ブルーアイランド
エステル・ステッド編 近藤千雄・訳
ハート出版
 
1章 タイタニック号の沈没前後 
 

 地上時代の、それもずいぶん昔の話ですが、私は以心伝心の可能性を論証した新刊書『生者の幻像』(未翻訳)の紹介記事を見てさっそく買い求め、何度も何度も読み返して、その真実性を認めざるを得なくなりました。その率直で実例に即した解釈に、非常な感銘を受けたものです。それが私にとって、スピリチュアリズムという途方もなく大きな課題に積極的な関心を抱くことになる最初の動機でした。
 その時以来、スピリチュアリズムの真実性を証明し、その知識を広めるために、私は出来るかぎりの努力をしてまいりました。スピリチュアリズムについては、すでにご存知の方も多いことでしょう。まったく馴染みのない方でも、その気になれば、知るための資料ならいくらでも入手できます(※A)。そこで、地上時代の私のスピリチュアリズムとの関わり合いについては省略して、このブルーアイランドに来てからの地上世界との関わり合いについて述べることにしましょう。

 地上時代にスピリチュアリズムとの出会いによって驚くと同時に感動したのと同じように。私は、今度はこちらへ来てみて、地上時代に得た霊的知識が重要な点において百パーセント正確であることを知って、驚き、かつ感動しました。そうと知った時の満足はまた格別でした。学んでいた通りなので、驚きと喜びを同時に感じたものでした。
 と言うのも、根本的には絶対的な確信があったとはいえ、細かい点で不安に思うことが幾つかあったのです。それだけに、実際にこちらへ来てみて、それが「まさか」と思えるほど、私の予想を裏切って現実であることを知り、満足したわけです。どこか矛盾しているように思われる方がいるかも知れません。確かに矛盾しているのです。
 と申すのも、私の地上時代の不安は、もしかしたら霊の世界には地上とはまったく異なる存在原理があって、地上界へ届けられる霊界の事情は、人間に理解できるように表現されていて、あるがままを正確に叙述したものではないのではないかという推察に根ざしていたのです。ところが現実は、地上とそっくりでした。
 私が地上を去って霊界入りする時の様子については、ここではあまり述べたくありません。すでに、いろんな場所で何度も述べております。死の瞬間は、当然のことながら、大変な混乱状態となりました。が、それが治まってからは、死後の後遺症のようなものは、二度と体験しておりません。が、その死の瞬間のことは述べる気になれません。
 何よりも私が驚いたのは、あの混乱状態の中にありながら、他の溺死者の霊を私が救出する側の一人であったことです。私自身も本当は大変な状態にあったはずなのに、他の霊に救いの手を差しのべることができたという、その絶妙の転換は、率直に言って、まったくの驚きでした。その時の事情が事情でしたから、なぜだろう? 何のために? といったことを考える余裕はありませんでした。そんな疑問が顔をのぞかせたのは、少し後のことです。
 落ち着く暇もなく、私をさらに驚かせたのは、とっくの昔に他界したはずの知人・友人が私を迎えてくれたことです。死んだことに気づく最初の原因となったのはそのことでした。そうと知って、どきっとしました。
 次の瞬間、私は、自分で自分を点検しておりました。一瞬のうろたえはありました。が、それはホンの一瞬のことです。すぐに落ち着きを取り戻すと、死後の様子が地上で学んでいた通りであることを知って、何ともいえない嬉しい気持になりました。ジャーナリストの癖で、一瞬、今ここに電話があれば! と、どんなに思ったことでしょう。その日の夕刊に特集記事を送ってやりたい気分でした。

 以上が、他界直後の私の意識的反応です。それからその反動ともいうべき変化が生じました。茫然自失の心境になり、やがて地上の我が家のことが気になりはじめました。その時点では、タイタニック号沈没のニュースはまだ入っていなかったはずです。ニュースを聞いたら家族の者はどう思うだろうか。その時の私の心境は、自分はこうして無事生き続けているのに、そのことを知らせてやるための電話が故障して使いものにならないという、じれったさでいっぱいの状態に似ていました。
 そのとき私は沈没の現場に来ておりました。他界後のことを長々と述べてきましたが、時間的にはまだ何分も経っていなかったのです(※@)。地球のすぐ近くにいましたから、その現場のシーンがありありと見えるのです。沈没していく船体、ボートで逃げる船客――そのシーンが私を自然と行動に移らせたのです。救ってあげなくては! そう思った次の瞬間には、私は茫然自失の状態から覚めて、水没して肉体から離れていく人たちを手引きする役をしておりました。

