ブルーアイランド
エステル・ステッド編 近藤千雄・訳
ハート出版
 
2章 ブルーアイランドに到着
 

 前章では死の直後の様子と、ブルーアイランドへ連れてこられる道中のことを、少しばかり述べました。本章ではブルーアイランドに到着した時の最初の印象と体験を二、三述べてみたいと思います。
 最初に述べておきたいのは、これから述べる体験が、タイタニック号が沈没してからどれくらいたってからのことなのか、感覚的によく分からないということです。時間的には連続していて断絶はないように思えるのですが、どうもその辺かはっきりしません。
 さて、私には二人の案内役が付き添ってくれました。地上時代の友人と、もう一人は実の父親でした。父は私と生活を共にし、援助と案内の役をしてくれました。何だか私には外国へ来て親しい仲間と出会ったという感じがする程度で、死後の再会という感じはしませんでした。それがその時の正直な心境です。
 つい今しがた体験したばかりの忌まわしいシーンは、もう遠い過去へ押しやられていました。死の真相がわかってしまうと、そういう体験の怖さもどこかへ消えてしまいました。つい昨夜のことなのに、まるで50年も前のことのように思えました。お蔭でこの新しい土地での楽しさが、地上に残した者との別れの悲しさによって半減されるということにならずに済みました。
 タイタニック号の犠牲者の全員がそうだとは申しません。少なからざる人々が不幸な状態に置かれたことでしょう。が、それも、二つの世界の関係について何の知識も持たないからにほかなりません。そういう人たちは、二つの世界の間で一体どういうことが起こりうるのかを知らなかったわけです。それを知っていた私のような者にとっては、旅行先に到着して便りを書く前に、「ちょっとそこいらを見物してくるか」といった気楽な気分でした。悲しい気分など、まったくありませんでした。
 さて、これから述べるブルーアイランドにおける私の最初の体験は、少し細かい点まで述べようかと考えおります。有り難いことに、私には地上時代のユーモアのセンスが今もあります。ですから、私の話を読まれて、その突拍子のなさに可笑しさを覚える方がいても、私は少しもかまいません。むしろ苦笑を禁じ得ないものを見出してくださるほうが有り難いくらいです。
 そういう印象をもってくだされば、こちらへ来た時に「なるほど」と思って得心なさることでしょう。ですから、にが笑いをなさっても、私は「結構ですよ、どうぞお笑いください。私は別に腹は立ちませんので……」と申し上げましょう。

 父と私、それに友人の3人で、さっそく見物に出かけました。その時ふと気づいたのですが、私は地上時代のお気に入りの普段着を身につけておりました。一体どうやって地上から持ち運んだのだろうかと、不思議でなりませんでした。
 そう言えば父も、地上で私が見慣れていた服装をしておりました。何もかもが、そして見かける全ての人が、ごく自然――地上とそっくりなのです。
 出かけてしばらくして一服すると、自然、話が地上と霊界の知己のこと――私にとっては私より先に他界した知り合いたち、父たちにとっては後に残した人たち――のその後の消息のことになりました。互いに情報を交換しあい、とくに私の場合は、この世界を支配している摂理についての教えを受けました。
 もう一つ私にとって印象ぶかかったのは、その土地全体が青味がかっていることでした。英国は何色かと問われると返答に困りますが、強いて言えば、緑がかった灰色とでも表現できましょうか……が、この土地には歴然として色彩があります。文句なしにブルーなのです。明るい色合いの、濃いブルーです。住民や住居や樹木までがブルーという意味ではありませんが、全体から発せられる印象が“ブルーの国”なのです。
 そのことを父に訊ねてみました。(余談ですが、父は地上にいた時よりも動作がきびきびしていて、若返って見えます。父子というよりは兄弟のような感じすらしました)すると父は、この界層を包む光の中にブルーの光線が圧倒的に多く含まれているためにそう見えるのであって、ここは精神的な回復を得るのに絶好の土地なのだ、という説明をしました。
「まさか!」と思われる方が多いことでしょう。しかし、よく考えてみられるとよろしい。地上にも、このあたりはかくかくしかじかの病気によろしいと言われる土地があるではありませんか。地上界と死後の世界の違いを、あまり大げさに考えてはなりません。わずかに一歩だけ上の段階――それもごく小幅の差しかありません。
 そうやって一歩一歩、向上と進化を重ねていくのです。人間がそうであれば、その人間が生活する環境もそうです。死の直後の世界は、地上界を申し分のないものに仕上げたものにすぎないと考えてください。
 さて、ブルーアイランドを見物しているわれわれ3人は、そこに生活する他の人々と比べて、どちらかというと珍しいタイプに属していたと言ってよいでしょう。そこにはありとあらゆる状態に置かれた、ありとあらゆる肌色をした、ありとあらゆる人種の、大小さまざまな人間がいました。その人たちが自由闊達に動き回っているのです。
 ただし、ここで生活している人たちは、自分のことを第一に考えた行動をしています。自我を確立することに専念しているのです。地上では自分中心主義はいけないことですが、ここではそうでないといけないのです。本人にとっても、全体にとっても、そうでないといけないのです。そうしないと進歩、というよりは精神的回復が望めないからです。
 そうやって各自が自分の精神的確立に専念することによって、結果的にブルーアイランド全体に平穏が行きわたることになります。他人のことは一切かまわないのです。自分のためだけを考えて、他の存在をほとんど意識していないのです。
 そこで見かけた人の中に、私の知っている人は多くはいませんでした。最初に私を出迎えてくれた人たちも、いつの問にか姿を消して(※@)、父と友人だけになっておりました。そうと知っても別にさびしくは感じませんでした。むしろそのことが、旧交を温めていないで新しい環境へ関心を向けさせることになりました。

