実録・幽顕問答より
古武士霊は語る

近藤千雄・著 潮文社


 再度の怨霊現象

 さて伝四郎に頼まれた宮崎氏はさっそく加持を行いましたが、市次郎はただこんこんと眠り続けるのみで、その日は別段変おったこともなく終わりました。
 翌日も宮崎氏と山本氏と、それに医師の吉富氏が来ました。吉富氏は診察したあと
「脈拍は甚だ悪しきが、霊が再び憑くはずもなければ、この度は何が原因かさっぱり分からぬ」
と不審げに言いました。それではもう一度祈祷をしてみましょうということで宮崎氏と山本氏が市次郎の側に寄り、父親の伝次郎もその部屋に入って来ました。
 その時です。市次郎の態度が急に変わってこう言い放ちました。
「伝四郎、養貞(吉富)、杜氏(酒造り職人)の三人、ここへ来よ!」
 これはまた何事かあるぞと、家中が大騒ぎになりました。すると、見た目には市次郎ですが、いかにも武士らしい口調で次のように諭しました。

「この度の当家の火難は七、八日以前よりその兆し現れ、幽界の方にはよく知れわたれり。故にたびたびその兆しを示して知らしめんとしたれど、一人としてこれを悟らず。そのうち火災の兆候ますます盛んなるをもって急ぎ守護せんとすれど、わが魂を寄する所なきをもって、またまた市次郎の身体に憑き、今日火災の起こる少し前より念力を凝らして、ようやくにして消し止めたり。
 先日余が市次郎の身体を借りていろいろ幽冥の秘事を説き明かしたれば、少しはその道理を悟りたるかと思えるに、毫もさるところなく、却って幽規を犯して変を招けり。
 夏の頃より積み置きし不浄の土をも忌まず、これを用いて新竈(かまど)を築き、浄めの式をも行わずして火を焚くとは余りにも不法なり。
 世に水火ほど清浄なるものはなし。ことに井水と竈と火とはもっとも清らかなるものにて甚だ尊く、ことに酒造家は火と水とを用ゆること他に数十倍す。何をもってその恩に酬ゆるぞや。
 なべて神霊は清きを愛す。これに従うは人たるの務めなり。しかるに不浄の土をもって竈を築くは、これ、人みずから災を招くものにして、神明それを下すにあらざるなり。知らざることは是非もなけれど、すでに土に不浄の入りたるを知りつつこれを用いたるは不届きなり。さきの日、余が教えおきしにもかかわらず、今かくの如し。これ、下世話にいう「喉元過ぎて熱さ忘るる」の類いならずや。
 およそ火災・洪水の類いは即座に来るものにあらず。幽の方にしかるべき理ありて顕に起きるなり。このことの原理は余の如き凡霊のよく知りうるかぎりにあらねど、火災起こらんとする兆しある時は、あらかじめこれを知ることを得。いやしくも古法によりて竈を浄めおけば、たとえ火難の生ずる時の至るも、時運の荒(すさ)びに誘わるることなし。
 この旨よくよく弁えて、今後を慎み家運の長久を図るべし」

