ブルーアイランド
エステル・ステッド編 近藤千雄・訳
ハート出版
 
訳者あとがき
 

 ステッド、マイヤース、コナン・ドイル

 さて、こうした一連の霊界通信の中にあって、私が特異な視点から見ているものに、この地上にあってスピリチュアリズムの普及に尽力して他界したあと霊界で地上時代の自分の知識を点検し、正しかったこと、間違っていたこと、思いも寄らなかった新しい事実に接して、それを地上へ届けてくれた通信がある。その一つが、ほかならぬこのステッドの通信である。
 ステッドは1849年、すなわちハイズビル事件の翌年に生まれて、1912年に63歳で他界している。スピリチュアリズム思想との最初の出会いは詳らかでないが、霊的な話を公にしたのは、みずから創刊した「評論の評論」Review of Reviews のクリスマス特集号(1891・12)に掲載した「本当にあった幽霊話」という記事が最初である。
 興味深いのは、同じ年に前年の12月に他界した文筆仲間のジュリア・エイムズという女性が、ステッドの腕を使って自動書記通信を送り始めていることである。それが数年間にわたって続き、1897年に『ジュリアからの便り――他界者が自動書記によって送ってきた中間境からの光明』と題して、心霊誌「ボーダーランド」で公表し、大反響を呼んだ。それが翌年に『死後――ジュリアからの便り』のタイトルで単行本となって出版された。ちなみに「ボーダーランド」というのは「中間境」のことで、それを本書では「ブルーアイランド」と呼んでいるわけである。
 ステッドはもともと社会改革派のジャーナリストで、「評論の評論」も政治・経済・倫理・道徳の批判を主な目的としていた。筆だけでなく行動に出ることも少なくなかったようで、警察に逮捕されたこともある。そんなステッドであったから、スピリチュアリズムの弁護と、いつまでも煮え切らないSPR(心霊研究協会)に対する批判は強烈で、たとえば1909年の講演会では自分を海で溺れかかっている難破船の乗組員にたとえ、SPRを救助隊にたとえて、面白おかしく、しかし皮肉たっぷりに、こんなことを言っている。
 救助に来てくれた船の上から
「お前は誰だ? 名前を言え!」と叫ぶので
「ステッドです。W・T・ステッドといいます。海で溺れかかっているところです。ロープを投げてください! 早くお願いします!」と叫ぶ。すると、すぐにロープを投げてくれると思いきや、さらに、こう訊ねる。
「お前がステッドであることを証明できるのか? 生まれはどこだ? お前の祖父の名前を言ってみろ!」と。
 これはSPRが「科学的物証」にこだわりすぎていることを揶揄したもので、80年後の現在のSPRにも同じことが言えるであろう。
 そもそもSPRが設立された目的は、心霊現象は霊の仕業であるとするぶ「霊魂説」を直観的に洞察していた人たち――オリバー・ロッジ、フレデリック・マイヤース、ステイントン・モーゼスなど――が中心となって、それを科学的に立証する方法を研究することにあった。つまり自分たちはそう確信していても、一般の人にそれをどう証明してみせればよいかという観点に立っていたわけで、そのために敢えて、霊魂説に懐疑的な科学者の参加も歓迎したのだった。
 しかし、洞察力を欠いた研究に発展が伴わないことは、これまでの科学の飛躍的進歩が直感的なひらめきによる発想の転換から生み出されてきている事実が証明している。コペルニクスは、ある時ふと、自分を地球上から太陽へと運んで、太陽から地球を眺めてみることを思いついた。それが地動説を生むきっかけとなったという。
 SPRの会長までつとめたことのあるオリバー・ロッジはこんな厳しいことを述べている。

 SPRという組織は、事実の秘匿のための協会、何でも詐欺扱いにしてしまうための協会、霊能者のやる気を失くさせるための協会、光明と真理の世界が人類のために懸命に働きかけている、その生きた証拠とされている啓示を、ことごとく否定するための協会、と呼ばれてきている。