※@――このブルーアイランドは“中間境”とでもいうべき界層で、ここを卒業して“本土”というべき界層へ入っていくと、地上とは比較にならない、活溌な活動の世界が待っているというのが、信頼のおける霊界通信が一致して述べているところである。ステッドも後半の通信でそのことに言及しているが、そうなると地上との縁が薄れるのかというと決してそうではなく、むしろ上層界の事情にも下層界の事情にも、通じる範囲が広がるという。
 そんな次第で、かつて地上で縁故のあった人間が他界する時は、すぐにそれを察知して、その中間境まで出迎えに降りてきてくれる。それは、ただ懐かしいからという情緒的な要素もないわけではないが、死んだことを自覚させる目的も兼ねているので、一見してそれと知れるように、死んだ時の風貌や服装を身につけているのが通例である。が、用事が終ると、それぞれの本来の所属界へと帰っていく。
 そうした霊にとって残念なのは、せっかく出迎えてやっても、本人が地上的なしがらみや間違った信仰、極度の悲しみや憎しみを抱いたりしていると、その存在に気づいてくれないことだという。その種の人間がいわゆる“地縛霊”となっていき、地上の縁ある人たちに良からぬ影響を及ぼすことになるのである――訳者。


 当時私がいたところには海もありました。その海岸に沿って3人で散歩をしたこともありました。右手に大きな建造物があり、左手に海がありました。地上でいうリゾートとは趣きが違いますが、とても穏やかな素敵な景勝地です。全てが明るく輝いており、例によって大気のブルーが際立っておりました。
 どれだけ歩いたかは記憶にありませんが、その間、私にとってのこの新しい世界の事情について、あるいは地上に残した家族のこと、そして、こうして立派に生き続けている事実をどうすれば知らせてやることができるかについて。語り合いました。よほどの距離を歩いたことは間違いありません。
 かりに地球上の人類のすべて、気候のすべて、景色のすべて、建物のすべて、そして動物のすべてを英国くらいの広さの地域に集めた図を想像してみてください。その時の私が置かれていた土地のおよその見当がつくものと思います。皆さんは霊界というと非現実的で夢のような世界を想像なさるに相違ありません。が、そうではないのです。皆さんが外国へ行くのとまったく同じです。地上と同じように実体があるのです。おまけに、比較にならないくらい興味のつきない世界です。
 が、あまり細かい点まで深入りせずに、その新しい土地の概略を述べるに留めたいと思います。
 やがて私たちは、途方もなく大きな建物の前に来ました。円形をしていて、大きなドーム状の天井がついています。全体がドームといってもよいかも知れません。太くて円い柱の上に巨大なドームが乗っかっているのです。中をのぞいてみると、これまた、こんな素敵なブルーもあるのかと思えるようなブルーで彩られておりました。
 おとぎの国の建物を想像しないでください。地上で見かける建物と少しも変りません。ただ、その美しさが違うというだけです。想像上のものではありません。断じて違います。全体がブルーの色彩を帯びていて、その中にいるとエネルギーが増すような感じがしました。
 例によって私は、すぐにペンを走らせたい衝動に駆られました。そんな時くらいは詩人の心になり切って、じっくりと味わいたいのですが、私はやはり実務肌のジャーナリストのようです。すぐにペンを握って書きたくなるのです。
 そこにしばらく滞在して、それから軽い食事をとりました。私が地上でよく食べていたものに似ている感じがしました。ただし、肉類は見当たりませんでした。
 このように、ここでは何一つとして違和感を与えるものがないのです。地上にあったものでこちらで見かけないものは、一つもありませんでした。ただ奇異に思えるのは、食事は必ずしも取る必要がないように思えたことです。目の前に置いてあるのです。そして軽くいただくのですが、どうやらそれは必要性からではなくて、地上の習慣の名残りにすぎなかったようです。エネルギーならば、大気中から十分に摂取できるみたいでした。それは多分、ブルーの色彩のせいではないかと考えました。
 次章で紹介する建造物に関する知識は、そこに滞在中に父から説明してもらったものです。
 
 
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