 なかなかの説法です。これを読んで私がすぐに思い出したのは実兄の死です。私と五つ違いの長兄は、終戦の翌日すなわち一九四五年八月十六日に数え年十七歳で事故死したのですが、その数日前からいろんな予兆が出ておりました。
 なかでもいちばん劇的なのは夕食のあと食器類を流しに置いたまま母が買い物に出かけたすぐあと、白装束か頭からすっぽり被った何者かが、兄のちゃわんだけを洗って出て行ったことです。それを女中が見ていたのです。
 もう一つは、母が外でたらいで洗濯をしていると、すぐ頭上の大きな木の枝がメリメリという大音響とともに折れたことです。折ろうとしても折れないほど太い枝で、折れた箇所がささくれだっていたといいます。それはその箇所が枯れていたり虫が食っていたのではないことの証拠です。
 そしていよいよ兄が死ぬ前の晩の真夜中には、母が左の太ももの辺りが氷を置かれたように冷たくて目を覚まし、すぐ近くにあった衣服をそこに当てがって再び寝入りました。朝目を覚ましてそれが兄の服であること知って母は申し訳ないことをしたと思ったそうですが、実は兄はその箇所に重傷を負い、出血多量で死んだのでした。
 その他にも説明のしにくい不思議な話、というよりは不吉な話がいくつかあるのですが、私がこの話を母から聞かされた時にまず思ったことは、それほどまでして知らせるくらいなら、なぜその凶事を未然に防いでくれなかったのかということでした。
 しかし、それは人間の身勝手な願望であることがその後の勉強で分かりました。武士の言葉通り「幽の方にしかるべき理ありて顕に起きる」のです。それを因果律といい、宇宙の絶対的な原理であるようです。物質界は結果の世界であり、原因の世界、いいかえれば実在界は霊界なのです。
 さて武士の説教が一段落した時、吉富医師が宮崎氏のところへ行って
「先月の霊か、あるいは別の邪気か、そして何ゆえに憑いたかをお見分けくだされ。先月の霊は立ち退いてのちは二度と悩まさぬとの一通(誓約書)もあれば、それとも思えませぬが、ともかくお見分けくだされ」
と言うと、大門氏も
「その儀もっともなり。ともかくも不審なり」
 と言います。山本氏も
「先月市次郎の体に宿れる加賀の国の霊が再び憑いたのでは……」
 と言いました。
 その時です。霊が「ご免!」と言って前に結んでいた帯を後ろにまわし、両人に一礼したので両人も答礼しました。すると霊がこう語りました。

「それがしはいかにも先月二十四日の夜当家の一子の身体を立ち退きたる霊なり」

山本「何の為に立ち帰られしぞ」

宮崎「先月の一通に再び人を悩ますまじきと書きたるに……」

山本「武士に二言なしと承りたる大門氏への一通、いかに申し開かれるや」

「その儀は先刻主人と養貞に申したり。七、八日前より当家に大難の運にさらさるる兆しあるを見るに忍びず、家の東西を徘徊してその徴を示せども一人としてこれを悟りうる者なし。余見るに見かねるも霊気を寄せる所なく、やむを得ず再び病後の市次郎の体を借り、守護して辛うじて火難を救えり。
 先夜当家を守り七年の内には吉事を見せんと約せしに、かかる火難ありては却ってこれが為に辛うじて願いおきたる石碑の一事も無にならんこと必定なり。かく思いて万(ばん)やむを得ず宿りたるにて、以前のごとく身体を悩まさんが為にあらず。二度と宿るまじと約したるが虚言というのであれば、火難を消したる一事をもってこの過ちをお見逃し願いたし。
 それのみにあらず。今まで数百年のあいだ墓所にのみ居りたれど、先夜尊き神法に預り、神号をこうむり.邪を転じて正に帰するを得たれば、墓がいたって穢らわしくて、エイレマセヌ」

山本「エイレマセヌとは如何なる義か。墓地に何者かがありて入り難しということか」

 その時たまたま居合わせた隣家の兵吉が商用で加賀へ行ったことがあり、

「上方にては“エイレマセヌ”とは“居られぬ”ということです」

 と説明しました。すると泉熊太郎が、

「そうさ、むさくて居ることのエデキヌさ」とお国訛りまる出しで言い添えてから、さらに続けました。

「今一つおのおの方に申し入れたき儀あり。先月当家を立ち退きし時、公の許しあるまで三年にても四年にても待つべしと約せしが、いよいよ幽界に帰りてみれば余の霊格いつの間にか向上して、墓はもちろん、その辺りの土地すべてに穢れを感じていたたまれず、やむなく樹上などにあるも、ただただ旅心地して安んずることなし。願わくば寸尺の浄地を与え給え。その儀改めて乞うものなり」

宮崎「その儀ならば石塔建立の時まで浄地に鎮めるよう取り計らって進ぜむ。上代には櫛あるいは刀を霊代(みたましろ)とする例などあるが、暫時の宿としていずれがよろしきや」

