日本人の誇り
日本人の覚醒と奮起を期待したい 
藤原正彦・著 文春新書
 

 「貧乏人は存在するが貧困は存在しない」

 多くの欧米人がいろいろの観察をしていますが、ほぼすべてに共通しているのは、
「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」ということです。だからこそ、明治10年に動物学者として東大のお雇い教授となり大森貝塚を発掘したアメリカ人モースも、「貧乏人は存在するが貧困は存在しない」と言ったのです。欧米では一般に裕福とは幸福を意味し、貧しいとは惨めな生活や道徳的堕落など絶望的な境遇を意味していました。だから、この国ではまったくそうでないことに驚いたのです。
 明治6年に来日しそのまま38年間も日本に暮らし屈指の日本研究者となったイギリス人バジル・チェンバレンはこう記しています。
「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である。金持は高ぶらず、貧乏人は卑下しない。……ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」
 イギリスの詩人エドウィン・アーノルドは明治22年に来日し、ある講演で日本についてこう語りました。
「日本には、礼節によって生活を楽しいものにするという、普遍的な社会契約が存在する」
 インドのデカン大学の学長をしたことのあるこの57歳の詩人はさらにこうまで言いました。
「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。……その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」
 ここまで褒められると、褒められることが何より好きな私でも照れてしまうほどです。無論ここには詩人らしい誇張も含まれていることでしょう。
 しかし幕末から明治にかけて来日した実に多くの人々が表現や程度の差こそあれ、類似の観察をしているのです。
 このような賛辞に触れた多くの日本人は私と同様、今の日本の体たらくを考えるにつけ、かつての日本は凄い国だったのだと素直に喜び、祖国への誇りが湧き上がるのを感じ、また衿を正すことでしょう。しかし世の中は素直な人ぽかりとは限りません。実際、多くの現代知識人がこのような観察を重要なものと思わないのです。軽視しようとするのです。
 彼等にとって江戸時代とは「士農工商という厳しい身分制度に基づいた封建制度の下、自由も平等も人権もなく庶民は惨めな境遇の中であえいでいた」時代です。明治時代とは「帝国主義に基づく猛烈な富国強兵策と不平等条約のもと庶民は困窮していた」時代です。彼等は「封建制度は悪」という明治以来の日本を支配した欧米流の歴史観を信奉し、「富国強兵は侵略戦争につながった諸悪の根源」という戦後史観に縛られているのです。
 10年ほど前の大学院博士課程の入試を思い起こします。なぜか私は歴史学専攻の志願者の口頭試問に駆り出されました。専門家以外の者が少なくとも一人は加わるという規定があったからです。
 志願者はイギリス東部のある田舎町の歴史を研究していました。この町は羊毛産業により16世紀にはロンドンに次いでイギリス第二の都市となっていました。私は志願者にこう質問しました。
「この町がその後、1世紀余りで凋落して行ったのはどうしてですか」
「いろいろ細かい原因はありますが結局、この町が特定の人々により運営されていて民主主義が根付いていなかったのが根本と思います」
「江戸時代は民主主義ではありませんでした。にもかかわらず外国が黒船で脅すまで2世紀半も平和と繁栄を享受していましたが」
 学生は返答につまってしまいました。「封建主義は悪、民主主義こそが理想」という流行りの考えに毒され、歴史を学ぶには自由で柔軟な発想こそが求められるということを忘れているようでした。
 確かにヨーロッパをはじめ世界の封建制度とは、ほぼおしなべて専制君主や領主、貴族などが人民を圧制下におき農民を農奴のごとくこき使い、搾り取れるだけ搾り取るというものでした。国民のほとんどを占める農民はいかなる希望も持てず、どん底の闇を這いずり回るような生活をしていました。欧米流の歴史学を学んだ現代知識人にとって、幕末から明治初期にかけて来日した外国人の観察は、自分達の学問的推測とかけ離れた矛盾に満ちたものに映るのです。
 そこで、日本の封建制度が他国の封建制度とは似ても似つかないものだったとは考えずに、多くの見聞録にあるおびただしい讃辞は単なるオリエント趣味の発露に過ぎず、珍しい骨董品をほめる程度の他愛ないものと見なすのです。あるいは、そのように美しい日本は、当時西欧で流行していたジャポニスム、という色眼鏡を通して形成された美しき幻影にすぎず、日本や日本人の実像を示すものではないと考えます。また人によっては、そういった観察の底には抜き差しがたい欧米優位思想があり、日本を称えるのは飼い犬を愛撫するようなもので日本蔑視の一形態にすぎない、とまで考えるのです。無論、見聞録を残した欧米人に人種偏見があったことは否めません。しかしそれで片付く話でしょうか。
 
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