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核兵器開発の引き金となった一言 ポツダム会談において非公式ではあるものの歴史的な分岐点となるような発言がトルーマンとスターリンの間で交わされていた。そのとき、トルーマンはニューメキシコ州の砂漠で行なわれた原爆実験の詳細を知らされたばかりだった。名古屋大学名誉教授・沢田昭二氏の著書『核兵器はいらない!』によれば、「爆発によって発生したエネルギーは予想を越え、控えめに推定してもTNT火薬1万5000トンから2万トンに達する」との報告を受け、トルーマンは原爆の威力に確信をもったという。そのときのトルーマンの態度の変化は、傍目に見てもはっきりとわかるものだったそうだ。 つまり、トルーマンはポツダム会談の席上で、原爆実験の成功、そしてその凄まじい威力に関する情報を、今か今かと待っていた。そしてそれが到着したとたん、それまでおとなしくしていたトルーマンの態度が急に自信たっぷりなものとなり、会談においてもリーダーシップを発揮するようになったのだ。 ポツダム会談のさなか、トルーマンはスターリンに「われわれは異常な破壊力を持った新兵器を手にした」とさりげなく告げた。そして、この不用意な一言こそ、大きな問題を含んでいたのだとして、沢田氏は歴史学者シャーウィンめ言葉を引用する。「アメリカの原爆にソ連が恐怖心を強めただけでなく、アメリカ側の政府首脳の間にわずか残っていた原子力国際管理への希望は、完全に消滅してしまった」 アメリカの原爆実験の成功を知ったスターリンは、即刻、1942年以来停止していた原爆開発を再開、原子物理学者をよんで原爆製造を命じた。そしてアメリカに遅れること4年、1949年8月にソ連は原爆実験に成功する。 これに対応して、トルーマンは水素爆弾を製造する緊急計画を進め、1952年11月、世界最初の水爆実験に成功。それは広島の原爆の約1000倍の威力をもつものであった。 ソ連に続いてイギリス、フランス、中国も原爆開発計画を開始。国際的な管理機構をもたぬまま、世界は米ソを中心に、際限のない核兵器開発競争へと突き進むのである。 |
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