グラバー、サトウ、フルベッキは「白人御三家」
さらに、英国公使パークスの通訳として活躍したアーネスト・サトウも、幕末から明
治にかけて日本を背後から操った人物だ。
彼は日本全国を旅行して積極的に情報収集に努めている。日本の被差別部落制度などにも精通しており、後の明治天皇すり替えの陰謀にも荷担した……と目されている。
もう一人、重要人物が存在する。
それが、グイド・フルベッキである。
かの有名なフルベッキ写真の中心人物である。
この写真ほど、真贋論争がかまびすしいものはない。
明治維新の英傑44人とフルベッキ親子が一堂に会した写真……といわれる。
結論からいえば維新の志士らは22人ほど同定されており、本物である。
フルベッキの同僚だったグリフィスが1900年、著書で「後に皇国首相となった人物など、政府首脳となった人物たちが写っている」と証言している。
このグリフィス証言で、本物説は決定的である。
私の友人の一人に来日したメイソンの子孫がいる。彼は断言した。[幕末にはメイソン以外、来られなかった]。その証拠に、長崎、横浜の外人墓地には「メイソン・マーク」入りの墓石がゴロゴロある。
数多くのロッジも開設され、英字新聞には堂々と、集会案内広告まで掲載されている。これら数多くのメイソンリー(会員)の中でも、グラバー、サトウ、フルベッキは、「白人御三家」と呼ばれている。
つまり、幕末から明治にかけて、日本を擽った諜報員(スパイ)としてである。
サトウ、フルベッキらがメイソンであった……という公的記録は残っていない。
それは、当然である。記録を残さない。これが、メイソンや諜報部員の鉄則だ。
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