「ともかくも修法どおりに為し給え。その法に従いて憑(うつ)り申さむ」

山本「白木の箱に霊璽(れいじ)を置きてそれに鎮むる法もあり」

宮崎「されど霊気盛んなれば魂も太かるべし。小さき箱にては如何ならむ。八寸の箱にて鎮まり得るや」

「十分出来申すなり。修法に従えば一寸の箱にも鎮まるものなり。かかる事は顕世にある者の耳には入り難ければ詳しく述べても益なし。その道の法の通りに従うべし」

 傍注に、ここで浄地をいずこにすべきかの評定となったが、意見がまちまちだった。が、取り敢えず近くの大工を呼んで白木の箱を作るよう命じた、とあります。
 なお前後しますが、武士が再出現して語った中で、この度の火難は数日前から霊界では分かっていたという件についても傍注があり、そういえば盗人による付け火などがあった家でネズミなどが三日前からいなくなったという話があるが、盗人が故意に付けたとはいえ霊界の方では火難の兆しはあるのだと思う、と述べている。
 さらに、すぐ前の「その儀改めて乞うものなり」のあとにも傍注があり、「此ノー例ヲ以テ見レハ顕世ヨリ祭所ト定メタル所ナラネハ永ク居難キニヤ」と述べていますが、むろんこれは「そういう者もいる」といった程度のことで、大半の者は指導霊の導きで霊的実在に目覚めて、そのまま向上していきます。もっとも、そうやって向上していったあとに次の関門が待ち受けています。
 地上世界はいわば小学校のようなもので、死んだ直後に中間境があって、そのあと中学校が待ち受けています。そこが幽界です。「向上していった」と言ったのは、中学校に無事進学したということで、二年三年と進級したあと、こんどは高校があります。そこが霊界です。霊格の高い霊――その大部分は実はその霊界から使命を帯びて地上界へ降りた霊――の場合はラクラクと霊界へ入り、その地上体験で身につけた霊力でいよいよ神界へ挑戦することになりますが、大部分の霊はその霊界入りするのも大変で、霊力の不足を痛感して再び地上界へ再生するか、ないしは背後霊として地上の人間の面倒を見ながら、みずからの修行をすることになります。
 さて、この武士の場合は霊格そのものは実に高いものを具えているのですが、たとえてみれば脚に自信のあるランナーがスタート直後に足首を捻挫して走れなくなったようなもので、いわばアクシデントに見舞われて無念をかこっているわけです。もとよりその背後には深い因果律があってのことですが、それについては結びの章で述べるとして、こうした霊格の高い人物がその霊力の強さゆえに、みずからの想念でこしらえたクモの巣にみずからひっかかって、何百年、何千年、何万年と過ごしている例が外国にもあります。
 なかでも意外なのが、地上では尊敬されるほどの人格と学識をそなえた(と思われていた)宗教家や思想家が自分だけの想念界をこしらえて、それを絶対と思い、時おりどこか変だがと思いつつも、相変わらずその世界から抜け出られずにいることです。思念による創造力が強いだけに、その殼が容易に破れないのです。指導霊がいくら説いても、どこかで自尊心が邪魔をします。シルバーバーチの言葉に「地上でいかに博愛に満ちた人と思われている人物でも、心の奥に必ず自尊心があるものです」というのがあります。
 なお私はさきほど幽界、霊界、神界という用語を用いましたが、これは地上の人間が便宜上そう呼んでいるだけで、死後の世界がそういう具合に立体的に、あるいは段階的に仕切られているわけではありません。だいたいそういう段階をへて霊格が向上していくということを図式化して説明したわけです。
 すべては波動の原理によります。私をはじめ、本書をお読みくださっている皆さんも身体的には同じ地球という三次元の世界にありながら、霊的にはそれぞれの波長次第で幽界とつながっている人、霊界とつながっている人、神界とつながっている人、等々がいるわけです。もっとも神界とつながっている人は地上にはまずいません。自分でそう公言している自称霊能者がいるようですが、そう公言することで実際は低級な霊に操られていることをみずから証言しているようなものだと私は考えています。
 この武士の場合は身体はすでに無く、三次元の世界とは縁が切れるべきところなのに、無念残念の気持ちが強すぎて、霊的意識が地上の一軒の家に集中したまま数百年が過ぎたわけです。これでは指導霊も手の施しようがありません。そこでこうした非常手段に出るほかなかったわけです。
 
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