「心の時代」の
人間学講座
石川光男/船井幸雄/草柳大蔵 アス出版 

 没落の道を歩み始めている危険な兆候

 今日お話ししたことをまとめてみますと、まず第一に、「生命はつながり(開放系)である」という考え方です。それから第二に「生命は『もの』生命の潜在力を活かす文化と生き方ではなく『こと』(過程=プロセス)である」ということを申しました。プロセスというのは、さまざまな部分が有機的につながり、絶え間なく動いていることを意味します。その動き方の原理はたくさんあるのですが、一応、「部分は全体のために生き、全体は部分のために生きる」ということに集約されると思います。
 私達がどういう意識を持って生きるかということは、一見、個人の問題のように見えますが、実は社会全体、日本全体、世界全体を大きく変えていきます。
 たとえば、今日、日本は先進国としてたいへん豊かになりましたが、どうしてこうなったのでしょうか。それは、戦争で敗れて、忠君愛国も消えてしまい、価値観が何もなくなってしまった。その時、人々の頭の中にあったのは、食べる物や着る物や住む家が欲しいということだったはずです。とにかく物が豊かになって、お金も十分に使えるほど欲しいということだったと思います。着る物も、食べる物も、何も無かった当時の日本人としては、これは自然の欲求だったのです。
 そう思って40年間一所懸命働いてきたら、物が豊かで金持ちの国になっていたのです。大事なことは、みんなが同じことを考えていたということではないでしょうか。
 物が豊かになった現代では、人々は何を目標にしているのでしょうか。現代の日本人の意識調査をしますと、20代の大半は、趣味を大切にするとか、家庭を大事にするという価値観を生きがいの中心にしています。趣味に生きることを優先して、会社は金を得るための手段と考える若者が増えています。価値観の原点が趣味・家庭レベルで止まっているのです。自分の身の回りしか目に入らず、見事に閉鎖系の発想になっています。部分のため、という価値観が優先して、全体のため、という価値観がどこかへ消えてしまったことが気になります。
 日本は今、きわめてレベルの低い価値観を持った人間集団になりさがっているのではないでしょうか。そこに、没落の道を歩み始めている危険な兆候を感じます。部分は全体のために生き、全体は部分のために生きるという価値観を失った生命システムは、全体的な秩序を破壊する方向に進むのが自然の姿だからです。

 自然に従うことが生命力を活かす道である

 私達の身体の各部分は、私達を活かすように活かすように、働いてくれているのです。それならば、全体としての私達人間は。身体の各部分を活かすような思いやりをもちながら、もう一方では部分としての私達個人も全体としての自然、社会、文化に役立つような行動をするのが自然の摂理に従った生き方だと思います。
 生命システムというのは、さまざまな部分の驚くべき巧妙なつながりによって協調的に生きています。そのつながりの間に、物質・エネルギー・情報のバランスの良い出入りがあった時に、放っておいても生命システムは潜在的な生命力を発揮します。そうであるならば、そのような生命システムの基本原理に従う、あるいは自然の姿に従うのが、生命体としての人間の生き方の原点ではないかと思います。
 そこで。「自然に従うことが生命力を活かす道である」という結論を得ることができます。
 自然に逆らうのは人間の自由ですが、自然に逆らえば、しっぺ返しを受けるのは自分自身であったり、身の回りの者であったり、あるいは自然・社会・文化という環境であったりします。結局、回り回って自分自身に降りかかるのは避けられません。「生命はつながりである」というのは、このような意味も含んでいます。
 私達は自然に従って個性を活かし、人を活かし、自然と社会と文化を活かすように行動することによって、本当に生きがいのある人生を歩むことができます。
 この市民大学講座に参加された方々が、このような方向に沿って、本当に充実した生きがいのある人生を創造してくださることをお祈りしております。
 
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