日本人の誇り
日本人の覚醒と奮起を期待したい 
藤原正彦・著 文春新書
 

 成熟した江戸末期

 それでは日本文明とは一体どんな文明でしょうか。これは難しい問題です。とりわけその中で暮らしている日本人にとっては見えにくい。空気の中で暮らしている人間が空気の存在に気付いたのは、17世紀にガリレオ・ガリレイの弟子のトリチェリが真空の存在を発見した時です。人類誕生から百万年以上もかかっています。
 自らの文明は自らは認識しにくく、異質の文明との比較によってようやく見えるものと言ってもよいでしょう。幸いにして、幕末から明治にかけて来日した欧米人を中心とする多くの者が様々な見聞録を残してくれました。
 彼等は長い航海の後、アジアの各地に寄りながら日本までやって来て、「日本人はなぜこうも他のアジア人と違うのか」ということに驚愕しつつ、日本とは何かについて自問自答を繰り返しました。多くの欧米人が日本を訪れ、新鮮な目で日本を見つめ、断片的であろうと、個人的印象に過ぎないものであろうと、多くの書物に残してくれたことは実に幸運でした。彼等の来日が、江戸時代、すなわち二百数十年にわたる鎖国と平和の中で日本文明が成熟を見た時代、の直後だったということはなおさら幸運でした。
 彼等の言葉をいくつか、労作『逝きし世の面影』(渡辺京二著、平凡社ライブラリー)から引用し、それを参考にしつつ考えてみましょう。
 日米修好通商条約の締結のため日本を訪れたタウンゼント・ハリスは、日本上陸のたった2週間後の日記にこう記しています。
 「厳粛な反省――変化の前兆――疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」
 若い頃に貿易商として東南アジア中をめぐった50代の白髪の外交官は、「衣食住に関するかぎり完璧にみえるひとつの生存システムを、ヨーロッパ文明とその異質な信条が破壊」することを懸念したのです。
 オランダ語に堪能でハリスの秘書兼通訳として活躍したヒュースケンはこう記しました。
「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国上のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならない」
 オランダの貧しい家庭に生まれ新天地アメリカになけなしの金を手に一家で移住したという生い立ちをもつ、20代半ばの青年ヒュースケンのもらした慨歎(がいたん)と詠嘆でした。彼はこの5年後に尊皇攘夷派の浪士に襲われ殺されました。
 また日英修好通商条約のため来日したエルギン卿の秘書オリファントは「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」と記しました。自由なくして幸福なし、という欧米の絶対的基準が染みこみ、個人の自由こそが最も尊いものと信じているオリファントにとって、自由なくとも幸福、というのは、一足す一は三という世界に入ったようなカルチャーショックだったのでしょう。
 
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