明治天皇すり替え!近代史最大スキャンダル
孝明天皇崩御の後、嫡男・睦仁(むつひと)親王が、明治天皇として皇位を継承した。
孝明帝暗殺の後、薩長の明治政府は、睦仁の取り扱いに苦慮した。息子も父親同様の攘夷思想だったからだ。そこで、薩長は天皇のすり替えを画策し、実行に移した。
睦仁は和歌を好む色白の少年だった。心身は虚弱で、禁門の変では、近辺に落ちた大砲の音に失神した、と伝えられる。
その16歳の少年天皇が、一年も経つと体重24貫(約90キロ)の巨漢にすり変わっていたのだ。そのすりかわった人物こそが、大室寅之祐なのだ。年齢は同じ16歳。
しかし、二人はあまりに違い過ぎて、すり替えの証拠は歴然だ。
@「体格」=巨漢の寅之祐は侍従を相撲で投げ飛ばしたほど。両者が同一人物ではありえない。
A「利き腕」=睦仁は「右利き」、寅之祐は「左利き」だった。同一人物の利き腕が変わることはありえない。
B「乗馬」=公家育ちの睦仁には、乗馬記録は全くない。野生育ちの寅之祐は堂々と乗りこなしている。
C「あばた」=色白だった睦仁にあばたはない。寅之祐は幼年期に天然痘を患いあばた顔。よって天皇は髭で隠していた。
D「写真嫌い」=明治天皇は徹底した写真嫌いだった。しかし、残された数少ない写真は、まさに、寅之祐その人である。これは、“すり替え”の決定的証拠だ。
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