人は何のために祈るのか? R

 霊界から私たちを指導しているありがたい存在


 この三次元の物質界に生きる私たちにとって、霊界からその私たちを日夜見守り、さまざまなメッセージを届けてくださっている守護霊さまの存在に意識を向けるということは、とても重要な意味をもっています。
 守護霊さまと私たちの関係は、文字通り「親と子供の関係」なのです。しかし、私たちにはその「親」の姿は見えませんから、日常的に私たちの頭に浮かぶことはすべて自分で考えたことだと思っています。しかしながら、その中には見えない世界から送られてくるさまざまな「思念」が含まれているのです。
 中には邪悪な霊的存在からのメッセージが届いたり、直接的な干渉がなされる場合もありますから、それらの悪い影響を受けないようにガードする役割も担っていただいているのです。すべて、私たちの魂の進化のために。
 私は、守護霊さまと私たちの関係を考えるとき、よちよち歩きの幼児の後ろからついてくる母親の姿を思い浮かべます。初めての道を歩く幼児は好奇心がいっぱいで、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、とても危なっかしいものがあります。放っておくと崖の方に近づいて行くかもしれません。
 もし、私たちが崖から落ちそうになっても守護霊さまには直接手を下すことはできないのです。その前に、「そちらに行っては危ないよ」というシグナルを発してはもらえるのですが、この三次元世界に生きている私たちに聞く耳がなければ、物理的に干渉することはできないのです。
 だから、よちよち歩きの子供が後ろにいる母親をたびたび振り返るのと同じように、私たちは常に守護霊さまの方を振り返り、霊的次元から見て日々の行動に問題がないかどうかについての判断を仰ぐ必要があるのです。この「振り返る」という行為が、「守護霊さまに祈る」ということなのです。
 私たちが守護霊さまに心を向けますと、その瞬間にメッセージが私たちの潜在意識の中に届きます。ちょうど、パソコンやスマホからメールを送信しますと、プロバイダーのサーバーに届いているメールが瞬時に受信されるような感じです。そして、私たちの潜在意識に届いた守護霊さまからのメッセージは、あたかも最初から私たち自身の考えだったかのように感じられ、物事を決める場合のよき判断材料となるのです。
 それは、私の経験からいえば、「ふと思う」という感じです。「ふとその本が読みたくなった」「ふと誰かに会いたくなった」という感じで、後で考えると、その行動が随分と有意義だったと思えるのです。これが一般的に守護霊さまが私たちを導く方法といってよいと思います。それも、日ごろの私たちの振り返りがあって、初めてメッセージが理解できるということです。
 しかしながら、私たちの霊格の向上のための指導役に任じられている守護霊さまは、この世的な成功や繁栄のために手を貸してくださるわけではありません。「振り返る」場合の祈る言葉の選択もその点を考慮する必要があります。当然、ベースとなる内容は「感謝」ということです。日々のご指導に感謝することから始めなくてはいけません。
 ちなみに、私は約40年間にわたって守護霊さま、守護神さまへの感謝の祈りを実践してきました。毎朝の冷水シャワーとミニ瞑想を終えたあとで、洗面所の鏡に向かって両手を合わせ、鏡の中の自分を守護霊さまと思って、語りかけるように小声で感謝の言葉を述べています。ご参考まで。



          
 ご精読いただきありがとうございました。

★ 参考文献
『法華経入門』 松原泰道・著/祥伝社
『法華経 現代語訳 全』 三枝充悳・編/第三文明社
 
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