日本国紀
百田尚樹・著 幻冬舎 

 朝日新聞が生み出した国際問題

「WGIP(War Guilt Information Program)洗脳世代」が社会に進出するようになると、日本の言論空間が急速に歪み始める。
 そして後に大きな国際問題となって日本と国民を苦しめることになる3つの種が播(ま)かれた。それは「南京大虐殺の嘘」「朝鮮人従軍慰安婦の嘘」「首相の靖國神社参拝への非難」である。
 これらはいずれも朝日新聞による報道がきっかけとなった。
 まず「南京大虐殺」であるが、これは前述したように、昭和46年(1971)、朝日新聞で始まった「中国の旅」という連載がきっかけとなった。まったく事実に基づかない内容にもかかわらず、戦後、GHQによって「日本軍は悪逆非道であった」という洗脳を徹底して受けていた日本人の多くは、この捏造ともいえる記事をあっさりと信じてしまった。
 当時、朝日新聞が「日本の良心」を標榜し、売上部数が圧倒的に多かったことも、読者を信用させるもととなった。まさか大新聞が堂々と嘘を書くとは誰も思わなかったのだ。さらに当時、マスメディアや言論界を支配していた知識人たちの多くが肯定したことが裏書きとなり、本多の記事が真実であるかのように罷(まか)り通ってしまったのだった。
 日本側のこうした反応を見た中華人民共和国は、これは外交カードに使えると判断し、以降、執拗に日本を非難するカードとして「南京大虐殺」を持ち出すようになり、40数年後の現在では、大きな国際問題にまで発展した。情けないことに、未だに、「南京大虐殺」は本当にあったと思い込んでいる人が少なくない。今さらながらGHQの「WGIP」の洗脳の怖さがわ
かる。
 朝日新聞が生み出したもう一つの嘘は、いわゆる「朝鮮人従軍慰安婦」問題である。
 昭和57年(1982)、朝日新聞は吉田清治という男の衝撃的な証言記事を載せた。その内容は、吉田が軍の命令で済州島に渡り、泣き叫ぶ朝鮮人女性を木刀で脅し、がってのアフリカの奴隷狩りのようにトラックに無理矢理乗せて慰安婦にしたというものだった。この記事は日本中を驚愕させた。
 以降、朝日新聞は日本軍が朝鮮人女性を強制的に慰安婦にしたという記事を執拗に書き続けた。朝日新聞は吉田証言だけでも18回も記事にしている。ちなみに「従軍慰安婦」という言葉は、戦後、元毎日新聞社の千田夏光(本名、貞晴)らによって広められた造語である。
 吉田証言が虚偽であることは早い段階から他のメディアや一部の言論人から指摘されていた。吉田自身も平成8八年(1996)の「週刊新潮」のインタビューで、「本に真実を書いても何の益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやっている」と捏造を認めていた。ところが、朝日新聞がこの吉田証言に基づく自社の記事を誤りだったとする訂正記事を書いたのは、最初の記事から32年も経った平成26年(2014)である。実に32年もの間、朝日新聞の大キャンペーンに、左翼系ジャーナリストや文化人たちが相乗りし、日本軍の「旧悪」を糾弾するという体で、慰安婦のことを何度も取り上げた。これに積極的に関わった面々の中には旧日本社会党や日本共産党の議員もいる。
 多くの国民は朝日新聞が嘘を書くわけがないと思っていたのと、GHQの洗脳によって「日本軍ならそれくらいのことはしただろう」と思い込まされてきたため、「従軍慰安婦の嘘」を信じてしまったのだ。「南京大虐殺」も同様である。
 こうした日本の状況を見た韓国も、中華人民共和国と同様、「これは外交カードに使える」として、日本政府に抗議を始めた。朝日新聞が吉田証言を記事にしてキャンペーンを始めるまでは、40年間、一度も日本政府に慰安婦のことで抗議してこなかったにもかかわらずだ。
 韓国の抗議に対する日本政府の対応も最悪だった。
 平成5年(1993)、韓国側からの「日本政府が従軍慰安婦の強制連行を認めれば、問題を蒸し返さない」という言葉を信じて、日韓両政府の事実上の談合による「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(いわゆる「河野談話」)を出し、慰安婦の強制連行を認めるような発信をしてしまった。途端に、韓国は前言を翻し、これ以降、「日本は強制を認めたのだから」と、執拗に賠償と補償を要求するようになる。これは80年近く前、大正4年(1915)の「二十一ヵ条要求」のいきさつを彷彿させる。
 もう一つ、朝日新聞がこしらえたといえる深刻な国際問題は、「首相の靖國神社参拝に対する非難」である。
 今も、首相の靖國神社参拝を世界の国々が非難しているという報道を繰り返す新聞があるが、これは正しくない。我が国の首相や閣僚の靖國神社参拝を感情的に非難しているのは、中華人民共和国と韓国のみといっていい。アメリカや中韓以外のアジア諸国のメディアが今でも批判的トーンで靖國参拝を報じるのは、日本と隣国との争いの種になっているから、という理由が大きい。もちろん英米メディアの中には靖國神社を「戦争神社」と言い、ここに参る者は「戦争賛美」の極右で「歴史修正主義者」だという論調もあるが、そのほとんどが、1980年代の朝日新聞の報道論調を下敷きにしている。
 そもそも中国・韓国の2国は、戦後40年間、日本の首相の靖國参拝に一度も抗議などしてこなかった。それまでに歴代首相が59回も参拝したにもかかわらずである。
 これが国際問題となったきっかけは、昭和60年(1985)8月15日に中曽根康弘首相が靖國神社を参拝した時に、朝日新聞が非難する記事を大きく載せたことだった。直後、中華人民共和国が初めて日本政府に抗議し、これ以降、首相の靖國神社参拝は国際問題となった。この時、中国の抗議に追随するように韓国も非難するようにたった。
 以上、現在、日本と中韓の間で大きな国際問題となっている3つの問題は、すべて朝日新聞が作り上げたものといっても過言ではない。3つの報道に共通するのは、「日本人は悪いことをしてきた民族だから、糾弾されなければならない」という思想だ。そのためなら、たとえ捏造報道でもかまわないという考えが根底にあると思われても仕方がない。
 その姿勢は政治的な記事に限らない。平成元年(1989)4月20日の「珊瑚記事捏造事件」も同根である。これは、朝日新聞のカメラマンが、ギネスブックにも載った世界最大の沖縄のアザミサンゴに、自らナイフで「K・Y」という傷をつけて、「サンゴ汚したK・Yってだれだ」という悪質な捏造記事を書いたという事件だ。記事は日本人のモラルの低下を嘆き、「日本人の精神の貧しさとすさんだ心」とまで書いた。この記事は単にスクープ欲しさの自作自演ではない。ここには、前記の3記事と同じ「WGIPによる歪んだ自虐思想」が見える。
 GHQの推し進めた洗脳政策は、戦後、多くの日本人の精神をすっかり捻じ曲げてしまったといえるが、驚くべきことに、占領後は朝日新聞を代表とするマスメディアが、まさしくGHQ洗脳政策の後継者的存在となり、捏造までして日本と日本人を不当に叩いていたのだ。さらに不思議なことはこの新聞が、戦後は「クオリティー・ペーパー」といわれてきたことである。「クオリティー・ペーパー」とは「エリート階層を読者とする質の高い新聞」という意味だが、はたしてこの称号を与えたのは誰なのか。それは戦後の公職追放の後に、言論界を支配した者たちである。

