日本人の誇り
日本人の覚醒と奮起を期待したい 
藤原正彦・著 文春新書
 

 
はじめに

 歴史を書くというのは憂鬱な仕事です。奈良とか平安ならそんなこともないのでしょうが、近現代史、特にそれを俯瞰するようなものを書くとなると大変です。著者の近現代史観がもろに出てしまうからです。近現代史観というのは、現代の政治、経済、社会など我々の周りで起きているほとんどの現象をどう見るかに深く関わっています。すなわち、近現代史をどう見るかを露わにするということは、自らの見識を露わにすることなのです。これは誰でも避けたい仕事です。とりわけ私のように軽薄なのに羞恥心だけは強い人間は是が非でも避けないといけません。
 そのうえ近現代史の見方は、日本では大きく右と左のほぼ正反対の見方に割れていて、一方が他方を罵倒するという関係になっています。すなわちどちらの線で行っても半数から批判されることになります。左右は感情的対立にまでなっているので、中間的なことを書いても両派から嫌味以上のことを言われます。自らの見識を露わにしたうえ半数の人々から叱られるのですから、余程の勇気ある人か余程のおっちょこちょいにしかそんな仕事はできません。無論、私は後者です。一介のおっちょこちょいで無鉄砲な数学者が、右でも左でも中道でもない、自分自身の見方を、溢れる恥を忍んで書き下ろしました。戦後66年にもなるのに、いつまでも右と左が五分に組んで不毛な歴史論争を続けているという状態は、日本人が歴史を失っている状態とも言え、不幸なことと思ったからです。
 歴史を失った民が自国への誇りと自信を抱くことはありえません。この誇りと自信こそが、現代日本の直面する諸困難を解決する唯一の鍵なのです。そして今、未曽有の大震災に打ちのめされた人々の心を支え、力強い復興への力を与えると信ずるのです。
 偉そうなことを言う私も、本書により、これまで隠しに隠してきた見識の低さが白日の下にさらされるのではないかと恐れています。しかし私には、強く、賢く、やさしい古女房がいます。彼女は私か本書を執筆中、落ち込みそうになるたびに、「大丈夫、あなたの見識や人格が高いとは誰一人思っていませんから」と力強く励ましてくれました。

  春淡き朝、試練に立つ国を想いつつ
     平成二十三年三月    藤原正彦
 
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