日本人の誇り
日本人の覚醒と奮起を期待したい 
藤原正彦・著 文春新書
 

 幸福、満足、正直

 少数ながら当然悪口もあるのですが、来日したほとんどの欧米知識人に、日本への美しい幻影を抱かせることとなったその現実とは一体何でしょうか。
 明治4年に来日したオーストリアの長老外交官ヒューブナーはこう断言しています。
「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである」
 貧しいながら人々の顔に表れた幸せと満足感が余りにも顕著だったから、多くの来日外国人がこの想像しにくい状況に瞠目し書き記したのです。今日、当時に比べ千倍以上の外国人が日本を訪れますが、想像しにくい状況は何もないからほとんど誰も見聞録を書かないのです。
 無論、幸せとか満足感に基準はありません。当時の欧米は産業革命の真只中でありその歪みも出ていました。19世紀半ばに著わされたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』(岩波文庫)を読めば当時の労働者の悲惨が分かります。それが1900年代になっても改善されていないのは、ジャック・ロンドンの『どん底の人びと―ロンドン1902』(岩波文庫)やジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』(岩波文庫)を読めば分かります。惨憺たる下層社会、都市の不潔や混沌が伝わってきます。
 訪日欧米人の胸に、近代工業社会への懐疑や失われた平和で長閑な日々への郷愁があったことは確かでしょう。彼等の描く日本人が、その頃の自国の煤煙に覆われた不潔な都市に住む疲れ果てた労働者連、何の夢も持ちえず土に這いつくばったまま一生を終える農民達と比べての印象であったことは致し方ありません。ただそれを認めたとしても、日本人の表情に表われた幸せや満足感をかくも多くの人々が一斉に見間違うなどということがあり得るでしょうか。
 人々が健康そうで礼儀正しく正直だったこと。鍵のない部屋や引き出しから何も盗まれなかったこと。街頭や農村で見た人々が子供から人足、車夫に至るまで皆、冗談を言い合っては笑い興じていたこと。これらは現実ではないのでしょうか。封建大名による圧政のもと、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)にあえいでいたはずの当時の農村で、人々が貧しいながら皆幸せそうにしていた、と多くの外国人が言う時、「苛斂誅求にあえいでいた」の真偽を疑うことが先決ではないでしょうか。
 イギリスの駐日初代総領事となったオールコックは、狡猾な幕府官僚との折衝などを通し封建日本を嫌い、日本をエデンの園のように描くのは誤りと信じ、『大君の都』では忌憚なく批判をしています。それでも農村を見て「これが圧制に苦しみ、苛酷な税金をとり立てられて窮乏している土地だとはとても信じがたい。ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいない」と記しましたが、これは幻だったのでしょうか。日本をよく見て歩き13代将軍家定に謁見までしたハリスが「将軍の服装は質素で、殿中のどこにも金メッキの装飾はなく、柱は白木のままで、火鉢と私のために用意された椅子とテーブルの他には、どの部屋にも調度の類が見当たらなかった」と書いたのはハリスの幻だったのでしょうか。彼が「日本には富者も貧者もいない。正直と質素の黄金時代を他のどの国よりも多くここに見出す」と書いたのは錯覚だったのでしょうか。彼等の言うことを疑うことより、皆貧しかったのにどうして幸せそうだったのか、を問う方が本質的なのではないでしょうか。これについては後述しようと思います。
 
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