 さてステッドはタイタニック号で遭難するのであるが、あたかもそのことを予感していたかのように、早くから彼の書いたものに大西洋の氷山と客船にまつわる話が出ている。最も象徴的なのは「評論の評論」のクリスマス号(1893。タイタニック号事件は1921)に掲載された小説「古き世界より新しき世界へ」が大西洋の氷山の危険性を扱ったもので、客船マジェスティック号が氷山に衝突して沈没するという、タイタニック号の事故とそっくりの物語で、しかもその客船の船長の名前までがタイタニック号の船長と同じキャプテン・スミスとなっていた。
 それからほぼ20年後にステッドの乗ったタイタニック号が現実に氷山と激突して沈没するのであるが、国教会の大執事で、早くからスピリチュアリズムに理解のあったトーマス・コリー氏は、その事故を予知してステッドに手紙で知らせた。するとステッドから次の様な返事が届いた。

 願わくば閣下が予感しておられる不幸がすべて杞憂であってほしいものです。が、お手紙は大切に保管し、幸いにして帰国できましたら、すぐにもご報告申し上げる 所存です……

 ステッドのニューヨーク行きはカーネギーホールでの世界平和に関する講演のためであったが、予定では、その帰りに当時の第一級の直接談話霊媒リート女史を英国へ連れて行くことになっていた。リート女史もそのつもりで準備をして待っていた。が、ステッドが立ち寄ってくれるはずの当日、つまり事故の翌々日の夜、交霊会でリート女史の支配霊が出て事故のことを詳細に伝え、死亡した著名人の名前をいくつか挙げた。その中にステッドの名前も入っていた。

 次に、フレデリック・マイヤースは生前「人間の個性とその死後存続」という厖大な著作を残している。といっても、マイヤースの在世中に出版されたのではなかった。草稿は出来あかっていたが、「まえがき」を書き終わらないうちに、出張先で病死している。
 同時代のウィリアム・クルックスは主として物理的現象を研究し、物質化霊の撮影にも成功して、死後の存続についての動かし難い証拠を残してくれているが、マイヤースはそれとは対象的に、精神的な超常現象ばかりを蒐集して、そこから死後の個性存続を確信した。が、先ほどの書では、“霊魂説”を正面きって主張するまでに至っておらず、その可能性を示唆するに留めている。その厖大な量の体験集は、今日でも資料的価値を失っていない。
 さて、ステッドが他界後3日目にはリート女史の交霊会で「声」で出現して、かろうじてではあったがそのアイデンティティを示しているのとは対照的に、マイヤースは「自分でも不思議に思える」ほど死後の睡眠が長かった。が、目覚めてからの活躍はさすがはマイヤースと思わせるものがあった。自分の地上時代の調査と学習の成果と、先輩霊から教わったことをまとめて、ジェラルディーン・カミンズ女史を通して自動書記通信を送ってきた。それが『永遠の大道』と『個人的存在の彼方』の二巻となって出版された。浅野和三郎の抄訳が合本となって潮文社から復刻されている。
 この通信の中で衝撃的だったのは第13章の訳註でも紹介した「類魂説」と呼ばれている、「霊的家族」の存在を指摘した説で、物質界に生をうけた同じ霊系の複数の魂が、それぞれの境涯での体験を積みながら、最後は、その体験の全てを互いに分かち合う至福の境涯へと至るという内的宇宙の旅は、雄大さの中に宇宙的ロマンを感じさせるものがあり、スピリチュアリズムに飛躍的な発展をもたらした。
 私はこの霊界通信を大学生時代に読み、魂の奥底からあふれ出る喜びに身を震わせながら、感涙にむせんだのを覚えている。「四海同胞」とか「人類はみな兄弟」といった文句はいかにもカッコいいが、「その根拠は?」と問われると、何もない。肉体的に見るかぎり、民族どころか、一人一人がみな違うのだ。輸血や臓器移植に“拒絶反応”という厄介な問題が伴うという事実が、それを明確に物語っていると言えよう。
 が、これを類魂説でみると、自分と同じ霊系の魂の兄弟姉妹が地上のさまざまな民族に生をうけていることになる。今現在だけではない。かつても自分とは異なる民族に属していた先輩がいるし、将来も後輩たちがどの民族に生まれるか分からない。本当の意味での同胞精神は、こうした霊的原理の理解から生まれるのではなかろうか。
 それはともかくとして、ここで私が詳しく取り上げたいのは、その霊的進化の道程、つまり死後の界層の全体像である。ステッドはこの通信ではきわめて断片的にしか扱っておらず、簡略的すぎる恨みは拭えない。その点マイヤースはかなり具体的に叙述してくれている。といっても、物的世界の表現手段である言語では説明できない側面があるので、ある限度以上のことは直観的な洞察力による理解にまつしかないであろう。マイヤース自身、カミンズの記憶の層にある語彙だけでは不十分とみて、カミンズに必要な分野の書物を読むように指示するなどして、万全を期している。それでも、上層界、そして超越界の叙述は抽象的な表現が多くなっている。
 さてその区分けであるが、マイヤースは地上界を第一界とし、ステッドのいうブルーアイランドに相当する界層を第三界、その中間境を第二界としている。そして第四界が地球圈の範囲における最高界で、第五界からステッドのいう実相界となり、第六界が形体に宿った存在の最高界で、第七界が超越界、すなわち「無」の世界へと突入する。絶対神と一体となり、無限・永遠・絶対といった用語で表現されているものが完全に理解できる境涯であるという。そこがいわゆる「創造界」で、『個人的存在の彼方』の中で
「創造された者が創造者の側にまわる――そこに生命と宿命の秘密が存在する」
という名文句で結んでいる。

