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第4章 生と生のはざま F |
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裁判官たち おそろしい裁判官たちの前で「魂の計量」をうけるという古代エジプトの信仰から、精霊の裁判官たちが各人の行いにしたがって運命を天びんにかける、と教えるゾロアスター教の教えにいたるまで、どの宗教、哲学、神秘主義の伝承にも死後の審判の信仰は浸透している。こういった天上の権威者たちは、たいてい三人一組で登場する。ギリシア神話にでてくる三人の無慈悲な裁判官や、老子の哲学の「三宝」の概念はヒンドゥー教の「三神一体」に相当するものであり、またキリスト教では父と子と聖霊という形になってあらわれている。 審判劇のシンボルや性格は文化によって異なるが、審判が行なわれる目的はつねに同じで、魂がなしとげてきたことを評価し、将来どのような方向に進むかを計画することである。おしなべて人間はだれでも不完全な状態にあるから、このように事細かな取り調べを受けるのではないか、との予感がうまれるわけだ。新約聖書の「ヘブル人への手紙」十章二十七節には、「ただ裁きと逆らう人たちを焼き尽くすはげしい火とを怖れながら待つよりほかはないのです」とあり、またスカンディナヴィアの『オーラーヴ・オステソンの歌』では、「魂の嘆きはなんと大きいのだろう……そこで魂は宇宙の審判に服する」と警告している。 ホイットン博士の被験者の証言はみな裁判官の存在を裏付けており、太古から世界各地で語りつがれてきた話をより詳しく述べている。超意識に入っていった人たちほぼ全員が、年老いた賢人たちの集団の前にでて裁きをうけたという。この老賢人たちはたいてい三人、ときには四人、ごくまれに七人のこともあり、その姿はさまざまである。彼らは正体不明のこともあるし、神話にでてくる神々や宗教上の大師の姿をしている場合もある。ある被験者はこう語る。 案内者は私の腕をとって、長方形のテーブルを前に裁判官たちが着席している部屋へと連れていきました。裁判官たちはゆったりした白い衣装を着ており、みな歳をとっていて賢そうでした。この人たちといっしょにいると、わが身の未熟さを痛感しました。 この非物質界の法廷の裁判官は高度に霊的発達をとげており、この世の転生のサイクルをすでに卒業してしまったかのように思われる。その人たちは目の前の人物に関して知るべきことは何でも直観的に知り、その人が今しがた終えてきたばかりの人生を評価するのを助けてくれる。場合によっては、つぎの転生についてこうしなさいと教えてくれることもある。 生と生のはざまに各人にとっての地獄があるとすれば、それは魂が反省のために自分自身を顧みる瞬間のことであろう。前世での失敗に対する後悔や罪悪感、自責の念が心の底から吐露され、そのため見るも無残なほど苦悶し、悲痛の涙にくれる。生きているときには、マイナスの行動も理由をつけて心のかたすみに追いやってしまうことができるし、言い訳だっていくらでもできる。ところが中間世では、このような行いをしたために生じた感情は生々しく、妥協を許さない。他人に与えた苦しみは、あたかも自分がその苦しみを受けるかのように身にしみる。しかし多分いちばん苦痛なのは、悔いあらためて過ちを正すにはもう遅いと悟るときだろう。前世へと通じるドアはかたく閉じられ、いままでの自分の行為や怠慢の結果が白日のもとにさらされる。ポーカーゲームの大詰めで持ち札全部を開けて見せるときのように、自分がだれで何なのか、説明を求められるのだ。他人の意見は役に立たず、問題にされるのは、私たち一人一人の誠実さ、私たちの内なる道徳性だけなのである。 感情の乱れたトランス状態の被験者は、自分自身の悪業のため身体に障害があるように感じることがよくある。前世で恋人を殺害した男性はのどを切られた姿で「三人」の裁判官たちの前に登場し、子どもを不注意で死なせてしまったある母親は、鎖につながれた自分の姿を見る。前世で裏切り行為をしたわが身を許せなかったある女性は、罪の重荷を昔ながらのキリスト教的イメージでこう表現する。 私は大きな十字架を右肩に背負い、片ひざをついています。罪の意識や苦痛、後悔、悲しみで魂がうち震えて……あまりの恥ずかしさに、その三人を見上げることもできませんでした。でも、青い光のあたたかさと、測りしれないほどのやすらぎが次第につよく私を包んでくれます。 医療関係の事務員をしているこの被験者が裁判官たちの前で感じた「やすらぎ」と同じものを、多くの人々が体験している。裁判官たちは、障害を取り去る回復と癒しのエネルギーを放射し、罪人の心をなごませてくれる。この事務員は肩から十字架が取り去られたと感じ、のどを切られた男性の傷は癒え、鎖につながれた女性の手かせ足かせは外れ落ちた。別の被験者は語る。 裁判官の前へ出るのは恐ろしかったですが、すぐに心配ないと悟りました。みなやさしく慈悲にあふれていて、怖れは消えました。 裁判官たちは、罪を深く悔いる魂に、自責や不満の念をつのらせるようなことはしないで、人生のプラス面や前向きだった点を指摘して勇気づける。「さあ、元気を出して……きみの人生は考えているほど悪くはなかったのだ」とでも言うように。このようなバランスのとれた見方が正しいことを証明するために、裁判官たちはこれまでの一生を回想させてくれる。 |
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