人は何のために祈るのか? F

 
神は常に人の成長を願っている

 「神さま」を子育て中の親に見立ててみます。この親は村一番の大富豪ということにしておきましょう。そして、私たち人間はその子供です。
 ここでは親の立場に立って考えてみてください。
 親は子供が成長して立派な成人になることを願っています。そのためには甘やかしてばかりもできません。子供の欲しがるものを無条件に与えていては、子供は贅沢に慣れ、自ら努力することをせず、魂をスポイルさせてしまうからです。
 しかし、親に何もおねだりをしない子供よりは、欲しい物を意思表示してくる子供の方が、親としては嬉しいはずです。この場合の、子供が欲しいものをおねだりすることが、極初歩的な「祈り」ということになります。まずは自分の幸せのために、人は神に祈るのです。
 「そっ啄の機」という言葉がありますが、卵からひな鳥が孵るときは、内側から殻をつつくといわれています。その音で親鳥は「機が熟した」と判断し、外からつついて殻を割るのだそうです。聖書に「求めよ、さらば与えられん」という言葉がありますが、親はわが子が自分の意志で何かを「求める」ようになることを成長の第一歩と見ます。

 その次のステップとしては、わが子が自分の求める物を得るために、「自ら努力する」ことを期待するでしょう。自らは何もせずに、いつも親に対して「あれちょうだい」「これちょうだい」と甘える(祈る)ばかりの子供では、成長は覚束ないからです。
 親の心は「人事を尽くしたうえで天命をまて」「天は自ら助くる者を助く」ということなのです。わが子が「努力することの大切さ」を理解するように、努力に見合った褒美を準備するのです。

 わが子に成長を促す第三のステップとして、親はわが子がただ自分の幸せだけを考えるのでなく、自分以外の存在の幸せを考えるようになることを期待します。まず、年下の弟や妹のことを思いやれる人間になることを望みます。さらには、親も含めて家族全体の幸せを考えるようになり、貧しい暮らしをしている友人の家庭のことを心配してあげられるような人間に成長していくことを期待します。
 まず自分のことを考えることから生まれた「自我」が次第に拡大されていって、自分の身近な存在のことを自分と同じように大切に考えるようになり、やがては自分の住む町全体のこと、あるいは国という単位、全世界、そして動植物も含めたこの地球全体を自分と同じように大切に考えるように自我意識を進化させてくれることが親の願いなのです。
 このように自我意識が拡大することによって、他者と自分との境界線がなくなっていきます。親がわが子に求める究極の方向、つまり全能の「神さま」が人間に求めている進化の方向は、まさにこの点であると思われます。
 「祈り」に関しても「Each for All」ということが大切なのです。つまり「全体(の幸せ)のために祈れ」ということです。なぜならその全体と自分はもともと一体のものだからです。私たちは意識の底ではすべてつながっているのです。
 子供は成長するにつれて、まず自分の弟や妹の幸せが自分の幸せと連結していることを認識します。次は家族全体の幸せが自分の幸せに深く関係していることを理解します。そして、やがては町に住む人たち全員の幸せを願う気持ちが芽生え、日本を、世界を、地球全体を、自分の幸せと不可分のものとして認識していくようになるのです。
 そのように自我意識が広がっていくに従って、「祈り」の目標も当然変わっていきます。自分の利益を最優先していたわが子が、自分の欲しいものは我慢してでも弟や妹の幸せを願うようになるとき、親はわが子の成長を実感して心を躍らせることでしょう。これが「神さま」の心なのです。
 「自分が大切に思う存在」が、「弟や妹」から「家族全体」へ、「町に住む人みんな」へ、「日本人全体」へ、「全世界の人々」へ、「動物や植物も含む地球の生き物全部」へと変化していくとき、この地球における人の心の進化は頂点に達することになります。
 しかしながら、これで「神さま」の本来意図が完結したということではないようです。
 
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