※@――地上での時間は太陽と地球との関係から割り出された単位を基準にしていて、地上界特有のものであり、普遍性も実在性もないのであるが、われわれは知らず知らず、それを普遍的なもの、実在するものと錯覚している。ために、時間というものが存在しない、時の経過もない、ただ成長と進化と環境の変化しかない霊界との間に、人間には信じられないような食い違いが生じることがある。たとえば、次のような体験をどう理解なさるであろうか。
 日本のある心理学者から聞いた話であるが、ある男性が車にはねられて2、3メートル先に飛ばされた。その、はねられて2、3メートル先の地面に落ちるまでの一瞬の間に、それまでの何十年かの人生がビデオで見るように、眼前に展開したという。
「本人がそう言うのですから、間違いなく見たのでしょう」と、その心理学者は言っていた。
 もう一つ、これは英国人の体験話であるが、ガケから足を踏みはずして2、30メートル下に転げ落ちた。もう死ぬ! と思った次の瞬間に、それまでの人生での主な対人関係を思い出した。あれは自分が悪かった、いや、これは絶対に間違っていない、と、その一つ一つについて判断を下したという。
 いずれも、その一瞬の間だけ肉体から離れて、霊的感覚でそれを見たのである。モーツァルトは、演奏すると一時間以上もかかるシンフォニーを一瞬のうちに聞いて、それを記憶していたという。こういうのをインスピレーションというのであろう――訳者。


 自分でも何か何だかさっぱり分からないのですが、私は必死になって手引きして、大きな乗り物とおぼしきものに案内してあげました。やがて、すべてが終了しました。まるで得体の知れない乗り物が出発するのを待っている感じでした。言わば、悲劇が完了するのを待っていたようなものです。ボートで逃れた者はもちろん生きて救われました。が、溺死した者も相変らず生きているのです。
 そこから妙なことが起こりました。その得体の知れない乗り物――というよりは、われわれが落ち着いた場所全体が、いずことも知れぬ方向へゆっくりと移動を始めたのです。
 そこに集まっている人たちの情景は、それはそれは痛ましいかぎりでした。死んだことに気づいた者は、あとに残した家族のことと、自分はこれからどうなるかが不安のようでした。このまま神の前へ連れて行かれて裁きを受けるのだろうか――どんな裁きが下されるのだろうかと、おびえた表情をしておりました。
 精神的ショックで、茫然としている者もいました。何が起きたのかも分からず、無表情でじっとしています。精神がマヒしているのです。こうして、新しい土地での評決を待つ不思議な一団がそこに集まっておりました。

 事故はほんの数分間の出来事でした。あっという間に大変な数(1,500余名)の乗客が海に投げ出されて溺死し、波間に漂っておりました。が、その死体から脱け出た霊が次々と宙空へと引き上げられていったのです。生きているのです。中にはすこぶる元気なのもいました。死んだことに気づきながらも、貴重品が惜しくて手に取ろうとするのに、どうしても掴めなくて、かんしゃくを起こしている者もいました。地上で大切にしていたものを失いたくなくて必死になっているのでした。
 もちろん、タイタニック号が氷山と激突した時のシーンはあまりいいものではありませんでしたが、否応なしに肉体から救い出されて戸惑う霊たちの気の毒なシーンは、その比ではありませんでした。胸がしめつけられる思いのする、見るにしのびない光景でした。その霊たちが全て救出されて一つの場所に集められ、用意万端が整ったところで、新しい土地(ブルーアイランド) へ向けて、その場全体が動き出したのです。
 奇妙といえば、こんな奇妙な旅も初めてでした。上空へ向けて垂直に、物凄いスピードで上昇していくのです。まるで巨大なプラットホームの上にいる感じでした。それが強烈な力とスピードで引き上げられていくのですが、少しも不安な気持がしないのです。まったく安定しているのです。
 その旅がどのくらいかかったか、又、地球からどれくらいの距離まで飛んだのかは分かりません。が、到着した時の気分の素敵だったこと! うっとうしい空模様の国から、明るく澄み切った空の国へ来たみたいでした。全てが明るく、全てが美しいのです。
 近づきつつある時からその美しさを垣間見ることができましたので、霊的理解力の鋭い人は、たぶん急逝した者が連れて行かれる国なのだろうなどと言っておりました。神経的にまいっている新参者が、精神的なバランスを取り戻すのに適した場所なのです。
 いよいよ到着するころまでには、みんな一種の自信のようなものを抱くようになっておりました。環境のすべてに実体があること、しっくりとした現実感があること。今しがたまで生活していた地上の環境と少しも変わらないことを知ったからです。違うのは、全てが地上とは比較にならないくらい明るく美しいことでした。
 しかも、それぞれに、かつて地上で友人だった者、親戚だった者が出迎えてくれました。そして、そこでタイタニック号の犠牲者は別れ別れになり、各自、霊界での生活体験の長い霊に付き添われて、それぞれの道を歩みはじめたのでした。

●注釈――他界直後の体験、すなわち死後の目覚めの様子を綴った霊界通信を数多く翻訳してきた私も、これほど劇的な内容のものは初めてである。死に方が異なれば死後の目覚めも異なった形を取るのは当然であるが、大惨事でおびただしい数の犠牲者が出た場合は、地上でも救出活動が大々的に行なわれるように、霊界においても“見えざる力”によって大規模な救出活動が行なわれることが、これでよくわかる
 
 
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