっともの義にあらずや」 霊「さきにも言を尽くせしごとく、故ありて国を逃れし武士は国内の事を深く包むが法なりと言えるはご承知のはず。姓名・氏素姓もまた同じ事なり。われ割腹を遂げ無念に果てしのみか、その遺骸は砂をかぶりたるまま数百年間そのままにして人並みならざれば、その間一日として苦痛を忘るる間なし。幾度かこの家の者ならびに他家の者に知らしめんとしたれど、誰一人として悟る者なし。されば、身体頑健と思いて憑(つ)けば、弱体にして死せし者もあり。己れの苦悩を逃れんとして人を悩ますとは、さてさて拙き運命の身の上なり……」 そう述べて目に涙を浮かべ、しばしうつむいておりましたが、内心ついに観念したとみえ、やがて 「紙と硯とを貸せよ」 と言い。それを受け取ると静かに墨をすり、紙面に〈泉 熊太郎〉と書きました。それを手に持って 「石碑は高さ一尺二寸にして正面には七月四日と書けばよろし。この姓名は決して世に漏らすまじきぞ」 と言い、改めて筆をとって石碑の形まで書き記し、さらに〈七月四日〉と書き添えました。 もっとも、最終的には写真(=割愛しました〜なわ・ふみひと)でごらんの通りになり、大きさも倍ほどになっています。その経緯についてはあとで述べます。 余談ですが、現地を訪れた時に当家と宮崎家にこの書の原物が一枚でも残っていることを期待していたのですが、世代が下がるにつれて関心も薄らぎ、その価値も理解できなくなり、そのうち欲しいという人にあげてしまったとのことでした。 無理もないことですが、惜しいことをしてしまったものです。本書に紹介したのは宮崎大門氏が敷き写しにしたものを私がさらに縮小したものです。 注@殺せし事――これは殺してやろうと思って殺したのではなく、本章の最後のところで本人が涙ながらに告白した中にあるように、今回の市次郎と同じように憑依して語ろうと思ったら、その体が弱くてそのまま死んでしまったという意味。 注Aあれなる人――宮崎氏のこと。三章で紹介した宮崎氏の現代語訳の傍注にあるように、自分は奥の間に控えて、そこから様子を窺いながら質問すべき事項を書き記して吉富氏に回している。いかにも自分が直接尋ねたような書き方にしたのは、ややこしくなるといけないからだと述べて いる。 |
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