(中略)

 さて、三人目のコナン・ドイルについては改めて紹介するまでもないであろう。名探偵シャーロック・ホームズの生みの親であり、「ホームズ・シリーズ」は今なお界的なベストセラーを続けている。最近、テレビ映画でご覧になった方も多いであろう。コナン・ドイルという名前は知らなくてもシャーロック・ホームズは知っているという人もいるようである。
 が、原作者がコナン・ドイルであることを知っている人でも、そのドイルが心霊現象と霊界通信の研究をライフワークとしていたことを知る人は少ない。実はドイル自身は、どうせ書くなら純文学を、という気持が強かったのが、最初の「緋色の研究」が売れに売れて、読者と出版社から次々と要望が寄せられるので、やむを得ず推理小説を書き続けたというのが真相らしく、本人は大衆小説家になってしまったことを嘆いていたという。
 しかし、ホームズ・シリーズによる高収入と知名度が、その後英国はもとより世界各地での講演会の開催や、ウィリアム・クルックス、オリバー・ロッジといった当時の高名な学者との交流を可能にする上で大いに力になったことは否めない事実であろう。そして、スピリチュアリズムの真実性についての確信が不動のものとなった1918年に、それまでの成果を「新しい啓示」、翌1919年には「重大なるメッセージ」にまとめて出版したのを皮切りに、公然とした普及活動に入った。
 当然、そうしたドイルを非難する声も上がった。が、ドイルにはそれに対応するだけの準備は十分にできていた。彼はこう反論している。

 霊の実在に関して肯定的な意見を述べる者に対して必ず向けられる「軽信性」の批判については、私は厳粛な気持でこう申し上げたい。
 私のこれまでの心霊研究家としての長い経験の中で、重大なる点で大きな過ちを犯したこと、あるいは、“正真正銘”の折り紙をつけた現象が後でニセモノと判明したことは一度もない。軽々しく信じてしまう人間が、確固たる結論に到達するのに20年もの長きにわたって読書と実験を重ねるものだろうか。
 
 
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