◆コラム◆
 朝鮮人慰安婦に関しては、肯定派のジャーナリストや学者、文化人らが、「軍が強制した」という証拠を長年懸命に探し続けたが、現在に至ってもまったく出てきていない。
 なかには、「軍が証拠を隠滅した」と言う者もいるが、すべての証拠を完全に消し去ることなど不可能である。軍は一種の官僚機構である。仮に民間業者に命じたとしたら、議事録、命令書、予算書、報告書、名簿、受領書、請求書、領収書など、夥しい書類が必要である。もちろん双方の帳簿も大量に残っているはずだ。軍は勝手に金を動かせない。
 戦闘中以外はトラック1台動かすのにも、いちいち書類が必要だったのだ。当時、軍用機の搭乗員たちは、たとえ練習でも飛行記録を残す義務があった。もし軍が直接行動したなら、慰安婦を強制連行するために動いた部隊、実働人員、収容した施設、食料などを記した書類も大量にあるはずだが、それらがすべて煙のように消えてしまうことなど有り得ない。そんなことが可能なら、戦後に捕虜の処刑に関係したBC級戦犯が千人も処刑されるはずがない。
 ここで読者の皆さんに知っておいてもらいたいことがある。それは戦時慰安婦の大半が日本人女性だったということだ。朝鮮人女性は2割ほどだったといわれている。当時は日本も朝鮮も貧しく、親兄弟の生活のために身を売らねばならなかった女性が少なくなかった。そうした女性たちが戦時に戦地の慰安所で慰安婦として働いた。これが事実のすべてである。
 一方、「靖國神社参拝」については、政治家の参拝を非難する左翼系の学者や文化人の中に、「中国が抗議したのは、A級戦犯を合祀したからだ」と言う人がいるが、これは稚拙で罪作りな嘘である。靖國神社が「A級戦犯」とされた人々を合祀したのは昭和53年(1978)10月である。それから昭和60年(1985)まで3人の首相(大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘)がのべ22回参拝しているが、昭和60年まで、中国は一度も抗議していない(A級戦犯合祀は翌年に朝日新聞によって報道されている)。
 また「天皇陛下でさえ、A級戦犯合祀以来、参拝されていない」と言う人もいるが、天皇陛下が終戦記念日に靖國神社を親拝されなくなったのは、昭和51年(1976)からである。実はその前年(昭和50年【1975】)、三木武夫首相の参拝について「私人としてのものか、公人としてのものか」とマスコミが大騒ぎしたことがあった。昭和天皇が終戦記念日に靖國神社を親拝されなくなった理由はわからないが、もしかしたら「自分が行けば、私人としてか公人としてかという騒ぎが大きくなる」と案じられたのかもしれない。
 
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