日本人の誇り
日本人の覚醒と奮起を期待したい 
藤原正彦・著 文春新書
 

 失われた日本人としての誇り

 88歳になる建築家の池田武邦氏は、京王プラザホテル、新宿三井ビル、徳島県庁舎、ハウステンボス等の設計で中心的役割を果たした建築界の大御所です。
 彼は海軍兵学校を出て海軍士官となってから、ずっと軽巡洋艦「矢矧(やはぎ)」に乗っていましたが、1945年4月の沖縄戦で、戦艦「大和」とともに海上特攻に出撃し撃沈され九死に一生を得ました。重油だらけの海で6時間も立泳ぎをしていて駆逐艦「冬月」に救助されたのです。私の義父と旧制湘南中学で同級だったこと、御子息の奥様に私の愚息が小学校で音楽を教わったこと、などもありお目にかかったことがあります。
彼は昭和30年代に小学生だった御子息から「お父さんはなんで戦争になんか行ったの」と詰問され、それ以降、戦争のことを一切話さなくなり、話すようになったのは80歳を過ぎてからだったそうです。測的室長としての彼の仕事は、目標とする敵艦の位置、進路方向、速度などを計測する役目でした。敵の猛攻の中、肉片が壁に飛び散る室の中で、血にそれほど染まっていない乾パンを拾って食べた話、戦死した海軍兵学校同期の親友が水葬される前夜に遺体の隣りで一緒に寝た話、艦全体が家族のようだったこと、など印象深いものでした。
 特に感銘を受けたのは、航空隊が壊滅状態で空からの援護がないことを知りつつも、出撃することに怖じ気づくことはなかったこと、敵の猛攻により沈没が決定的となっても、散りぎわでは1秒でも長く浮いていようと全員必死だったことなどでした。上品なユーモアを交えながら穏やかに、そして淡々と語る池田氏の顔を見ながら、こういう人達が祖国を守り家族を守るために戦ったのだ、こういう人達が片端から戦死してしまったのだ、との思いが胸に迫りました。
 もう一つ思い出すことがあります4四年ほど前に見たあるテレビ番組は、50歳前後の俳優が89歳の父親とベトナム沖の島を訪れるものでした。陸軍大尉だったこの父親はB級戦犯として戦後5年間この島に収監されていました。
 ここで俳優が戦争に参加した老いた父親を高圧的に非難し始めたのです。「戦争は人殺しだよね。悪いことだよね」と、父親の言葉に耳を貸さず幼稚な言い分をがなり立てる様に私はいささか驚きました。
 これは戦後、軍人だった父親のいる多くの家庭で見られた光景ではないでしょうか。「日本がすべて悪かった。日本軍人は国民を欺して戦争に導いた極悪人だ」という洗脳教育から大多数の国民がまだ解き放たれていないのです。そして「戦争は自衛のためであろうとすべて悪だ」と考え続け言い続けることこそが、平和を愛する人間の証しと信じているのです。
 日本の軍人達は、戦場で涙ながらに老いた父母を思い、自分の死後に遺される新妻や赤子の幸せを祈り、恋人からの手紙を胸に秘め、学問への断ち難い情熱を断ち、祖国に平和の訪れることを願いつつ祖国防衛のために雄々しく戦いました。それが今、地獄さながらの戦闘で散華した者は犬死にと嘲られ、かろうじて生き残った者は人殺しのごとく難詰されるという、理解を絶する国となってしまったのです。祖国のために命を捧げた人に対し感謝の念をこめ手を合わせて拝むべきものであるのに、戦争の罪を一身に背負わせているのです。
 このような状態で日本人としての誇りが生まれようもありません。
 
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