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第4章 生と生のはざま E |
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魂の住むところ 家というものはそこに住む人が自分の思うとおりに作り上げていくものだが、生と生のはざまの環境も各人の考え方や期待を反映する。『チベットの死者の書』では、バルトに住まう者は心に考えていることでみずからの環境を作り出す、と何度もいっている。ルドルフ・シュタイナーも、私たちの心の内にある考えやイメージは、死んでから周囲の世界として現われてくると言っている。 「死後、我々の考えや心に思い描いたことはすべて、魂のまえに大パノラマとして現われる」と彼はいう。ホイットン博士の被験者たちは、超意識の状態にさすらったときのさまざまな様子を報告している。例をあげてみよう。 すばらしい宮殿やきれいな庭園が見えます。 いろいろな大きさの抽象模様に囲まれていて――あるものは長方形、あるものは円筒形です。 はてしない無のなかを歩いていますI床も天井も、天も地もありません。 何もかも、とてつもなくきれいです。物質的なものはなにもないけれど、すべてがそこにある……教会も、学校も、図書館も、運動場も……。 自分がどこかの場所にいるという感じはしません。どこからともなくイメージが現われてき ます。 ある男性は今生の誕生以前へとつれ戻され、気がついたときには洞窟の中にいた。洞窟の奥には壁が立ちはだかり、その頂に浮かび上がってふりむくと、植物が青々と生い茂ったこの世の風景が目に映った。彼はこう続ける。 自分が両方の世界の境目に立っているみたいでした。この高みから地上の草木や大気を感じとることができました。ですが今やってきたのとは反対の方向はもっと明るく、空気も希薄な感じでした。ガイドといっしょに私は、地中海の景色のようなこの別世界に向かって歩き始めました。静かで落ち着いて平和でした。なだらかな丘のふもとには、しっくい塗りの白い建物があって、独特の輝きを放っていました。どの建物にもアーチがあり、その下が部屋の中からくる光でほの明るく黄金色に光っていました。 人間は自分がこの世にいるあいだに心に描いたり望んだりしてきた環境を作りだすことがある。だが、もっぱら教えを四角四面に守って暮らしていれば、イエス・キリストの顔を拝めるし天国にも入れるだろう、と信じる根本主義者たちは失望の憂目を見る。信心にこりかたまった前世をおくったホイットン博士の被験者たちが中間世で発見したのは、人間の発達という入りくんで長い道筋は「救い」という単純な観念ではとって代えられない、ということだった。 被験者マイケル・ギャランダーの前世の人格、ビクター・ブラックネルは、17世紀の信心深い清教徒だったが、自分こそ神の意志を実現しているのだというゆるぎない確信をもっていた。彼は死んだらその報いにイエス・キリストの姿を見られるとかたく信じていた。だが中間世では、彼はキリストらしき幻影も神々しい天国も見ることができなかった。かわりに彼は葛藤に直面し、無分別にも他人に苦痛を与える結果になってしまったのである。 (中略) |
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